白

2019年8月19日

 

 7月18日に京都アニメーションを襲った放火殺人事件から1ヶ月ほどが過ぎた。犠牲者は35人を数え、加害者とされる人物を含め、現在も多くの身体的・精神的ダメージを負った人々が手当てを受けている最中だという。戦後最大とされる規模の事件ということもあり、その巨大にして凄惨なダメージの内容を、ネットやテレビなどの各種メディアが連日報じ続けている。

 それらの詳細はここでは振り返らない。だが、とてつもなく痛ましい事件であることは疑いようもない。被害に遭われた方々が受けた深刻な傷は、想像することすら耐え難い。また、同社が制作していた作品のファンからも、悲しみの声が続いている。現場近くに設置された献花台には、酷暑のなかファンが列を作っている。涙を流している。彼ら彼女らにとってもこの事件は、耐え難いものであっただろう。
 筆者も同様である。事件当日の一報を受けてから今日に至るまで、続報を知るたび、周囲の人間がこの件について話すのを聞くたび、身を裂かれるような思いで過ごした。涙を止めることができなかった。

 いまだ絶望のさなかにある。
 SNSを開くだけで憂鬱な気分になり、アニメを観るだけで胸が苦しくなる。そんな身体になってしまったことに驚いている。批評を書くものであれば、この巨大な事件の発生に何らかの社会的「意味」を見出し、歴史的な「反省」の材料を積極的に取り出してみせるべきなのかもしれない。期待されているのかもしれない。だが、いずれはこの事件をそうして総括することが、記憶に留めることができるのだとしても、今日までの筆者には、それをする気も起こらなかった。(だが、何よりもまず、この犯罪の現実的な再発防止策は、最優先に考えられなければならない。とくに、ガソリンの取り扱い、受け渡しにまつわる手続きは見直されるべきだろう。その向きには全く異論はない。)

 にもかかわらず筆を取ったのは、今まさにこの身を裂く、喪われたものについての思いを綴るべきだと直感したからだ。そして不謹慎を承知の上で続ければ、これを書くことで、書くことの喜びについてもう一度考えたいからだ。ゆえに、以下に書き連ねる文章は、きっとまとまりのない、足取りの重いものになるだろう。社会時評を期待するどころか、個人的な営みでしかないものになるだろう。あらかじめ断っておく。



 喪われたものについて書く。そもそも、それがもっとも難しいことなのかもしれない。

 この事件をめぐってメスメディアやSNSに飛び交う言葉を毎日のように眺めている。怒りと憐れみ、二つの感情が大きく渦巻いている。

 怒りの言葉は分断を差し向ける。
 いまだ集中治療を受けている状態にあり、事情聴取に応じることのできない犯人の動機を、報道される情報をにらみながらネット上での情報収集によって熱心に推察し、代弁する人々。あるいは、京都アニメーション制作の作品に、それを好んでいたファンの性質にこの悲劇の発端があったのではないか、と遠因を分析する人々。しかしこれらはいずれも、報道から抽出される当事者たちの属性をもとに、「私(たち)はいかにこの特殊な人(たち)から遠いのか」を表明するものに帰着しているように思える。アニメオタク、鉄道オタク、匿名掲示板利用者、前科者、ロスジェネ、独身男性、精神病者。そんな属性をもつ彼は「一人で死ぬべき」だったと。
 いまだ確たる動機を語りえぬ犯人の手前で、怒りの矛先は「点」としての行き場を失い、断片的に現れた「面」たる彼の属性へと向かい、そこに分断の「線」を見出すことに執心している。一方で「オタク」を切り出そうとこの線を引くものが現れれば、他方、これに抗して「精神病者」を切り出さんと線を引き直すものが現れる。特定の民族、マスコミ関係者をそのなかに引き入れようとする陰謀論までもが現れた。これがもっとも悲しく、恐ろしい。そのような加虐性を伴った分断と嗤いこそが、犯人の語る「動機」に説得力を持たせてしまう。
 怒りの言葉は、犯人を自己の属性の外におき、分断の線を引く。彼を埒外のものとする分断の線は、いつの間にか、庇護したい自己のテリトリーを表すものへと転化する。そして各自が、テリトリーの外にあるものの視線に恐怖し始める。恐怖は嗤いに容易に反転しうる。事件を引き起こした彼も、被害に遭ったスタジオ・関係者も、この「日本社会」という属性のなかに同時にあるものだという当たり前の言葉が、今もっとも遠いものに思えてならない。
 あまりにも巨大かつ凄惨な被害をもたらしたこの事件への分析は、像をつかめない犯人の存在へと想像を集中させ、その言葉は空転し、私たちを分割する。

