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制作についてのメモ:2022.06/8

自分の後頭部を視認する術がないように、自分の存在はとてもあいまいな状態にある。
その存在を確かめる方法としてカメラや他者とのコミュニケーションなどで第三者的な視点を獲得するというのがある。
自分ではわかりようのないことを補ってなんとか自分はここに、こういうかたちでいるということがわかる。

しかしそういった情報としての存在ではなくもっと感覚的に、自分が「いる」ということがわかるときがある。
その感覚は例えばこんなときにあらわれる。

散歩をしていて、自分のはるか上空を飛行機が通り過ぎたとき。
シャワーの水流に太陽光が反射してキラッと光るとき。
運転中に激しい雨が車のボディを打ちつけるとき。
月が雲の切れ間から現れて周りが明るくなったとき。
状況はバラバラで、どれもとりとめのない瞬間にその感覚はやってくる。
これらはおそらく世界と自分とのつながりが生まれ(または再発見し)、身体の外側の空間を理解することで自分の存在をつつみ、とらえることなのだ。

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