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特に何ってわけじゃないけど。

Twitterで拡散された、線路に降りて石を投げる障害を持つと思われる青年とそのお母さんの動画をみて思い出す子がいる。

20代なかばに一般的なコースから遅れて大学生になった私は、夏休みのバイトを探していた。
学内の掲示板に求人コーナーがあり、そこで某マンモス市が学童保育の夏季バイトを募集していた。

学童保育とは、3時とかに小学校が終わったあと、親が迎えに来るまで放課後に子どもを預かってくれるところだ。場所はたいてい学校敷地内の一角にある。
放課後だけの施設が、長期休みに入ったとたん、朝から夕方まで子どもたちを預かるので、必然的に職員数が足りなくなり、その間は学生を雇うのだ。

市に応募して通ると、次の夏休みは◯◯小学校に行ってください、みたいなハガキが来て仕事に行くことになる。
各休みにいろんな学校にお手伝いに行くのはおもしろかった。エアコン付きの進んだ学童もあれば、古い教室ひとつにぎゅうぎゅうに子どもが詰め込まれているところもあった。

なんせ人口が多い市で、それでいて日本という国はそういうところから予算を削るので、職員はみんな非正規だし、市も苦労しながら運営していたんだろうなと思う。

それで、思い出す子がいる、と書いたところは、ひとつの教室にぎゅうぎゅうのところだった。

どう見ても定員オーバーだった。職員は主に子育てを終えた50代以上の女性たちで、そこはスタッフの文句も多かった。

夏休み毎日子どもたちを預かるというのは、なんとか子どもたちを落ち着いて朝から夕方まで安全に過ごさせるのが使命だが、まあ大変。宿題を見て、お弁当を食べさせて、外遊びをして、眠くもないのに無理やり昼寝時間をとって(子どもを寝かせると寝返りができないほどぎゅうぎゅう)、おやつをあげて、なんとか、毎日。

通常、キャパもないし、預かるのは小学校3年生くらいまでなのだけど、そこには高学年になった障害を持つ子どもが2人いた。
重度とかそういうのはわからないけど、発話も会話もできない二人だった。
本来なら専門の施設に通うんじゃないかと思うけど、きっとそこもいっぱいだったんだろう。
Again, 日本という国は福祉から予算を削るのが好きなので、この学童には障害児の対応できるスタッフはもちろんいなかった。

ふたりをAくんとBくんとする。

Aくんは何かの拍子にキレることがあり、そうすると泣いて叫んで自分をたたいたりした。
そのほかはぼんやりするか、機嫌のいいときはニコニコしていた。
なぜかAくんは、私と一緒にバイトに入った男子大学生をとても気に入り、その学生の膝の上に座るといつまでも機嫌がよかった。
その間、他のスタッフもとても助かったので、その学生は必然的にAくん担当になり、出勤日はほぼ一日Aくんを膝に乗せて過ごしていた。

Bくんは高学年で体も大きかった。いつもニコニコしていた。ときどき理解に困る行動をし(たとえば線路で石を投げるような)、ときどき学校から脱走した。
脱走とは、外遊びのとき、するっと校門を抜けてこっちを見ながら、ニコニコしながら隣接する住宅街にかけていくのである。若い走れる学生たち総動員でダッシュである。

私は職員に「こういうときどうするのか」と聞いたら、「叩いて」と言われた。
現代だと信じられないけど、当時私はそういう ”指導” を受けたのだ。

まあしかし、若かったけど私は当時もう自分の子どもがいたし、とてもよそ様のお子さんを叩くなどできない、と最初は思った。
が、とにかくもうその学童はぎゅうぎゅうで、ときにAくんが泣き叫び、そのほかの子も荒れ狂い、たまにカオスになった。
定員というのは、大事だ。うん。

何かのときに、Bくんが困ったことをしたんだろう、いや、困ったのはこちらか。Bくんは別に困ってない。
とにかく何かを止めさせようとした私の頭に「叩いて」の指導がキラッと入り込み、「やめなさい」と言ってBくんの背中を叩いた。
その瞬間、私はとても自分が恥ずかしく、ショックを受けた。一生忘れない。忘れられない。

そしてすぐあとに、これは何の意味もないとわかった。なぜならBくんは叩かれたあとも変わらず私を見てニコニコ笑っていたので。
何の意味もないことをした。

学生たちはひと夏だけで通り過ぎる。私もその学童を通り過ぎた。

数年後、スーパーでBくんを見かけた。変わらずニコニコしていた。お母さんが隣にいたので声をかけようかなと思った。
声はかけられなかった。叩いたからじゃない。
袋に買ったものを詰めているお母さんのその表情の暗さに、声をかけられなかった。

私はひと夏、お給料までもらって通り過ぎたが、お母さんはあれから毎日Bくんといたのだ。

逃げるBくんを走って捕まえて、世間とかいうものに謝っている。

もう15年も前の話だ。あの動画の中の青年は何歳くらいだろうか。AくんやBくんもあのくらいになったのだろうか。

お母さんたちはまだ追いかけているんだろうか。

もうアカウントが消されたようだけど、動画には意地悪なコメントがついていた。数十分の電車の遅れで怒ってしまうほどの日々の暮らしとはどんななんだろう。
変わらなきゃいけないことがたくさんあるみたい。

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