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武富健治先生『古代戦士ハニワット』勝手に応援企画(10)コラム⑨:第2部最新47話「エピローグⅠ 帰郷」について

第1節 はじめに

 本日2022年10月4日、武富健治『古代戦士ハニワット』最新47話「エピローグⅠ 帰郷」(以下「本話」と略す)掲載の『漫画アクション』(№.20.2022.10.18)が発売されました。シリーズ屈指のエピソードであり、ハニスペまで沈黙できないので、急遽ネタバレのエッセイを書くことにしました。内容を知りたくない方は、これ以上読まないでください。

 では。

 第47話は第2部完結までラスト2のエピソードです。つまり次の第48話で『ハニワット』第2部は完結します。第2部第1話「妙義岳の異変」は、『漫画アクション』(№7.2020.4.7)に掲載されたので、丁度、2年半かけて語り継がれた物語が完結を迎えようとしています。さらに作者の武富先生は、「第1部と第2部で一つの物語」という趣旨の発言をなさっています。第1部第1話「ハニワット登場」は『漫画アクション』(№14.2018年7.17)に発表されたので、4年3か月語り継いだ物語が一つの幕引きを迎えようとしています。『ハニワット』の各エピソードはどれも素晴らしい印象を残しますが、「エピローグⅠ帰郷」は長大な物語の一つのピリオドとして、特別な感慨を与えます。本話の一コマ一コマ、一セリフ一セリフは、これまでの全78話にかかて積み重ねたエピソードが濃縮されているだけではなくてて、連載中にぼくがかかわった「現実の時間」を想起させます。「シリーズ屈指」には、そのような意味が込められています。

第2節 妙義岳温泉ホテル

 本話は妙義岳温泉ホテルの巫女たちの入浴シーンから始まります。ここでまず注目したいのは、「妙義岳温泉ホテル」の方です。このホテルのモデルは、おそらく妙義グリーンホテル&テラス(群馬県富岡市)で、つい先日の9月19日に妻と二人で泊まってきました(笑)。今年の家族旅行で5月のハニツアーで行けなかった妙義と榛名に遊びに行く予定で、武富先生に助言をいただいたものの一つが、このホテルです。武富先生には7月頃にはお話していたのですが、それを失念されていたのか、旅行当時の朝に「このタイミングで(台風のことではなく)妙義なんですね‼」(2022.9.19)というTwitterの返信をいただきました。その時は第46話「大団円」の最後のコマ、小滝修二の「埴輪徒の方々もよろしければ…妙義岳神社までご同行されませんか 直会(なおらい)をご一緒にしましょう‼」(『漫画アクション』№18.2022.9.20)の方を「このタイミング」だと思っていました。この時すでに第46話(発売日9月6日)を読んでいましたので。武富先生の返信にも「是非「直会(なおらい)」を満喫してきてください‼‼」と強調してありましたし(笑)。ぼくの返信は、それを念頭においた「サーっと読んでしまいましたが、「このタイミング」のとこですね!ちょうどこのタイミングになりました!」です。このぼくの頓珍漢な応答ぶり(笑)。それに対して、武富先生の返信は「そうなんです。このタイミングで、がすごいんですよ。超リアタイ!さすがになにかもってらっしゃいますね」という親切&鬼畜ぶり(笑)!今日の今日まで本話に「妙義岳温泉ホテル」≒「妙義グリーンホテル&テラス」が登場するとは知りませんでした(笑)。

 この種の問題は連載中にしばしば経験したことです。印象に残っているのは『惨殺半島赤目村』を購入して読み始めた次の号が「埴輪徒、再考」(8.2.30、三沢勇人の初登場回)、「ハニワット」という語をめぐってTwitter上である方と議論していたところ、次の連載が「戦士、その名もハニワット」(8.2.31、本編中に「ハニワット」の語の初出回)でした。どちらの時も武富先生がTwitter上に登場し、「このタイミングなんですね」的な発言をしていたのですが、心の中でニヤニヤされていたのではないでしょうか(笑)。

 本話の冒頭で妙義岳温泉ホテルが登場した瞬間、ぼくは爆笑しました。笑いのつぼはひとそれぞれというのはまさにこのことです。まさかこっちが「このタイミング」とは思いもよりませんでした。

