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聞かない、受け取らない。そう決める。

受け取らないと決める。それだけでほんの少し私は心の平安を得られてる気がする。

私の夫は根っこは悪い人じゃないんだと思う。こんな私をもらってくれてメンタルが弱いのを理解していて働くこともなくここまできた。そのことにはとてつもなく感謝をしている。けどどんなに好きだろうと一緒にいる時間が長かろうと受け入れきれないこともあるんだということをここ最近わかってきた。

夫の場合だと教育概念がいびつでかつ自信家なので子どもたちへの締め付けがひどい。休みともなれば朝からワァワァ何かしら怒っているしせわしなく動き回り、勝手に動いているのに周りが動かない、と勝手に怒るのだ。訳がわからない。

腹が立てば言っていいことと悪いことの分別もなく怒鳴り散らし正論をぶちまけてとにかくワァワァ言っている。サボっている、やることをやらない、自覚が足りない等々。

最初の頃は多分まぁまぁってなだめたし、反応しないとと思っていた。でも最近は特にひどくなり聞いているだけで体調が悪くなってくる。がなる声、中身のない正論、ふりかざす正義。そういうのがほとほと嫌気がさしてきた。

だからもうこれは受け取るのはやめよう。流そうと決めたのだ。いちいち反応しない。子どもたちにワァワァ言ってるときも反応しない。最中になだめに入っても余計激しくなるだけだから。嵐が過ぎたら子どもたちとお菓子を食べつつ「いやぁ今日も今日とて騒がしかったねぇ」とお茶会するのだ。そうやって後からだけどフォローしつつ、でも怒られるってことは怒られる側にもそれなりのことがあったからなわけで、そこは気を付けようねって話をする。言い方だったり空気を読む読まないだったりする、するって言ってしなかったりは怒られてもしょうがない。しょうがないから、そこは気を付けよう。気をつけて直していけば怒られることも減るよと。

あの人は多分そういう病気かなんかだと思うことにした。普段は温厚だけど一回スイッチが入るとワァワァ怒らないと気がすまない病気なんだなって。それは多分子どもたちもなんとなく認識しているはず。

で、夫はダラダラキレ続けるタイプなので気が済むまで子どもたちのここがどうだ、とかあそこが気に入らない、とか、どうすりゃいいんだろう、とか愚痴り始める。私はそれも受け取らないことにしている。

何の反応もしないし、相槌もうたない。淡々とやることをやりつつ聞き流す。どう思う?と聞かれても「なんとも思わないな」と返して終わる。誰にもこの怒りを受け止めてもらえないとわかると一人の世界に行ってしまう。すると平穏が訪れる、というわけだ。

いちいち相手に反応する必要なんかないのだ。特に怒りとか意味のない言葉の羅列、言わなきゃ気がすまないだけの人の悪口とか。そういったものは流していい。誰かの怒りに付き合う必要なんかない。怒りたいなら一人で怒ればいい。自分の怒りに人を巻き込んじゃいけない。それがわからないのだ。大きな声で言わなきゃならないのは身の危険がおきて「助けてー」っていうときだけ。

四六時中聞いてたらイライラする。イライラしたくない。私は心穏やかに過ごしていたいだけだからだ。私の心の平穏が脅かされるのは私自身にとって大問題だ。相手は変えられない。だから自分は最大限の構えをしておこう。それがスルーするということ。いちいち受け取らない。受け取らなければ相手の投げたすべてのものは落ちるだけで私に刺さりはしない。どんなに大切な存在であろうと心の平穏を乱す行為は許せない。正解も不正解もない問題だが私はそうすると決めたのだ。言葉は誰かが反応してはじめて機能する。聞きたくない言葉や受け止める必要のない言葉は反応しなければこの身を守れる。聞かないし受け取らない。それが今の私の防衛の仕方だ。明日からしばらくお盆休みで騒がしくなるだろう。ほんの少しの辛抱を、できますように。

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