 憐れみの言葉はリセットを望む。
事件直後より、京都アニメーションに対して国内外から多額の寄付金が届けられている。その総額は、数十億に届く勢いだという。これらの寄付金は、もちろん被害者(ならびにその遺族)の支援へと向けられるが、掲げられている標語としては、京都アニメーションの再建を望むものを多く見つける。事件後ほどなくして放送されたNHKの特別番組は「日本の宝よよみがえれ」と題されたものであった。また、SNSで発見された関係者の情報を収集することで安否確認を取れていないものをリストにまとめ、名前の伏せられた35人の犠牲者(8月3日、うち10名の氏名が発表された)と照応させようとする動きもすぐに見られた。
 彼ら彼女らの安否確認を通して、同スタジオが手がけていた制作中の作品の進行を憂う声も多く上がっていた。しかし他方では、スタジオに保管されていた原画データが復旧したり、一部の作品が予定通り公開されることが決定したりすることを報じられるたび、そして政府関係者から同スタジオへの支援金を検討する旨が漏らされた際には、歓喜の声が上がった。被害者遺族へのマスコミの過剰な取材が露呈すれば、それを非難する声が集まった。先の「分断」と比して、こちらでは「経済的支援」を合言葉にした大規模な合流が見られる。特定の業界内外どころか、国内外すらもを大きく横断した「京都アニメーション支援者」の網目。事件への解釈をめぐって分断する他方での、経済的支援の合流。
 これらの経済的支援が有意義なものであることは疑いようもない。被害者(ならびにその関係者)へのケアはもちろんのこと、同スタジオの復興がその後の彼ら彼女らの支えになることも、寄付に参加した人々の願いがそうしたものであることも、疑いようもない。筆者もそう願って参加したし、これからも機会を見つけてはそれを繰り返すだろう。しかし、事件への憐れみの感情が、喪失のディテールへ接近することを禁じ、再建への祈りに向かうだけで良いのだろうか、と思い悩む。
 寄付金の額と共に様々な著名人が名乗りをあげ、犠牲者の名前と彼ら彼女らの担当工程が明らかになるにつれ、「経済的支援」の標語にマスキングされた彼ら彼女らの悲しみを思う。再建に必要な目安とされた金額、重要な工程を握っていたとされるスタッフを並べる目線は、今回の事件での喪失を、交換可能なものと、交換不可能なものとに冷静に振り分ける。だが当然のことながら、アニメーションは集団制作による芸術表現であり、喪われた命は一つ一つの名前をもったかけがえのない才能である。京都アニメーションが制作体制を取り戻し、作品の提供が一見元どおりになったとして、その時私たちは、これまで通りに作品を楽しむことができるのだろうか。
 あまりに同社作品の性格と乖離した悲劇をもたらしたこの事件は、憐れみの感情をリセットへの祈りと転化させ、交換不可能な喪失に向き合うことを踏みとどまらせる。

 「何が喪失させたのか」という怒り、「喪失を取り戻したい」という憐れみ。
喪の感情が二つに分裂している。とくにSNSにおいては、「何を喪失したのか」という、喪われたものへの思いが置き去りにされているように見えてしまう。それは一つに、メディアの構造の問題なのだろう。悲しみはそもそもが孤独で、ダウナーな感情である。雄弁な感情ではない悲しみは、アッパーな連帯を支援するメディアでは表明、拡散しにくいものなのだろう。先に挙げた両者もまた、この悲しみを個々に抱えた運動であることを疑ってはいけない。
 だが、犯人がもし帰らぬ人となったとして、あるいはもし回復して「動機」の詳細を述べたとしても、怒りの焦点は像を結ぶどころか、むしろさらに分断の混乱をきたすのかもしれない。そして繰り返しになるが、「憐れみ」の祈りが実り、京都アニメーションの作品が以前のように提供されたとして、私たちは以前と同様に作品を楽しむことを躊躇するのかもしれない。犯人がどのような時代性の象徴として論じられるのであれ、制作中であった作品の完成に立ち会えるのであれ、彼が喪わせ、取り戻すことができなくなった、交換不可能な喪失について、いずれふたたび思うことになる。
 しかし、そうであるとして、やはりこの喪失に向き合うことは難しい。もちろんこの困難には、現在もマスコミ各社が報じているように、被害者氏名の公表について必然性が再検討されていることも含まれる(筆者個人の意見としては遺族の意思が何よりも尊重されるべきだと考える。ミニマムな報道行為が一般化している今だからこそ、もし公開が社会的意義にかなうのだと取材者が考えるのなら、それを各人へ説得することも含めて「報道」に求められる職能だと捉えるべきだ)。だが仮に、喪われた被害者の氏名がすべて公開されたとしてもなお、この喪失に向き合うことの難しさは残るように思う。


 なぜならばそれは、アニメ作品に「名前の喪失」を観ることを意味するからだ。

 筆者は今回の事件のショックを受けて、改めて、アニメーションを観ること、とくに日本のテレビアニメ作品を観ることの不思議さを深く思い直した。アニメーションとは集団制作の映像作品だ。本来はばらばらに描かれた絵を、私たちは仮現運動という錯視によって一つの運動体とみなす。これがアニメーションの鑑賞体験だ。そして、日本のテレビアニメの製法は、手塚治虫が採用し応用した「リミテッドアニメーション」なる手法をなぞったものである。これは、乱暴にまとめて仕舞えば、作画枚数を大幅に減らすことで、少しギクシャクとした動画に仕上げる手法を指す。
 結果として、以降日本で制作されたテレビアニメの数多くは、ディズニーアニメーションをはじめとするような「フルアニメーション」に比して、カット毎に絵柄のタッチが変わっていたり、それらのキャラクターに同一性を担保するために声優の声がもたらす聴覚情報が肥大したり、といった特徴をもつようになった。筆者は、このような映像の特徴が、「作画オタク」や「声優オタク」といった存在を作ったのだと実感を伴って捉えている。カット毎に露出した不連続な作家性、それらを縫合する声のあからさまな弁別性。
 固有名をもった無数の作家性を高密度に連続させることで、「多数の固有名の存在に気づかせず一つのキャラクターを記憶させる」ことがアニメーション本来の詐術ならば、上記のような日本のテレビアニメは、不連続が露出した映像であるからこそ「露出した多数の固有名の存在を忘れ一つのキャラクターを記憶する」視聴者の態度がなければ詐術が完成しない映像となった。繰り返しになるが、オタクの端くれである筆者は、実感に即してそのように思う。作画スタッフや声優の名前を見つけ追跡し、彼ら彼女らの固有性を見つけつつも、孤独に映像に向き合うときには、それらの存在を忘れなければキャラクターは生きない。逆に言えば、そうであるからこそ、キャラクターは特定の名前に帰属せず、自分の手元でだって生かすことができる。