 さて、巫女たちの入浴シーンです。最初に注目したのは「お柔里ちゃん、おコトちゃん」ではなくて、「妙義岳グリーン&テラスの女湯の浴槽はL字型なのか!?」でした(妻に確認したら露天風呂部分を含めてL字型のようです)。男湯は長方形なので。この後も戸隠神宮(天硯坊?)での入浴シーンが描かれているのですが、これだけ入浴してる裸体が描かれるエピソードも珍しい。前回は「旅立ちの舞い」(2.1.14)でした。妙義温泉ホテルの入浴シーンは一コマですが、「やーん全然とれない~」のセリフが、鉢かぶり戦の厳しさを物語っています(本当か?)。

第3節 怒涛のジェットコースター

 この「風呂」「食事」=「一息つく」というエピソード後に、怒涛のジェットコースター!落ちるは昇るは、落ちるは昇るはで気持ちの落ち着きどころがまったくないです。呉葉と正春が正式にパートナーになったエピソードの後に、鳥海岳と月岳、さらに旭日山まで大噴火!!。「山形のみならず…東北地方はあまねく黒煙に包まれた…」という大惨事!!!。小松左京の『日本沈没』『復活の日』を想い起させる大パニック。きた!「だだちゃーっ ががちゃーっ 姉ちゃー」(けさん、ナイスアシスト!)。これから始まる流浪衆(るろうしゅ)は、ゴーグルと防じんマスクをつけたままなのか?凛と柔里は南極大陸で再開するのか?などなど、いよいよ『ハニワット』という「世紀末伝説」の始まりが幕開けだ!

 その他にも虚構と現実の入り混じったエピソードが連なります。その一つが宇和原親子の土下座シーン。身につまされます。また「宇和原(うわばら)さんっ‼」という小滝修二のセリフから、「本当に申し訳ありません うちの正春が…」という宇和原家のセリフに至る三コマのために、これまで正春の姓を隠し続けてきた長い長い「仕込み」。これこそ長期間、ハニワットの連載を謎含みで読み続けてきた醍醐味です。それに続く小滝家と宇和原家の合同の入浴シーン。家族全員で裸の付き合いで、お互いのこれまで慰労し合います(正春どうも長男?だったのですね)。武富先生の描く裸体は、どのキャラクターも年齢相応の生々しさがあって、生き物としてのエロさが漂っています。劇画作家のエロってこういうものですね(個人の意見)。また小滝家の方が背中を流しているのが、いいですね。このような手の差し伸べ方、なかなかできるものではないと思います。逆だと、ちょっとひっかかりが残りますが、この形だと「許し」というものがすっと頭に入ってきます。エリの旅立ちが不可避であることと、エリと正春との決別を同時に描く技量。しかも二人の修羅場という形ではなく、正春を除いた小滝家と宇和原家の「交流」という形で描いた素晴らしいエピソードですね。この演出に参りました。

 続くのは、コトとオグナが凛について議論するエピソード。これまではっきりと語られなかった凛の「元の体」の所在が九州の某所として語られています。その「再生」についても具体例を挙げてリアルに語られていて、凛が現在抱えている問題が鮮明に伝わりました。そしてオグナはすぐには流浪に旅には合流しないという予告から、コトがオグナに対してため口をきく理由の一端をうかかわせるセリフが登場します。

 あたしたちにとってはね…長生きのあなたなんかと一年ひと月の一日一秒の重みが全っ然ちがうんだから! のん気な言い方しないでくれるかな⁉

 姉の死、それにまつわる蚩尤の謎を追っているコトからすれば、その緊急性や切実さが伝わらない苛立ちが、彼女の「ため口」に込められていそうです。

 第4節 あの人、仁兄さん―三角関係の終焉

そして、再び柔里、凛、仁の三角関係に本話は戻ります。この三角関係こそが、『ハニワット』という物語の第1部・第2部の人間模様を引っ張て来た縦糸です(本エッセイシリーズ「柔里編」「凛編」を参照)。

 柔里のエピソードは「戸隠神宮」から「戸隠 解藁 熊杉の里」、さらに柔里の実家、仁の部屋として使っていた「離れ」に、ゆっくりとゆっくりと「カメラ」を移動させるところから始まります。まるで柔里の心の裡にそっと触れるように。柔里は一人、仁の部屋で彼との別れの時間を過ごしています。そして、作者が惜別のために最後に選んだエピソードは、「子供は…聞き流せ…‼」という仁の渾身の「下ネタ」。柔里は、そのシーンを思い起しています。ここで仁と柔里のセリフのやり取りを全文を引用しておけば次の通りです。

