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聞こえない音と見えない事

新しい上司はフランス人、じゃなくて、新しい上司がですね、めちゃ声が小さいんです。
私は子どもの頃から耳鼻系が弱く、小さいときからしょっちゅう耳鼻科にお世話になってました。
匂いがあんまりわからなくて、すこーしだけ聴力が弱いんです。

その上司の声がたまに聞こえないんです。ミーティングでも私ひとりだけ聞こえないことがあって、英語が「聞き取れない」ではなく「聞こえない」もんで困ってますが、私に話すときは少し大きい声にしてくれと折を見て話すつもりです。

小学生のとき部活でバスケの練習をしていて、ボールをダムダムする音もあるし、聞こえが悪いしで、キャプテンの「集合!」がひとりだけ聞こえず集合できず、罰としてみんなが見てる中、ひとりだけ体育館を走らされたことがある。運悪く、その日は雨で、普段は外で練習している男子サッカー部が体育館の半分を使って練習しており、そのみんなの前でひとりで走らされた思い出。

補聴器が必要ないくらいでも、微妙に聞こえの悪い人はそのへんにたくさんいるので、これは罰の対象になりません。
しかし当時、私も小学生、私に罰を与えたのも小学生のキャプテン。しょうがない。

(なんでこいつこんな簡単なことができないんだよ)と思うこと、ありますね。

たとえば育児。子どもが言う「あれがない」「これがない」、なんで!目の前にあるのに!いつまでも見つけられないの!!とイライラすること、ザ☆日常。
聞いたことあるのは、視力に問題がなくても、目から入った情報を処理できるようになるのは7歳くらいから。そこが発達するまでは、探し物は目にははいっているけど、それが「探しているもの」という理解に繋がらないようです。

また、だいたい何歳くらいでこれができる、みたいな標準はあっても、その発達が遅くて追いつくのが中学生、高校生、あるいは大人になってしまう人、あるいは一生追いつかない人もいて、いまは発達障害なんて言葉が定着したけど、ひと昔まえは「努力の足りない人」「なまけてる人」として怒られてたわけです。

そういえばどこかの有名人が子どもは言ってわからなければ叩けって ”育児論” を披露したそうですね。いまだにそんな人いるんですね。

私は聞こえが悪い上に、というか悪かったから、小学生くらいまで音の情報処理が遅れてたと思います。
言われてることの意味がわからない。小学校って集会があるじゃないですか。体育館の壇上で話す先生の話がまったく理解できず、何のために話してるんだろうと不思議でした。

私の場合、授業は教科書など、視覚情報があるので大丈夫。テストも紙だから、問題ない。もしテストがすべて読み上げだったら、私の成績はさんざんだったでしょうね。言われてることがわからないんだから。

人間って複雑で、見ること、聞くことはできても、その情報を脳で処理していくのは、さらに何段階にも複雑にわかれているようです。

脳の中では、役割がたくさん分かれていて、たとえば、聞いたことを意味とつなげる、映像とつなげる、記憶とつなげる、それぞれの意味を組み合わせる、分析する、理解する、みたいに分かれてるのかもしれません。知らんけど。
さらにそのそれぞれの部屋をつなぐ回路もあって、私はこのうちのどこかの発達が遅かったのかもしれません。

この聴覚と視覚が逆になったのが、学習障害のひとつ、読み書き障害ですね。
視力に問題はない、知能にも問題はない、でも目から取り入れた情報を文字として認識できない、あるいは意味に繋がらない(から理解できない)、あるいは音に繋がらない(から音読できない)、というように。
その場合、理解に問題はないので、テストも読み上げてくれたら100点なのに、紙しか認めてくれないと試験に受からない。
目が悪かったら眼鏡かけていいんだから、読み上げ試験を認めてほしいですね。

はっきり「障害がある」というレベルでなくても、そんなたったひとつの脳内の繋がりが鈍いだけで、不得意なことが生まれてくる。当たり前のように。

日本で小さい子たちにピアノを教えていた時、楽譜から目を離さない(離せない)子もいれば、まったく楽譜を見ない子もいて、視覚あるいは聴覚、どちらかが優位というのはそれぞれにあるなと思いました。
やりにくい方法を無理にやらせても楽しくないだけなので、それぞれに合わせて指導方法を変えました。

いまも子どもに日本語を教えているけど、読む行以外を隠すことでよく読めるようになることはあるので、そんなこと誰の迷惑にもならないのでやっています。
ほかにも、プリントする紙の色を変えたり(文字と地のコントラストを低くする)、色付きの半透明の下敷きを乗せるだけで読みやすくなる子もいるようです。そんな小さな工夫で学習の負担が減るならテスト中だろうがどんどん取り入れを許可してほしいですね。

大人になった私たちは、そういう「気の使い」がもうできるし、いろんなサポートを提案してあげたい。

少年院に入っている子どもの発達障害、学習障害の率が高いと言います。
それはグレたせいで勉強しなかったから頭が悪いんだ、とひと昔前の人なら言うでしょうね。
でも実は逆では?
脳内のほんのちょっとの発達の遅れのせいで怒られ、「お前はダメだ」と言われ続ける。
努力してもできないから自分でも「ダメなやつ」と思う。そりゃどんなに努力してもできない、まだ発達が追い付いてないんだから。できないものはできない。できるならもうできてる。
傷ついて、非行に走る。

私たちは「そういうことも起こりうる」ってもう知ってる。ドラマや漫画に登場することもたくさんある。

あれ、この人、なんでこんな簡単なことができないんだろう、と思ったとき、それは何かできない理由があるのかな、と怒る前に考える社会がいいよなあ、と最近、殺伐としてたSNSを見て思ったのでした。

でも政治家にはどんどん文句言っていこうぜ。そのサポートを作るのが彼らですしね。

(みずサマ、タイトルありがと〜!)

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