 いくつかの特徴としての共通項を満たすことができれば、キャラクターを引用することができる。アニメに見つけられる無数の固有名は、キャラクターの解釈の数として現れている。だから私たちは、その一つを愛し、また新たに作ることができる。筆者は、そのようにアニメを愛してきた。ギクシャクした動きを作り、カット毎に顔や体型が細かに変わり、聞き覚えのある声で語りかける映像には、そうであるからこそ、「共に作る喜び」が満ち満ちて表れている。そして京都アニメーションは、なかでも高品質な映像を作ることのできたにもかかわらず、この喜びを作品外からも歓迎するような作品を産み、育てた会社であった。
 ニコニコ動画に多数アップロードされた二次創作と戯れるように作られた映像、実際に存在する場所を精緻に模写して描かれた背景。それ自体が独立して視聴されることを前提にしたダンスと楽曲。京都アニメーションは、アニメに潜在的であったこの喜びをさらに顕在化させ、制作側自ら視聴者に明け渡した。余談ではあるが、筆者が批評を熱心に読み追いかけるようになったのも、京都アニメーションを含むこのようなゼロ年代の動向を追ったいくつかのサブカル批評が現れてからのことだった。ここでは詳細を述べることはしないが、間違いなくいくつかの「ゼロ年代批評」の論者にとっても、京都アニメーションの作品は特権的な位置にあった。
 ときにはキャラクターや設定を、ときには場所や楽曲を、引用し創作する。「二次創作」がこれを縮めて表現する言葉であったのなら、いわゆる「ゼロ年代批評」もまた「共に作る喜び」を分かち合うものであったと、当時読者であった筆者は思う。だからこそ、その喜びを共有してきたものとして、この事件のショックは耐え難い。


 一方で、一つのキャラクターの裏には無数の作家の名前が関与していたことを知っている。だが他方で、それらの特定の名前に帰属させないことでキャラクターが生きてきたことを実感している。

 交換可能な死など存在しないが、キャラクターは交換可能な生を歩むように見えてしまう。ふたたび制作されるのかもしれない京都アニメーションの作品に、そのキャラクターに、私たちは名前の喪失を感じ取れるのだろうか。感じることなく快適に作品を楽しむことができたとして、それで良いのだろうか。亡くなった35人の命を作品外で弔い、各作品内ではその喪失を忘れキャラクターの命が連続していると感じる。そんな器用に私たちはできているだろうか。では、喪われた才能と共に、キャラクターも喪われたのか。それとも、キャラクターを変わりなく生かすことが、彼ら彼女らへの弔いになるのだろうか。

 ニュースやSNSで事件の凄惨さ、犯人が抱えた暗い背景を知れば知るほどに、なんとかこの悲劇の遠因を作品から遠くにおきたいという「怒り」に感染する。他方、作品や二次創作群を今一度観なおしてみれば、事件の内容からあまりにかけ離れた優しい空気に、むしろキャラクターをこの悲劇に直面させまいとする「憐れみ」を感じてしまう。胸が苦しくなる。
 個人的な印象に過ぎないのかも知れない。だが筆者は、冒頭から何度も述べたような、いっけん分裂しているように見える二つの感情の表れに、喪われた名前とキャラクターとの間で孤独にさまよう悲しむ「喪」への戸惑いが通底しているように思えてならない。私たちはどのように、喪われた才能へ、感謝とお別れを込めて、キャラクターをまなざせばよいのだろうか。私たちはどこに、この記憶を刻めばよいのだろう。


 傷を負ったのは、「共に作る喜び」に他ならない。
 「怒り」は、犯人が口走った「パクりやがって」という言葉をまともに取り合うことを拒否する。彼は、京都アニメーションが過去におこなった小説の公募に複数回、自作を送っていた。その小説から、同社作品へアイデアが剽窃されたと彼が感じていたのではないか、と解釈されている発言だ。その小説は一次選考で落選していたとのことで、剽窃の事実があったとは考えにくい。しかし剽窃の事実の有無をおいても、たとえ彼の妄想の帰結だとしても、この発言がなぜ京都アニメーションに向いてしまったのか、という衝撃は変わらない。作品内外にわたって「共に作る」ことへ優しく開かれていたはずの場所へ、喜びを共有するどころか搾取を確信していた人間がありうることが、とても信じられないからだ。
 「憐れみ」は、喪失した名前の引用を思いとどまる。先にも述べたように、「共に作り」キャラクターを生かすことは、そもそもが幾多の作家の名前を交換可能に扱うことに等しい。また、喪われた名前がすべて公開されたとして、名前の喪失をキャラクターに刻むことは難しい。
「怒り」と「憐れみ」は、この事件がもつ二つの引用不可能性を前に苦しみを抱えたものであるように思える。京都アニメーションの作品を親しんだものにとって、この喪失が負った傷は、これまでのような「二次創作」では引用できないものであり、その意味でこの傷は、不可視なままに私たちを引き裂いているのではないだろうか。先に述べた、筆者自身の「身を裂くような思い」とは、このことだ。

 作品外の現実と作品内の虚構は、そもそもが強く分かれているべきだという向きもあるだろう。この戦後最大規模の放火殺人事件は、アニメのような絵空事からは遠く離れた凄惨なものであり、粛々と現実社会での対応を見守るべきだと。また、今後京都アニメーションの再建が叶ったとして、彼ら彼女らが手がけるのはこれまでのように優しさに満ち満ちたエンターテイメントなのであって、不謹慎な目線を向けるべきでないと。「怒り」と「憐れみ」の分化も、だからこその必然なのだと。
 しかし、その二つを視界を行き来するのが、一人の人間だということ忘れてはならない。現実への「怒り」だけでは、京都アニメーションという現場、オタクという人々、あるいはより細かに犯人と共通をもつ者を遠くへおきなおす分断に終始してしまい、虚構への「憐れみ」が、それだけでは喪失を交換可能なものに置き換えてしまいかねないリセットに通じてしまうことは、これまで述べた通りだ。この規模の事件を、「特殊な人たち」のなかで起こった局所的な影響に留まるものとフタをする向きは、むしろ現実的ではない。また、ほかでもない京都アニメーションで起こった出来事であるからこそ、アニメ作品をエンターテイメントとしてふたたび楽しめるものに戻すためには、この喪失が何であったのかに向かい合わざるを得ない。