仁「へっ…あいつは…オレのこっちの方も込みでホレていたからな…」 柔里「え…」 仁「なんでもねェよ‼ 子供は…聞き流せ…マジで……」(4.1.30) 

  このやり取りについて、ぼくは次のように書きました。

この直前に仁は渾身の下ネタを披露するのですが―自分とクマリは深い仲であることを示す―、これも柔里への決別の言葉です。柔里は気づかないようですが…(「柔里編」)

 これが惜別の言葉だったという読み方は間違いではなかったようなのですが、「柔里は気づかないようですが…」という部分は、あたらなかったのかもしれません。柔里は気づいて、しかも「子供は」の部分が一番心に重くのしかかっていたようです。つまり、仁の性の問題も受けとめ、育むことができる成人した女性として仁に見られていなかったということ。あの時に柔里はそれをはっきり理解しており、本話でもそのことを反芻しているという理解が正確かと思います。仁の「妹」発言以前に、柔里は仁から別れを告げられていることがわかっていた。それは「子供」発言なんだということが、今回、はっきりしたように思います。そして柔里が仁に対して吐き出した最後の言葉は、「うるさいよっ‼」。「子供」としか見られていなかったことは分かっていた。そういう意味でしょう。柔里ちゃん、つらい恋でしたね…。

 そして柔里は、見送りにきてくれた近所の方々に対して、「姉と父を…それから仁兄さんを…よろしくおねがいします‼」と語ります。「仁兄ちゃん」という「子供」っぽい呼び方から、「仁兄さん」という大人的な呼び方への変化。仁との別れだけでなく、「子供」時代の自分との別れ。この「仁兄さん」という呼び方には、そんな彼女の決意を感じました。その後に、姉に対して甘えたところで、甥や姪に「あははユリ姉ちゃん子供みたーい」と突っ込まれるところが、その決意が始まったばかりだというのが良くつたわり、柔里の可愛らしさも加わってていますね~。

 そして、実際にぼくがうどん屋で本話を読んでいて感涙した柔里のセリフは、「……あの人は?」です。凛に対して「あの人」と呼ぶ柔里。泣くよ、ここ。「あの人」という三人称代名詞は辞書的な意味でも、「遠く離れた人」という意味の他に、「恋人や夫」の意味があります。『横浜たそがれ』の「あの人は行って行ってしまった」の「あの人」ですね。ぼくは、こちらの「あの人」で取りました。だから感涙。その後、柔里はエリに「舞いを捧げて亡くなった」「チカ」のことを思い泣いた凛について次のように語ります。

あいつが…あんなふうに声をあげて泣くなんて……‼ なんていうか…ショックで…

 これに対するエリの答えは、あくまでも一緒に戦った巫女に対するものだというもの(エリのセリフだけ抜き出します)。

 大丈夫!凛さんはきっと―あたしたちが死んでも…おなじようにあんなふうに泣いてくれるよ‼ ん…?ユリ…? 無理ないよ!ユリが主巫女(アチメ)なんだもん 気にしない!気にしない!

 エリちゃん、鈍感?凛に恋心を懐いて鈍感になった?柔里は、おそらく凛を主巫女としてだけでなく、一人の男性、恋人としても意識しているのと思うのですが。エリと分かれた後の柔里の表情は「ちょっとわかりにくかったかな?」「まだ早かったかな?」という表情。そして、エリの表情は「やっぱり柔里は凛を好きなんだ」という表情ですね。エリの方が恋愛巧者のようです。上手いなあ、この漫画の作者。

 そして本話最後のセリフは柔里の

ふう… そうだよね… きっといい旅になる…!

 思い切って柔里なりの恋愛相談だったのに、なかなか伝わりませんでしたね(伝わっていたけど、エリにかわされたんだよ…)。どうやら、第3部では、柔里が凛の主巫女に徹するのことが出来るのか?それとも恋人としても踏み込んでゆくのか?その辺りの葛藤も描かれそうで楽しみです。

 最後に「柔里編」で書いた第1部・第2部に対するぼくの解釈を引用して終わりますね。

第1部「長野善光寺編」は柔里と仁の別れ、第2部「妙義横川&庄内飛鳥島編」は柔里が凛と共に生きることを決意する物語です。つまり第1部と第2部は二つ一組の物語になっています。


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