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ロスト・ティーチャー。

やぁ、いらっしゃい。今日もお疲れ様です。

土曜日だね。
今週も毎日元気に頑張ったかい?

少しずつ暖かくなってきて花粉が気になる季節さ。
私は結構大丈夫なクチだけど、周りが可哀想な人が多いんだよね。

国語の先生。


E氏はnoteで知り合った男性。

あれ、最初はXだったかな。最近は入り乱れていて初見がどこだったのかが思い出せないケースが多いんだよね。

noteは作品が楽しいし、Xはその人柄に触れることが出来てこれまた楽しい。両軸が楽しめると一層味が出て面白いよ。

…話を戻そう。

E氏とはかれこれ2ヶ月といったところかな。
最近は短期間で濃厚なやり取りをする事が多い気がする。

特にnote×Xを使い分ける人が増えてきた影響もあってか、記事よりも人柄でよく分かる事が増えてくる。

表面的な部分からのやり取りではあるが、それでも人となりが分かってくると記事を読んだ時の来歴が立体的に見えてきたりする。

「あぁあの時、ああ言っていたシーンはここのことか」

断片的に知っている内容を記事で再認識。

作家と直接やり取りしているような感覚さ、作品から先に知るケースが多い中で、貴重な体験をさせていただいていると、最近特に思う。

ま、一応私も作家の端くれになるってことかな。

そんなE氏が現役の高校教師。
国語の先生とのこと。

今、一つの区切りを迎えようとしている。

先生という仕事。


E氏の記事は面白い。
世代で言うと私よりも上になるね。

E氏の学生時代。高校生の頃のお話。
当時の先生は、学生運動時代を生きていた最後の世代ということで、かつての日本は結構過激な一面もあったそう。

ぶっ飛んでる。と言うより時代柄っていうのかな?

先生が二日酔いで教室に入ってきて「今日は自習!」とかって時代だったみたい。そんなのあるの?っていうくらい世界観の違いを知ることが出来る。

「え、そんな先生超すきなんだけど」

なんて思いながら、背景を想像する。
楽しそうに弾む記事だったから、きっとE氏も無意識に半笑いで書いていた記事なのかもしんないね。

私は高校生の時、先生と仲良くなるのが得意…というか何でも聞くことにしていくことでまぁまぁテストの範囲とかも知ることが出来たりした記憶がある。おかげで点数は悪くなかったね。

そんな真面目な生徒じゃなかったけど、赤点かますのも好きじゃない。
方法論として、先生と仲良くなってヒントをもらう。そんな感じだった。

先生の性格によって、それが出来る出来ないって結構分かれるんだよね。
融通の利かない先生は諦める。

E氏の記事を読んでいて楽しいのは「学園モノ」を思わせる舞台。
そりゃそうだよね、リアルに学園なんだから。多くの人が高校って行ってると思うし、想像も付きやすい。

「教師目線」で送られていくストーリー。

私は教師じゃないけど、擬似的に教師の立場で環境を楽しめる。記事に没入感を与えられるという技術はなかなかお目にかかれない。

もしかしたら、無意識にやっているのかもしれないけど、そう思いながら記事を楽しむ人もいるんじゃないかな…なんて思いながら私は記事を読む。

先生を諦める。


大学1年生の4月。

E氏は教師になるべく、教職課程の道に進むが些細なミスがあり断念。
理由はキャンパス違い…(え、どういうこと?)