 現実と虚構が分かち難く繋がってしまった他方、私たちを二つに切り裂く傷は、このあいだに不可視のままおかれている。

 そしてもとより、この国のアニメは、一見もっとも現実から離れた虚構であるにも関わらず、ときに現実よりも克明に現実を写し取ってしまうものであった。とくに『新世紀エヴァンゲリオン』以降のアニメを扱ったサブカルチャー批評は、「ゼロ年代批評」も含め、この虚構と現実が奇妙に関係する通路について考えるものであった。このようなムーブメントを牽引した一人である批評家・東浩紀は2011年3月11日の東日本大震災を受け、「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」とし、ゼロ年代批評の意義について問い直した(『思想地図βvol.2』)。「一億総中流の幻想はとうのむかしに消え」、「平等を超える理念をなにひとつ産み出してこなかった」戦後の日本において、「格差の拡大は確実に連帯を蝕」み、「失われた二〇年」にはその事態が進行した。犯人もまたこの時代の当事者だ。
 続けて東は、ゼロ年代批評の主張の核心は、平等幻想が失効するなかで「みな同じ」の感覚を取り戻すため、ネットカルチャー、ポップカルチャーの消費に新たな連帯の可能性を見出すものであったとする。彼はこの構想を改めて「消費の平等」と名指し、自分もこれを支持してきたことを認めたうえで、「けれども、震災後のいま振り返ると、その試みは、なんと脆弱に、そしていじましいものに見えることだろう」と告白する。以後、現在に至るまで東は上記のような批評からは距離をおくようになる。

 震災と今回の事件は、もちろん規模も内容も大きく異なるものだ。両者を直接に並べることはできない。しかし筆者は、事件のあと「身を裂かれる思い」に駆られながら、何度もこの言葉を思い出した。2011年4月、京都アニメーションがリリースした作品は『日常』であった。同年6月には音声通話、チャット機能を備えたSNS「LINE」がリリースされ、若者にとっての通信のインフラとなった。また、奇しくも同年は、YouTubeが動画再生数に応じて広告料をアップロード者に還元する機能を一般解放したタイミングでもあった。
 それから現在に至るまでの8年のあいだ、スマートフォンが一般に普及し、ニコニコ動画は存在感を薄め、AbemaTVが放送を開始し、「小学生のなりたい職業」にYouTuberがランクイン、2ちゃんねるは5ちゃんねるへ改名し、SNSを舞台とした劇場型犯罪も世界的に多発するようになった。精神病者を「晒す」投稿も散見されるようになった。インターネットはいまやデスクトップパソコンで接続する「名無し」たちが溶け合い遊ぶ場ではない。スマートフォン利用者が各種SNSを連携させ、「好きなことで、生きていく」人々を名前を明かしてフォローする「個人」の場となった。マスメディアとネットメディアのあいだをインフルエンサーが行き来することが当たり前になった現在、両者を「顕名のメディア」「匿名のメディア」と二分することはもはや時代錯誤だろう。いまや両者の境界は極めて曖昧で、「顕名性の強弱」がそれぞれの舞台に現れているだけだ。
 震災以後の、このような実感を込め、先の東の言葉に修正を加えたい。東が総括した「年収三億の起業家も年収三〇〇万の非正規雇用労働者も同じようにオタク」とする「消費の平等」とは、「匿名の平等」に裏打ちされたものだったのではないか。そして、「ばらばらになった」感覚が各自の背景にある格差の露出であるのなら、フォロワーや「いいね!」「リツイート」の数をにらみながら、ときに過激な言論やパフォーマンスに人々を駆り立てる現在の情報空間は、「顕名の不平等」を感じさせるものとなっているのではないか。


 「消費の平等」は「匿名の平等」に裏打ちされている。ならば、「顕名の不平等」に裏打ちされて可視化されるのは、「制作の不平等」だろう。

 「匿名の平等」に代わり「顕名の不平等」が、「消費の平等」に代わり「制作の不平等」が全面化するなか、ゼロ年代批評はアクチュアリティを失う(余談になるが、ここ数年でもっとも広く人口に膾炙したであろうネット発のポップカルチャー、「バーチャルYouTuber」なる動画制作のフォーマットは、この実態をマスキングする手法としても支持されたのではないだろうか)。そんななか、京都アニメーションは『日常』を蝶番として、変わらず作品を届け続けた。キャラクターや楽曲、聖地巡礼など、「共に作る喜び」を以前のように愚直なまでに届け続けた。筆者には、そのような同社作品の一貫性は、今となっては現実逃避どころか「共同制作の平等」そのものを提供し続けた運動であったように映る。個人制作が顕名性の強弱を争い、匿名の平等を楽しむ場所が圧迫されるなかで、同社の作品はそれ自体が「共同制作の平等」を守る場所となっていたのかもしれない。

 演劇や軽音を楽しむ学生たち、モンスターたちとの共同生活など、一見すると現実世界から乖離した「日常」には、それがいかなる環境の変化においても変わらず描かれ続けたという点で、彼ら彼女らが現実に守り運営した「共同制作の平等」が描かれている。

 傷ついたのは、「共に作る喜び」、それを信じ続けた日常に他ならない。
 犯人が京都アニメーションに受け入れて欲しかったのは小説という形式の制作物だった。彼は同社作品の「原作者」として名前を刻みたかった。個人制作を不当に搾取されたと(事実は異なるとしても)訴える彼の言葉は、「顕名の不平等」を訴えるようなものに映る。それは決して擁護できない動機であるし、そのうえ、間違っている。京都アニメーションの作品は、そのような不平等に抗する「共同制作の平等」を守るものであったからだ。だからこそこの悲しみは、彼ら彼女らが描き守った「日常」を、本当の意味で虚構に帰してしまう。
 しかし、キャラクターを再び生かすべく「匿名の平等」をいま一度信じることは、喪われた名前を忘却することにつながってしまいかねない。喪われた才能の一つ一つはたしかに名前をもって、私たちが愛し引用したキャラクターたちの一部一部を作っていた。また、早すぎる再建への祈りは、当人たちの意思とは別にして、再建にかなう名前の有無を判断するまなざしにつながってしまいかねない。「顕名の不平等」を作る視線を、私たち自身が犠牲者に対して向けてしまいかねない。これも、京都アニメーションがこれまで提供してくれたものとは逆行してしまう。


