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反復と循環に付随するぼんやり冒険の鳥取公演のこと。そして東京での再演。

現実の昨日が今日の舞台の劇世界へ入り込んでくる。そして上演された演劇というものがまた現実の明日へ確実に紛れ込んでいく。

物事を手放したあと、その手放したものたちの通過して行く時間を見えないところで思う景色は確かなものである

舞台の上になんだかそのひとつの感情を置いてきてしまったようなきがしてぽっかりしている

俳優として現実と虚構が入り混じる舞台の上に、狭間にいるもの、あるいは人物としていることができた時、私、あるいはそのXとしてだけ見える風景がある。あぁ、その美しさ。それらの風景はとどまることなく、とどめることこともなく。

と、鳥取公演のあと書いた。

今、9月末の公演に向けて稽古中。
お金がテーマの話で今劇中に使う映像、
1000人のインタビューとその様子をドキュメントとして撮影している。
答えてくれるひと答えてくれないひと。
無数の人がわずかな関わりのなかですれ違い触れ合って行く。意味と価値を見つけながらインタビューをしていく。あなたは誰ですか?それは私にとっても相手にとっても。

人と多く接するなかで映像として残ったものだけが形としてある、そこに私の一部も流れ込みすり減って行く。交わるたびに私はどこか空洞なものとなっていく気がしてならない。行為と存在がひとつの発光のようである。

クラウドファンディング実施中。
https://motion-gallery.net/projects/bonyari1000

公演会場のBUoY
私もこの生を浮遊中である




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