見出し画像

5月15日

以前にシミルボンという個人記事サイトに書いたのですが、5月15日はぼくにとって生きている限り忘れることのない日でしょう。

生きていると書いた部分ですこし感じるかもしれませんが、僕の父の命日です。

平成9年5月15日になったばかりの深夜、すでに就寝していたのですが、電話がなりました。

その瞬間に予感したものは的中していました。

なぜならば14日の夜には広尾の日赤病院で生前最後に会った父親はもはやぜいぜいと呼吸しているのがやっとで、酸素呼吸器をつけていて、こちらの呼びかけにも反応できない状態でした。

病室には母親がいましたが、「もう今日の夜には難しいかもしれないね」ということを言っていたのを思い出します。

電話はそれでした。

すぐに着替えて兄をクルマに載せて、上野ランプから首都高速を深夜、広尾出口まで、日赤病院までその後どんなルートを通ったのか良く覚えていません。

すでに実家と付き合いのある葬儀社さんも来ていました。

最後は辛かっただろうなと思いましたが、父親はさきほどと異なり、ゆったりと寝ているようでした。

享年67歳でした。

昨日、通りがかったフリーメイソンジャパンロッジの会員でした。

フリーメイソンの会員であることを誇らしく思っていたようで、たまに郵送されてくる会報のようなものを読んでいるを見たことがあります。

週末には親族一同で法要が営まれます。

僕は2019年12月には59歳です。もうすぐそこに60歳です。

毎年、5月15日が来るたびに父親が一生懸命生きた年月に想いを馳せるのです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?