ホワイトデーに思うこと
きみとの絆について深く考えた日でもあった。
愛されることについても考えた。とても深く。
エゴイスティックな表現をすればするほど、愛の本質から関係そのものは離れていく。
どちらの想いのほうがより強いとか、大きいとか、そんなことを追求することに何の意味もない。
恋愛を勝負に喩えることも意味がないとぼくは思う。
それでも、愛する人について深く考えるほどに、結論はエゴのほうへと引きずられていく。
1年8ヶ月だそうである。きみとぼくとが男女の関係になってから、まだそれだけの時間しか共に過ごせていないのだ。何も知らない状態よりはましだとは思うが、知り尽くしたと自惚れるにはまだ50年ほどかかると思う。
きみの中の忍耐強さに驚かされたことが何度もある。
それが次の日に総崩れになるのも、同じだけ見たと思う。
きみの包容力にぼくは甘えて、甘えた分だけ暴君になった。きみは大いに悲しんでぼくに背を向けてしまった。
終わりだと思った次の瞬間に抱きしめられて驚いたこともある。もうダメだと観念したにもかかわらず繋がっていたことに、奇跡を見たと思った。その感動もまた、愛される者の傲慢さに紛れていつしか失われてしまった。
ぼくたちの軌跡は七曲がりでは足りないほどの紆余曲折を経てここにあることは間違いない。
それは俯瞰で見たなら、恥ずかしいほど迷った痕だらけで、血迷った曲線に彩られていることだろう。スパッと付き合うことを決めた割にだらしのないものだと思う。
それでもぼくは独りでそこを眺めては、愛おしさに頬をだらしなく緩めるのだ。これで良かったと心から思いながら。
特別な日に寄せて。
愛してくれてありがとうと、
これからもよろしくを込めて。
2018年3月14日
燠 吼狼