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そのキャラクターには意味がある。そのストーリーにはテーマがある。

今回、私の創作物に関しての話をつづろうと思う。


私の創作物というのは、noteやInstagramにアップしている4コマ漫画のことだ。
4コマ漫画ではあるが、2×2の正方形のコマスタイルをとっていることや、キャラクターによってはセリフが無かったり、イラストやアートに近いような気もするので、自分では最近ではウェブコミックアートと呼んでいる。実際、海外ではそういう言い方はあるようだ(詳しくは分からないが...)。


・ 落書き→分身

ここ最近描くキャラクターは、“とっても・せつない・犬” だ。
最初はただ、“犬(イヌ)” だった。

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この落書きした、“犬(イヌ)” 。
この “犬(イヌ)” は、しゃべらない。

しゃべらないのだけれども、自分のことをもっと描いてほしいかのように見つめてくる気がした。

見た目通り、どこか、せつない。
見た目のかわいらしさは別としてまるで似てないが、ただようツイてなさそうな雰囲気は私自身と少し似ている。

そして、この “犬(イヌ)” は、私の分身のような部分を請け負って、動き出した。


・ 最初の不遇

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この4コマ漫画のタイトルは、
「事件は2度起きる」
である。

1番最初に描いたストーリーだし、1番気に入ってると言ってもいい。
この “犬(イヌ)” はこの作品に全て詰まっている。

自分の分身のような存在だから、自分の実際にあったこういう不遇エピソードが元になっている。


・ なぜ注文したとおり来ないのか

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こちらのタイトルは、
「注文間違い:トマトパスタとイカスミパスタ」
「注文間違い:味噌ラーメンと塩ラーメン」
「注文間違い:和食セットと洋食セット」
である。


だれでも何度か経験はしてるだろう注文間違い。
今は少なくなったが、私はかなり注文間違いをされることが多く、
違うスパゲティが来る。
違うラーメンが来る。
お茶を頼んでもジュースが来る。
大盛りを2度3度お願いしても普通盛りで来る。
等は当たり前で、「本当かな~?」と疑う知人の前で、全く違う注文が来て、変な空気になるという実体験が元になっている。
私は今ではそういうのもあまり無くなったが、この “犬(イヌ)” には同じようなことが起きており、自分自身ではどうしようもできない不条理・不遇を受け入れつつも、静かにこちらに何かを訴えている。


・ 何がどうなるか分からない

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こちらのタイトルは、
「手洗い その1:空っぽ」
「手洗い その2:前回の反動」
「手洗い その3:洗浄システム(蛇口が無い)」
である。


1つめは、モノ(ここではハンドソープ)が常に用意されているとは限らないこと。
2つめは、今度こそはと思ってもやりすぎる(ここでは出し過ぎる/洗い過ぎる)と良くないこと。モノ(ここではハンドソープ)が常識とは違う(ここでは泡立ちが良すぎる)かもしれないことを想定する慎重さも大事であること。
3つめは、いずれを確認したり気をつけても、何かが足りないことはあるかもしれないし、何かが自分の希望通りいかないことだってあること。

そんなテーマが込められている。

「何事も自分次第」という言葉が世の中で便利に使われることは多いが、
1つめのように、誰かの働きがあってこそできることだってあるし、
2つめのように、特段おかしなことはしていなくても、ほんの少しの違いでおかしな結果を生んでしまうことはあるし、
3つめのように、自分で全てを作ってるわけでも決めてるわけでもない以上、自分ではどうしようもできないこともある。
「何事も自分次第」といって窮屈にする必要はないかもしれないし、自分や他人を苦しめる必要はないかもしれない。
物事はそう単純には出来ていない...。複雑なのだ...。


・ 踏み込んでしまった領域

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こちらのタイトルは、
「ハチミツ:こんにちはミツバチさん」
「ハチミツ:ミツバチ包囲網」
である。


こちらも実体験を元にアレンジした話になっている。
1つめは、ボールを拾おうと、ところどころ小さな花が咲いてる草陰に手を突っ込んだら、ハチが潜んでいて、チクリと刺された実体験。
2つめは、複数人で林を走り回っていたら、蜂の巣があったらしく、人間たちを敵と見なして襲ってきたが、なぜか私1人だけロックオンされてハチたちに囲まれ、私1人だけ何箇所も刺されるという悲しい実体験。

ここに込められたテーマは、一言で表すと
「領域(テリトリー)」。
「縄張り」と言ってもいいかもしれない。

そのあたりのなにげない花や草や木。そこは何者かの住処(すみか)かもしれないし、軽々しく触れていいものかは分からない。
花や草や木を人間の心か外見や何かに置き換えてもいいかもしれない。
そこに悪気はあるかないかは関係ない。
この “犬(イヌ)” は、「キレイな花」「美味しそうな蜜」を少しだけ触れてみたかったのだろうが、ツイてなかった。せつない...。


・ 現実、せつなさ、愛おしさ

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こちらのタイトルは、
「イヌとカメ」。

見たまんま「ウサギとカメ」のお話がモチーフだ。
こちらも幼少年時代の実体験から。
私はとにかく足が遅く、小学生でも中学校でも、かけっこはいつもビリ。恥ずかしながら、勝てた記憶が無い...。
マラソンも常に最下位あたり。
そして、野球少年だった。
1つめは、野球を2年も3年も先にやっていたのに(先を走っていたはずなのに)、後から入ってきた同級生たちにあっさりと追い抜かれてしまった実体験から。
2つめは、相手が手を抜いた状態でも、相手が他のスポーツや趣味が優先だった片手間状態でも、勝てなかった実体験から。

ここに込められたテーマは、
「現実」「能力」「力」。

スポーツや競争である以上、負ける時は負けるという「現実」。
そして、向いていれば、より結果は出やすいし、向いていなければ、より結果は出にくい、という「能力」。
そして、勝ち負けであるならば、単純に「力」。

“犬(イヌ)” は走れるが負ける時は負ける「現実」。
カメは見た目や周囲のイメージとは裏腹に、走りに"向いて"いて、「能力」があった。
“犬(イヌ)” とカメには、「力」の差があった。カメには「力」があった。

単純にそれだけのことだ。
しかしながら、私はこの “犬(イヌ)” がせつなくも愛おしい。
テーマではあるが、教訓ではない。
この“犬(イヌ)”には生けるストーリーがある。


・ “犬(イヌ)” は歩くよどこまでも

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さて、ここまで記したように、この “犬(イヌ)” は、
不運だし、無表情だし、無口だ。
しかし、彼は淡々と生きている。
これらの "悲劇" はある種 "喜劇" と言える。
「かわいそう...」ではなく、
「かわいそうw」「せつないww」といった具合に、
このネガティブな出来事をポジティブに楽しんでいただければ幸いだ。
これが、“とっても・せつない・犬” であり、
これが、“とっても・せつない・犬” の生き様なのだから。


せつなさは人生(犬生)、それでも 犬(イヌ) は生きている。


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