 京都アニメーションが庇護した「共同制作の平等」は、「共に作る喜び」は、剥き身となって「顕名の不平等」に晒されつつある。

 怒りと憐れみは、二つの引用不可能性を前にして分裂した、喪の感情である。匿名の平等が顕名の不平等にとって代わる現実のなかで、京都アニメーションが虚構を通して育んだ夢は、共同制作の平等であった。傷を負ったのは、この夢を信じてきた日常である。犯人の言葉はこの夢をばらばらに打ち砕くものであり、喪われた名前は散らばった夢の欠片に刻まれている。
傷を癒さないままでは、夢を取り戻すことはできない。不可視の傷は私たちを引き裂き続ける。ばらばらになった夢をいかにつなぎなおし、新たに作り変えるのか。表裏に引用不可能性を抱えたこの傷を癒すには、いかなる形でも、「私たちを繋ぎなおす傷」としてこれを記憶しなければならない。引用できる傷にしなければならない。では、この「傷」をどのように言い換えることができるのか。

 筆者はそれを、「二次創作」という言葉を捉えなおすことで考えたい。
 犯行そのものは決して許せないものであることに変わりはないが、彼もまた京アニの人々と共に作りたかった人間の一人であった。しかし彼は「オリジナル」の作家でありたかった。キャラクターは喪われた彼ら彼女らの手元とつながって生き続ける。だが、喪われた名前の一つとして「コピー」できるわけがなく、また彼ら彼女らもそうしてきたわけではない。筆者は、「二次創作」という言葉の限界を感じている。
 この言葉は、これまで京都アニメーションが提供してきた夢、そしてこれから提供されるかもしれない夢を表す語としては、そもそもとても解像度が粗いものであったのかもしれない。「二次創作」という言葉では、創られたあとの、事後的な創作物たちの関係を第三者的にしか捉えることができず、それは常に「一次≒オリジナル」と「二次≒コピー」の二項関係を想起させてしまう。顕名と匿名の二項対立を想起させてしまう。そして、その対立はこれまで述べてきた喪への戸惑い、怒りと憐れみの分裂に、そして不平等の訴えにつながっている。
 ゆえに筆者は、「傷」を受け砕かれた夢の象徴として、この言葉を捉え返したい。「二次創作」という言葉が誘発しうるミスリードは、そもそも私たちに不可視のヒビを走らせていたのではないだろうか。であるならば、この言葉は本来どのような営みを指すもので、何を試みるものであったと言えるのか、こぼれてしまった可能性を掬うために今一度考え直す必要がある。

 「二次創作」という言葉が指すのは、一方に顕名のオリジナリティがあり他方に匿名的なコピーの群れがある、という単純な優劣、主従の図式ではなかったはずだ。解像度を上げ捉えなおすべきは、この言葉に著される「創作」のディテールである。当然のことだが、創作物が手渡され別の人間に描かれ直される瞬間瞬間、彼ら彼女らの創作は、二者関係のなかで思い思いの継承関係をつくる、一回限りの孤独な営みであったはずだ。
 「二次」に力点をおいてしまっては、「二次創作」という言葉は、「一次―二次」という固定された二者関係を指す言葉としか捉えられない。だがこれはあくまでも「創作」という営みを指した言葉であり、力点はそこにある。たとえ模倣のための創作であっても、模倣・引用の限界を迫られることで、「彼なり彼女なりの類似」をつくってしまう。「二次創作」とは、二者関係そのものを新しく作りなおす営みを指す言葉であったはずだ。そして、アニメーションを観るという経験は、この両者の連続性を確かめることで、時間を幻視するものであったことも忘れてはならない。私たちは、無数の二者関係を通過する類似をキャラクターと呼び、ここに確かめた変容によって時間を見出している。

 類似(キャラクター)を作ることが、同時に、変容(時間)を作っている。一つの共同制作のタイムシートには、継承関係が幾多も編み込まれている。私たちが複数の継承関係を総覧し、運動するキャラクターを取り出すとき、一つの流れをもった変容もそこに見出されている。


 ゆえに、キャラクターを愛するということは、時間を愛するという、孤独な営みを意味する。

 そこに確かめた生命は、特定の誰かに帰属させることのできない「変容し続ける類似」そのものだ。であるからこそ、彼・彼女に次に訪れるであろう変容を孤独に信じることでしか、それは生き続けることができない。「二次創作」に私たちが確認するのは、それぞれが信じた変容の違いであり、しかしそれぞれを確かに横断している類似である。そうしてキャラクターが生きる時間は実感される。
 したがって「二次創作」とは、本来は分かたれているはずの二者に、新たな関係を見出す営みを指すと言えるのではないか。無関係であるはずのものに類似を感じ、それが今かけがえのない変容を遂げているように感じられるとき、私たちはそこにキャラクターの存在を感じる。そのような「二次創作」のもっとも原初的な体験として、切断が露出したものたちを連続したものとみなす「アニメを観る」という行為がある。キャラクター(類似)と同時に変容(時間)を作るということは、二者関係を解きほぐし、新たに捉え直すことに他ならない。それこそが筆者がアニメを通して、京都アニメーションの作品を通して知った「共に作る喜び」である。

 関係を幻視する力。それが、「二次創作」なる言葉が指す営みを、解像度を上げて注視することで見えてくるものだ。現実と虚構が耐えがたい喪失によって結ばれてしまい、怒りと憐れみ、顕名と匿名、制作と消費、オリジナルとコピーが、事件をめぐってふたたび強く分かたれるとき、私たちはこの力をこそ使い、現実と虚構の関係を新たに作り直さなければならない。それは、喪われてしまったものと遺されたものの関係を、この「傷」によって、新たに作ることを意味する。
 この営みを「二次創作」と呼ばずして何として新たに呼ぶべきか、筆者はまだアイデアをもたない。だが、萌芽を見出さずにはいられない作品が一つ思い浮かぶ。


