見えてるのに見えない現象(心理的盲点)


鼻の頭が見えますか?

 人間の視野には鼻の頭が入ってるのに、なぜか見えません。これが「見えてるのに見えない」現象。視覚だけでなく、実は聴覚にも同様に「聞こえてるのに聞こえない」現象が起きています。それは体の中を流れる血液の拍動、頭部には全身の血流の約一割が流れ込んでおり、この拍動が聴覚にも届いているにも関わらず、”通常”は聞こえていません。

 これらの現象を心理的盲点(Psychological scotoma)あるいは認知的盲点と呼ぶようで、Collins English Dictionaryにはこのように説明されています。

「精神的な盲点により、物事などを理解や認識できなくなること」

 このように鼻の頭や拍動が見えない、聞こえないのは生物として生存に必要な視覚や聴覚の「要らない」情報、つまりノイズを認知機構(要するに脳)が除去してしまうために生じる現象と考えられます。この現象にはすでに医学的な結論が出ているのかもしれません。

 先程拍動が”普通”はと但書をしましたが、心停止を経験した人によるとその瞬間「突然静かになった」そうです。ここからは自分が心停止して体験するわけにもいかないのであくまでも推測ですが、聞こえないとは言ってもノイズとして除去するために脳が活動しており、心停止で拍動を除去する必要がなくなったために脳が「静か」だ、と感じたのかもしれません。また、ごくまれに体調不良のときにドクドクと拍動が聞こえることがあります。つまりこのように聴覚には届いているけれど、これをノイズとして除去してしまっているのです。

 さて、このような生物として先天的に獲得した(と思われる)心理的盲点以外にも、後天的に獲得することがあります。日常生活で私たちは様々なものを見聞きしていますが、このような視覚や聴覚情報の中でもノイズとして除去してしまうものが多くあります。

 生活する上で様々なのもを見聞きしていますが、これらのうち自分にとってどれが意味があるか、意味がないかを無意識に峻別するようになり、意味のない(と峻別された)ものはノイズとして見えなくなっていきます。なぜそのようにノイズとして捨てて見えなくなってしまうのか、一つの仮説として次のように考えられます。

 脳の処理能力は無限ではないため、見聞きしたものをすべて処理するには脳の処理能力が追いつかず、意味のないものと峻別されたものから捨てることで処理能力から溢れないようにしていると考えられるのです。

 実はコンピュータでも処理能力の限界から、意味のないと思われたもの(=ノイズ)をあらかじめ除外して本来意味のある信号の処理に専念させるという技法が用いられています。この技法はS/N比(信号/ノイズ比)を上げるごく一般的な手法で、人間も経験からどれがノイズであるかを峻別するようになっており、S/N比を上げているというわけです。

 ここからはようやくこの記事の本題に入ります。実は私達は見えてるのに見えないという例をたくさん知っています。シャーロック・ホームズと助手のワトソン、ホームズはワトソンに推理の謎を解き明かしていますが、それは本来ワトソンも見ているはずのものであって、ホームズから説明を受けて自分がそれをノイズとして捨ててしまっていたことを知ります。そう、ホームズは見聞きしたものをノイズとして捨てずにそれらを手がかりとして推理しているのです。

 私達が生活する上で「無意味」として捨ててしまう部分でも、日本へやってきた方にとっては「無意味であるかどうか」わからないものが多く、それを写真や動画として日本旅行の記録として公開しています。それがまた私達にとって「こんな観方をしてるんだ」と驚かされることがありますが、まさにシャーロック・ホームズに種明かしされたワトソンのような状況なのかもしれません。

 人の能力によって、見えてるのに見えない程度が変わってきます。創作上の人物ですが、シャーロック・ホームズはその頂点に位置しており、ワトソンが捨てた部分から手がかりをつかんでいるので、説明を受けたワトソンも「そういえば」と納得しているわけですが、ワトソンも完全に捨てたわけではなく、記憶の何処かにそれが残っていたからこそ納得しているのです。これがもっと能力が低い助手であったならば、そもそもホームズの推理自体が理解出来なかったことでしょう。

 処理能力が非常に高いホームズのような場合や、あるいは訓練によって捨てないようにできるようです。アメリカンの連邦捜査局FBIでもテロリストや犯罪者の手がかりを掴むために捨てない訓練が行われているとのことです。

 


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