いかにして僕は幼稚園に落ちまくったか。

白央篤司さんとの往復コラム。

vol.5

前回のコラムはこちら↓

https://note.mu/hakuo416/n/n4c27a2c55afa


今回で5本目となる往復コラム。
このやりとりは僕が先行を務めた関係で常に僕のコラムが奇数回、白央さんが偶数回なんですよね。これが実にしっくりくる。
というのも、僕は以前和食の店でサービスの仕事をしていた影響で奇数がどうにも落ち着く。和食の盛り付けってたいてい奇数なんです。刺身の3点盛り、五目煮、串焼きおまかせ7本といったように3、5、7がほとんど。陰陽五行説あたりからの流れだと思いますが、板前は皆さん偶数を嫌がる。例えば4名のお客さんのテーブルだから海老しんじょを4カットにして欲しいと頼んでもやってくれない(笑)。頑なに5カット。皿の上でいつまでも手付かずの料理がひとつだけ残るじゃないですか。あれもこの辺の事情が原因の一端なんですよね。実にやっかい。でもあれですよ、人にもよりますが丁寧にうまく頼めばやってくれるんです。スタッフ間のコミュニケーションが順調かどうかが露呈するところでもありますね。

そのお店の健康状態はすべて皿の上に現れる。

まあそんな環境でしばらく仕事をしていたおかげで僕も知らず知らずのうちに奇数が居心地よくなったんです。奇数だとトラブルが起きない(笑)。

というわけで餃子5カン付けのような座りのいい5回目。
今回白央さんから提案されたテーマは「受験」
卒業ではなく受験というところが白央さんっぽいですね〜。

受験かぁ。最後に受験してから30年。もう2度としたくはないですが、何度も学校に行く人もいることを考えると受験が好きって人も少なからずいるんだろうな。

よし、整理しよう。
まず受験の経験としては、高校受験が1回と専門学校が1回。自分の意思で受けたのはこの2回だけかな。これってたぶん相当少ないと思うんだけど。あれですよ、高校受験が1校だけ、専門学校も1校ですからね。2回しか試験を受けてないんですよ。たった2校。滑り止めとか併願での複数受験はしたことがない。2回受けて2回受かった。つまり落ちたことがない。成功率100%なんですよね。へー、いま気づいた。

それとは別に、自分の意思ではなく、主に母親の想いから受験した幼稚園では落ちまくったらしい。いわゆる受験校のようなところはもちろん、近所にある普通の幼稚園でさえ拒まれたというからかなりの問題児だったんだろうと思う。

先生:絵の書いてあるフリップを出してにこやかに
「はいよく見て、これがあなたね」
と、大人の男女2人と手を繋いでる子どもを指す。
「じゃあこの人はだあれ?」
お母さん的立ち位置の女性を指す。

公洋少年:「わかりません」

先生:「どうして〜わからないことないでしょ、よく見てね、これがあなたよ。じゃあこの女の人は?」

公洋少年:「わかりません…」

という当時の受験エピソードを子どもの頃に親からよく聞かされたものです。どこの幼稚園でもこの調子だったもので、結果落ちまくり、ひどい時には

「(深刻な表情で)この子は白痴です。然るべき施設に入れたほうがよろしいかと」

という今だったら大炎上するような言葉までかけられたそうで。それを聞いて怒った祖父が幼稚園まで殴り込みに行くと日本刀(持ってたんですよね、怖い怖い)に手をかけるのを父が止めたという嘘のような話も残っております。

先のフリップ問題ですが、同席した父は黙ってそのやりとりを聞いていたんだとか。面接を終えた帰り道「あの問題どうして答えなかったんだ?あの絵の人分からなかった?」と質問すると僕は「だって知らない人だったもん」と答えたそうです(笑)。似顔絵でもないしね。そりゃ落ちますよ。話にならない。
それを聞いて「そうか、そうだな。それはお前が正しい」と言ってくれた父も変わってるというか。この親にしてこの子ありという感じ。幼稚園はいい判断をしました。結果的にちょっと離れた園にコネで入れてもらったおかげでなんとか幼稚園浪人せずにすみましたが、今から考えても、面接では口を出さず、叱りもせずに僕の意思を認めてくれた父には感謝しかありません。亡き父との49年の付き合いでは3度の感謝の瞬間がありましたが、この時がその1回目。

実は2回目の感謝の時も受験がらみなんですよ。

中学3年の三者面談。またもや付き添いは父。
僕は経済的にも公立しか進学を考えておらず、自分の学力と同レベルの都立高校を1本だけ受験すると担任には伝えていました。

先生:「そうは言ってもそれは心配、せめてすべり止めで私立を1校でも受けたらどう?それか都立のランクをひとつ下げるとか」
15の僕:「受けたってどうせ行かないんだから意味ないし受験代もムダ。もし落ちたら二次募集もあるし、それでもダメなら浪人します」

こうやって書き起こしてみてもイヤな生徒ですよね。生意気というかなんというか。でも仕方ない、本当の気持ちだから。もう一度人生をやり直しても同じように答えると思います。
まあ、それで先生も困って父のほうに懇願するような形で意見を求めたんですよ。大人側、先生サイドの意見を期待してね。そしたら黙って聞いていた父が

「まあね。本人もこう言ってますし。浪人するって言ってるんだからやらしてみましょうよ」

「そ、そんなお父さん、、」先生の驚いた顔を今でも覚えています。
おそらく父は早く帰りたかっただけではとも思いますが、あの場でたしなめることもせず味方になってくれたことは感謝しております。帰り道で「あの先生さ、お前のためみたいに言ってたけど本音は自分が困るんだよな」との意見も僕が感じていたことと同じで嬉しかったことを覚えています。雪の多い冬でした。受験の日も発表の日も入学手続きの日も雪が残ってたな。

高校を出てあてもなく予備校に通い、あまりにも遊び呆けて大学なんてとても無理、さてどうしようかと考えていたときに「ぴあ」の広告で知った日本映画学校。このときはそれ程のドラマはなく、先ほどまでのヒーローである父はどこかの女性に入れあげて家出中、その前後何年か行方不明となっておりました。Vol.1でもお知らせした通り、その関係で20歳の僕には住民票がなかったんですね。

「夜食の鍋焼きうどんとお母さん」といったほんわかした受験の思い出はありませんが、やはり人生の岐路に立っているわけだし何らかのドラマはあるものなんだな。

白央さんはいかがですか、どんなドラマがありましたか?
鍋焼きうどん系の話、ありそうですね(笑)

ちなみに父への3回目の感謝はもっとずっとずっと後のこととなりますが、

それはまた別の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?