大洗の今

 大洗、2011年の東日本大震災ではこの港町も断水や押し寄せた津波による被害をこうむりました。大洗シーサイドホテルの女将に話を聞いたところ、幸いにも岩盤の上に建っているため建物自体の被害はなかったものの、ボイラーが故障し、断水とあいまって復旧までにかなりの時間を要したとのことでした。

 例年夏の海水浴シーズンには海水浴客でにぎわう大洗町ですが、この年には海水浴シーズンになっても客足が途絶えたままで、これが街の人たちにとって精神的な追い打ちになっていたそうです。

 そんな折、ひそかにあるプロジェクトが進行しており、本来の観光エリアから外れた普段は地元の人しか居ない商店街のあちらこちらを歩き回る人が現れ、日を追うごとにその数が増えていきました。商店街の人たちもそれまでぱったりと人影が途絶えていただけに人が来てくれるだけで嬉しいけれど、そもそも観光エリアから外れているため、この現象を不思議に感じていました。

 そうこうしているうちに都内で働く家族から、大洗を舞台にしたアニメが放映されていると聞かされ、さらに商工会から商店にそのアニメの登場人物の立て看板などが配布されてきました。アニメでは少女たちの群像劇が描かれており、少女たちが大洗町に住んでいるという設定のため、その面影を追ってやってきた人たちだったのです。

 いつしか、四国88か所を巡るお遍路さんにならい、このような来訪者をアニメの題名をもじって「ガルパンさん」と呼ぶようになりました。冒頭の写真はそんな少女が住むという商店に掲げられた「ガルパンさん」宛の挨拶で、町中の商店がこのようにガルパンさんの来訪を歓迎していますが、その背景には「もうあんな寂しい思いはしたくない。だから皆さんがこの町に来てくれるだけで嬉しい」(大洗シーサイドホテル女将)という強烈な思いがあったのです。

 ことあるごとにこれらの少女の「誕生会」が催されて数百人が日本各地から集まり、冬の「あんこう祭」には大洗町の人口の8倍近い13万人が集まるようになりました。その多くは年に数回以上訪れるリピーターであり、震災前の活気がやっと戻ってきたのです。

 私も知り合いのドイツ人を案内したり、あんこう祭の取材で訪れていますが、街のあちこちでガルパンさんと商店街の人があたかも親戚のうちにやってきたような交流に変貌してきており、アニメが街の人とガルパンさんを繋ぐ接着剤のような役割を果たしているのがわかりました。

 十万人単位のリピーター、それはもう客ではなくてこの街の誰かの親戚という存在なのです。

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