 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、第5回京都アニメーション大賞を受賞した同名の小説を映像化したものである。本作は、事件発生直前まで京都アニメーションが続編の制作を続けていたアニメであり、その原作は、長らく該当作無しとされていた同賞の初の受賞作でもあった。同賞へは過去に、犯人のものであろう小説も寄せられていたようだ。

 類稀なる戦闘能力をもっていることで「武器」と称され、戦争に派遣され続けた少女ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、激化する戦火のなかで失われた両腕に代わり、金属で作られた義手を得る。退院した彼女は、とあるきっかけで勤めることになった郵便社で、「自動手記人形」なる手紙の代筆サービスに従事する。それは、かの戦闘で未帰還となった大切な人、ギルベルト少佐が最後に残した「愛してる」という言葉の意味を知るためであった。様々な依頼者との交流、様々な書面の代筆を通して、彼女はまるで理解ができなかったその言葉の意味を、徐々に知ることになる。
 続く物語の展開はここでは詳細には触れないが、筆者がこの作品に強く惹かれたのは、本作がこれまで述べたような「二次創作」を、キャラクター自身の手によって自己言及的に描こうとしているように思えるからだ。ヴァイオレットが従事する「自動手記人形」は、依頼者が代筆を頼む書面を、タイプライターによって文字に起こす業務を任されるものだ。タイプライターは当然「自動」ではなく、操作も訓練を必要とするものなので、彼女たちは自動の「ドール(人形)」と比喩的に称されながら要請されている。その比喩は当然のこと、ヴァイオレットにかつて向けられていた「武器」という呼称と類比的に重ねられている。物語は、彼女が「愛してる」の意味を知る過程を描くものであり、したがって私たちは彼女が「人形」でなくなってゆく様子を観ることになる。
 だが、むしろ本作においてもっとも輝くのは、個々の代筆に際して「自動的」であろうと努めるヴァイオレットの姿だ。依頼者の真意を断片的な文から汲み取り、装飾を加えた美文を作成することのできる先輩たちにならって仕事を始めるヴァイオレットだが、彼女にはそれがうまくできない。彼女は与えられた具体的な指示、与えられた具体的な文面をもとに形式的な処理を加えた仕事をすることしかできない。つまり彼女は、「行間」を読むことができない。このギャップに悩むヴァイオレットだが、代わりに彼女は、文字通りに「自動手記人形」であることを徹底しようとする。文が止めれば依頼者の指示を愚直に仰ぎ、依頼者が書面を離れてこぼした独白ですら文字に起こす。ときには、それによってディスコミュニケーションが生じようとも、続く対話を文字に起こす。愚直なまでに「自動的」であろうと努める彼女の姿は、ときに書面の向こうに待つ人物を依頼者に幻視させ、完成した書面は映像のなかで、依頼者自身の声で朗読される。
 ほとんどのエピソードにおいて、ヴァイオレットが積極的に書面に介入的な操作を加えているようなシーンは見られない。タイプライターのキーの上を機械的に踊る義手の指は、「自動的」である彼女の姿を強調する。ヴァイオレットの声が書面を読み上げることは、ほぼないと言ってよい。彼女がおこなった代筆は、いっけん文字起こし以上のものではないように思える。しかしその書面には、依頼者がヴァイトレットとの時間を経て得た、たしかな変容が織り込まれている。依頼者の言葉に導かれる彼女は「行間」を読めないが、彼女に導かれて依頼者が「行間」を文字に起こしている。そしてヴァイオレットは、できあがった書面に、少佐から受け取った「愛してる」という言葉に類似する感情を見つけ、次の依頼へと赴く。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が描くのは、類似(キャラクター)を作るための営みが変容(時間)を作ってしまうという、「二次創作」ひいてはアニメを観ること自体に潜在する創造性なのではないだろうか。

 「自動的」な模倣に導かれて作られたはずの書面が、ヴァイオレットの手によって変容を歩んでしまう。書面が、依頼者の声によって読み上げられることで、「自動的」に彼・彼女自身のかけがえのない一部となってしまう。ヴァイオレットは、完了した依頼に記憶との類似を新たに見つけてしまう。ヴァイオレットは意図せず依頼者を「二次創作」し、依頼者もまた意図せず書面によって彼女を「二次創作」している。アニメーションによる映像化であるからこそ本作には、その交雑のなかにある孤独が、多元的に表されている。書くこと、読むこと、見ることは、どれも当人の外の何物かに導かれる「自動的」な営みでありながら、当人でしかあり得ない孤独を歩む営みでもある。
 本作が胸を打つのは、その寂しさも喜びも、等価に慈しみをもって美しく描いている点だ。ヴァイオレットは部屋で一人、少佐の瞳の似姿として持ち歩くエメラルドグリーンのブローチを噛む。その姿には、彼をつなぎとめる言葉を作れないまま、彼の類似物を見る寂しさが表れている。「自動的」にキーの上を踊るヴァイオレットの義手が、生き生きと運動し、暖かく輝いている。その姿には、導かれ手を動かすことの喜びが表れている。


 共に作ることがもたらす、それぞれの孤独。関係を幻視することで、新たに作られてしてまう孤独。その孤独さを寂しく歩むことの、喜び。

 原作から映像化まで京都アニメーションのなかで完結している本作が、「二次創作」のリレーを思わせるような物語を描くものでありながら、そのなかでの孤独さを際立たせ解釈させる作品であることを、筆者は強く記憶したいと思う。本作に表れた「二次創作」は、同一のキャラクターを通してみな同じ、という幻想をもはや意味しない。その営みは、キャラクターを通して何者かとの関係を新たに作りなおす運動を指す。だがそれも、二者が同じになることを意味しない。人は他者を通して孤独を捉えなおすことができる。新たな関係は新たな孤独を歩む。その寂しい道のりを導き手伝う喜びとして、たとえばキャラクターという類似は見つけられる。
 二者のあいだに見つけられたものが、互いの孤独を新たに導く。本作に教えられたように思える、この営みの寂しさと喜びを、「二次創作」に代わってなんと呼べばいいか、筆者にはまだわからない。これからも大切に考えたい。だが、ヴァイオレットが意味を求める「愛してる」が、この営みのなかで発される言葉であることは確かだ。