どうあれ、いきなり詰みの状況に陥ったということで教職の道は諦めたらしい。若さゆえの決断の早さだね。

当時のことを「いい加減でした」とE氏は言うものの、切り替えが早いタイプだったのか、他にも楽しみがあったのか。想像で埋めることで逆に楽しめる。

E氏が選んだ道は「塾講師のアルバイト」。
どうあれ「学問を教える」という事がやりたいことという軸はブレてないみたい。

大学生の塾講師。
とっても想像のつきやすい図式のお仕事。

そのまま卒業後、学習塾に就職することでアルバイトは本業となっていく。

尺の都合上、割愛するがこの話も深い。多くのプロ集団の意識は高く、刺激になっていくことも多いE氏の根底が形成される環境の一つになったことは間違いない。

ただ、結婚を機に自らのキャリアを考える。

塾講師は好きな仕事。嫌ということはない。
ただし、その特性上、夜遅くなり、土曜日も夏休みも冬休みも仕事が約束されている業態。

「果たしてこれから、この仕事を続けていていいものか…」

このジレンマを持つ塾講師は多いと思う。
私の取引先でも、この絶妙な仕事時間に悩まされ講師募集のループにハマる指導塾は結構多いんだよね。

結果、1年。
教員資格の取得に勤しんだ結果、第一子の誕生と共にE氏は高校教師となる。

仕事への情熱は責任感と共に高まっていく。

空回り。


E氏にも苦労の時期がくる。

「教師とはこうあるべき」

というリーダーマインドは時として誤ちを起こすこともあるらしい。そして一番危険なのが、その「誤ちに気付かない」という状況。

見事にE氏はそのトラップにかかることになる。

・周りは優秀な人が多い
・教え子には正しい道を歩ませねばならない
・家庭を大切に守らねばならない
・やる以上は成果を上げねばならない

常に自分との戦いの軸にあるのは「他者との比較」

リアルな話で、noteには教師・元教師が多い印象がある。ハツラツと頑張る人もいれば、とてつもない闇を抱えている人もいる。

概ね共通しているのは「責任感があり」「状況説明が分かりやすい」。
それ故に見えない強大な敵に苦しめられる事が多いのかも知れない。

どれほどタスクが一身に伸し掛かったのだろう。
どれほど心を痛めながら孤独に戦っていたのだろう。

追い詰められた者の終着駅、一歩手前までE氏は追いやられた。

どうしてここまで苦しまないといけないんだろう。

私も経営者の端くれで、経済面での問題で命を絶つ知り合いもいた。でも、本来仕事でそこまでの代償なんて必要あるのだろうか…

色々考える時期があった。
下手すれば私もそういう事になりかねない瞬間があったのも否定出来ない。

家庭もあり、仕事も頑張らねばならない。
それはもちろんその通り。

ただ、頑張る基準って何だろう。

その頃、E氏は30代半ば。
一度壊れた心のケアをしながら、失った自分軸を取り戻す。

「余計なことをしないことに価値がある」

自分が動かずとも、風は拭き、川は流れている。

ロスト・ティーチャー。


詳しくは知らないけど、E氏は家族とちゃんと相談してる。

奥さんは奥さんで学習塾を自身が経営しているという。
凄いね、学習夫妻。

まぁ、年頃の子供達を相手にするビジネスをしていると、些細なことでも裏目に出てトラブルに発展するケースがある模様。

蓋をあけてみれば、実は大した問題じゃない。
コレとっても多いじゃん。

でも、一側面から見た事実だけが全てじゃない。

長方形。

目の前に長方形の形があるとする。何か?そりゃ長方形。

でも、裏に回ってみて、奥行きがあれば直方体。
先端が尖っていれば角錐。

世の中、この一側面で判断され無理に広げられて手がつけられない状況が往々にして起こりうる。

具体的な詳細は避けるが、この「長方形理論」にモロ当てはまるようなトラブルを奥さんが抱えた時、一緒になってE氏もまた共に考える。

このやり取りを記事にしていたことを始め、きっちり相談し解を求める姿が見受けられた。

家庭を大切にしている人はすてきだよ。

これから。


教育機関というのは融通が利かないもの。

現場歴20年とも言える段階に差し掛かった現在。
別部門への異動の辞令がE氏に下ることになる。

現在はまだこの段階。

多くの経験と、生徒とのコミュニケーション。
学びを伝えながら、逆に多くを学んできた教職生活。

今、一つの区切りを迎えようとしている。

「20年も継続した自身の社会的価値は時給800円上がっただけ?」

キャリアとは何だったのだろう。
考えて始めたnoteによる自己発信。

価値は存在する。
その値はまだ深く眠っている。

現実社会では「価値」とは「可視化」出来てこそ「価値」となる。
今、見えつつある。

鞘に収め続けた抜き身の「価値」は放たれようとしている。

そんなE氏は私の大切な友達さ。
いつだって応援しているよ。

自身の不幸な体験も含めた価値をもって、次の人への「気付き」と示すことが出来る、そんな未来を願わずにいられない。

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ここまで読んでくれてありがとねっ!

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