 私たちはそもそもばらばらである。キャラクターは孤独を取り除くものではない。しかし、キャラクターは私たちの孤独のあいだに見出される類似である。取り出した類似の変容に導かれて、私たちは孤独な時間を、向きを新たにして歩むことができる。


 いまだ、絶望のさなかにいる。
 傷ついたのは、「共に作る喜び」、それを信じ続けた日常に他ならない。だがそこで「共に作られて」いたのは、各人の孤独であったのではないだろうか。各人のなかにある孤独さを導くささやかな「喜び」として、キャラクターはあったのではないだろうか。であるならば、それは、各人の孤独な時間を思いやれる「傷の類似」でもあったのではないだろうか。
 アニメを観ること、キャラクターの存在を感じること、「二次創作」をすることが、無関係な何物かに関係を幻視する営みを指すのならば、筆者は今後、両者に「傷の類似」を探すためにこそ文字を連ねたい。分かたれてしまった怒りと憐れみ、顕名と匿名、制作と消費、オリジナルとコピーに、それぞれの孤独を思い捉え返すことのできる「傷」を見出し、可能な限り言葉を紡ぎたい。
 傷を喪われた名前を発表される限り記憶したい。彼ら彼女らの命が喪われたことで、間違いなくキャラクターも、作品も、それを見る者たちの孤独さも変容する。その変容に見つかる傷をも記憶したい。それが、亡きものの孤独を思う「喪」になると信じている。
 犯人が小説を好んで書いていたことを記憶したい。彼の行いも、それを模倣して脅迫を仕掛けるものたちにも、強い怒りをもつ。だが、彼もまた、文章を書くという孤独な営みを続けていた人間であったことは記憶したい。文字を連ねる喜びを彼も感じていたのかもしれない。彼の文を導くものは何だったのだろう。その一点において、彼の孤独の向きを変えられた可能性を考えたい。

 喪われたものについて、思うまま書いてきた。やはりまとまりのないものになった。だが、筆者もまた「書く」という孤独な営みを愛するものである。彼ら彼女らが遺してくれたものに導かれて、書くことができた。批評もまた、孤独な代筆の一つに過ぎない。筆者もまたこの「傷」を身に刻み、歩んでいきたい。


 9月6日、京都アニメーションによる新作映画である『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 –永遠と自動手記人形–』が公開される。今後の人生で、何度も繰り返し観ることになる作品になるだろう。寂しい気持ちでいっぱいだが、とても楽しみにしている。

亡くなられた方々のご冥福を、傷を負った方々の回復を、心よりお祈りします。あなたたちが手がけてきた作品の数々を、これからも愛してやみません。


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京都に住んで、もう10年以上になる。
市内のなかで転々と引っ越したが、しばらくは右京区の妙心寺近くに住んでいた。

印象深く覚えていることがある。
2010年の夏のことだった。

酷暑のなか、いつものように妙心寺の広大な敷地内を通って帰宅する途中、連れ立って歩いている若い男女に話しかけられ、道を尋ねられた。彼ら彼女らが目指していたのは、「花園会館」というホテル。家のすぐ近くだったので少し一緒に歩いて案内すると、一行は館内には入らず、何枚か建物の写真を撮り去っていった。同ホテルはべつに観光名所でもなければ、なにかの文化遺産というわけでもない。
不思議に思い、考えてハッとした。帰宅後すぐにパソコンで検索すると、予想が的中していた。花園会館は、その週放送された京都アニメーション制作のアニメ『けいおん!!』で、登場人物たちが修学旅行で泊まった「聖地」であったらしい。そのエピソードをぼく自身も視聴して、驚いた。金閣寺に北野天満宮に花園会館。筆者がふだん歩く生活圏の風景が、そのまま描かれている。京都に住む友人を連れてさっそく北野天満宮へ向かうと、アニメの缶バッジをカバンにつけ、アニメショップの袋を手にした人々が見つかった。

初めて京都に引っ越した年は、『らき☆すた』の放送が開始した年でもあった。それ以前も『AIR』や『涼宮ハルヒの憂鬱』をはじめとして京都アニメーションの作品は好んで視聴していたが、京都に住むようになってからはより身近に感じていた。しかしそれでも、自分の生活圏が「聖地」になったことは初めてである。「ついにきたか」と嬉しくなった。だが、それ以上に、見慣れた場所を「聖地」として友人と歩き、ファンの姿を見つけるほどに、アニメの風景が遠くに感じてしまうことに驚いた。友人も同じようなことを感じたのかもしれない。続く「巡礼」を途中で切り上げて、それぞれ帰路についたのを覚えている。

9年後の夏。
例年のように厳しい蒸し暑さのなか、東京から訪ねて来た友人たちを迎えた。
彼ら彼女らの手には、花が携えられている。

誰も望んでいないかたちで「聖地」となってしまった、あの場所を案内した。道中、みなで献花台に花を供え、どす黒い焦げ跡に塗りつぶされたようになったスタジオを前に並んだ。友人の一人が、耐えきれなくなって膝から崩れ落ちた。漏れ出る嗚咽を堪えるように肩を震わせながら、両手で顔を覆っている。現場の周りにいた、マスコミ関係者であろうカメラマンがシャッターを切る音が聞こえた。隣にいる、記者であろう男はメモを取り上げて、しかし、力なく下ろした。彼は、ついにアスファルトに手をついて声を上げてしまう。ぼくは、彼の肩に手を置くことしかできなかった。振り返ると、スタジオを向かい合う住宅の郵便受けに、周辺住民の精神的なダメージと「取材お断り」の旨を伝える紙が貼られていた。彼の隣でぼくもしゃがみこむ。

よろよろと立ち上がる彼を少し離れた場所に連れだし、少し休むと、ふたたび駅へ向かった。一つ隣の駅は、京都アニメーションの作品の「聖地」が集中している。せっかくだから、とみなで訪れてみることにした。空調の効いた車中で移動するなか、友人たちがポツリポツリと口を開き始める。これから歩く「聖地」が描かれた作品の話だった。あまりにアツくなってアニメの話を始める友人たちの姿をみて、少し吹き出してしまう。泣き崩れていた彼も、いつの間にか会話に混じっていた。
木幡駅には、『AIR』や『けいおん!』、『響け!ユーフォニアム』の聖地が集中している。「聖地」の一つであるという「許波多神社」を目指して歩くなかで、友人たちが記憶を辿っては指差し、口々に指摘する。そのどれもが、いっけんの何の変哲も無い、穏やかな生活空間のなかにあった。しかし、うだるような暑さだ。目的地である神社でふたたび一休みし、日陰で並んで涼んだ。「京アニのスタッフも真夏のロケのときはここで休んだのかな」と考えた。

そこで気づいた。ぼくたちは、キャラクターの姿を探すのではなく、スタッフの足跡をたどる「巡礼」をしている。キャラクターが収められた画角を見つけるとき、ぼくたちはかつてスタッフが立った場所にいる。同時に、8年前の「巡礼」で、どうにもキャラクターを遠くに感じてしまった理由がわかった。京都アニメーションの作品が手がける「日常」の多くは、架空の学園生活におけるモラトリアムを通して描かれている。彼ら彼女らは同じ制服を着て、確たる始まりも終わりもない学生期間を生きている。だが当然のことながら、ぼくたちは、そのような時間を生きていない。キャラクターと私たちの時間は折り合わない。
それは、制作陣にとっても同様のことだ。実際に現地を訪れ撮影したものと、模写して絵に起こすものと、個別のキャラクターを描くものと、それらを重ね合わせ加工するもの、声を吹き込むもの。それ以外の膨大な工程をも包含するアニメ制作は、それぞれの孤独な制作をキャラクターという類似物が数珠となって、ひとつなぎの映像に仕上げているのだ。京都アニメーションの作品を観ることが、ばらばらの時間を一つのキャラクターとして取り出すことを経験させるなら、「聖地巡礼」は、そのキャラクターが訪れた場所を目の当たりにすることで、アニメを作るものたち、それを観るものたちの時間もがばらばらであることを経験させるのだろう。9年前のぼくは、それを寂しく感じたのだ。

許波多神社を離れ、友人たちを連れてふたたび京阪電鉄に乗り込んだ。泣いていた彼も徐々に元気を取り戻し、最後にここへ行きたいと、彼がもっとも愛する作品の「聖地」をスマホに表示して見せてくれた。一行は終点の出町柳駅へ向かった。車中で交わされる会話に現れる作品も増え、話題もつきない。ぼくも思わずアツくなって会話に加わる。周囲の乗客の「やあねぇ」とでも言うような視線に気づく。事件を連想させる話題だからなのか、アニメの話題だからなのか、もはやわからない。でもその時間はとても楽しかった。

出町柳駅につき、さっそく『たまこまーけっと』の舞台として描かれた「出町桝形商店街」を訪れた。彼の最愛の作品であるという。現地に来たのは初めてらしく、興奮してスマホで写真を撮っている。8年前、花園会館に案内した人たちのことを思い出した。彼ら彼女らも、今回の事件を孤独に受け止め、悲しみに暮れた時間を過ごしているのだろうか。
彼の足が止まった。目前には、商店街の屋根から吊られた巨大なメッセージボードがあった。事件により被害を受けた人々へ、哀悼の意を記したものだった。「私たちは皆さまが描いてきたとおりの人情と絆とで変わらずここにいます」とあった。その後ろには、作中でも印象に残った、巨大なサバのオブジェが変わらず吊られていた。

友人たちが東京に戻らなければならない時刻が迫っていた。それぞれの予定はばらばらだが、今日中に帰らなければならない。彼が「最後の最後」と希望し、鴨川デルタの飛び石を見に河川敷に降りた。もはや熱中症寸前だ。飛び石に走る彼を遠くに見ながら、ぼくたちは木陰で休んだ。

川の向こうまで渡った彼が、ふたたび飛び石のあいだを跳ねて、こちらに戻ってくる。彼がやろうとしていることに気づいた友人たちが笑った。彼は、どうやら『けいおん!』のオープニングを再現しているつもりらしい。女子高生のキャラクターを、いい歳をした成人男性が真似をしている様がおかしくて、ぼくも笑った。そういえば画角も似ている。スタッフもこのへんに腰掛けたのだろうか。暑さでぼーっとする頭と、涙で滲んだ目で、悔しいことに彼の姿が、見覚えのある映像に類似して見えた。

川を渡り、こちらへ帰ってきた笑顔の彼を迎え、解散した。
一人になり、飛び石を渡る彼の姿を思い出したくなって、『けいおん!』のオープニングを見た。ぜんぜん違うじゃないか、ともう一度笑って、泣いた。


プロフィール

黒嵜想(くろさき・そう) 1988年生まれ。批評家。音声論を中心的な主題とし、多岐に渡る評論活動を展開している。活動弁士・片岡一郎氏による無声映画説明会「シアター13」企画のほか、声優論『仮声のマスク』(『アーギュメンツ』連載)、Vtuber論を『ユリイカ』2018年7月号(青土社)に寄稿。『アーギュメンツ#2』では編集長を、『アーギュメンツ#3』では仲山ひふみとの共同編集を務めた。
ツイッターIDは@kurosoo

 
 

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