あれから

ぼくは以前に増してわがままになった。それをいいようにリフレーミングして「気を許した」と解釈されるのも少し違うと思うのだが、まったくの勘違いでもない。厭なものをイヤですと口にすることは、あいてへの信頼が下地にないとただのクレーマーで終わってしまうからだ。そこに相手が応えてくれるという前提があってこその表明であり、応えてくれるには相手側にもある一定の絆が必要になってくるだろう。

どうでもいいが、このサイトは平日の昼間にも拘らずとても重い。

ぼくは、四柱推命で言うところの「六白金星」で、天(西北)を司るがゆえに君子の星を持つのだそうだ。皇帝とか天皇とかいう、いわゆる「統治者」のことである。だからといって、昔の君子がのべつまくなしこの星だったかというと大いに疑問だ。「統治者の家計に生まれついていたならば、成功したであろう」程度の解釈でいいのではないかと思う。ついでに干支も辰年、なかなかおあつらえ向きの生まれ年だ。

さて、「だからショートテンパーでいいんだ」という説明をするつもりはさらさらない。ぼくはあくまでも公平な裁きを支持するつもりだ。

めぐさんは、ぼくのために何かをするときに黙ってやるようになった。ぼくが何をどう訴えても怯まないようになった。考えて行動するようにもなった。間違いは量産するけれど、それは後で考察を重ねるごとに精度を増していくものに過ぎない。それは成功の過程にあるのであり、まったくの誤解から生じた純粋な間違いとは種類が違うのだ。その成功は「やり続ける」ことでしか叶うことはなく、「失敗し続ける」ことしか上達の道はないという険しいものだ。ぼくらは絆そのものによって永らえている。

結婚するまでの過程よりも、結婚してからのほうがよほど苦難が伴うし、愛だけではいけないということをぼくたちは学ぼうとしている。これまでのように「好きだから」という理由だけでは手を繋いでいられなくなるときがふいに訪れるのだ。互いの価値観がともに譲らなかったときにどうしたらいいか。それが家具の配置ならば譲っても関係にヒビは入らないだろうが、住居そのもののことなら?住む地域についての見解が違っていたら別居できるだろうか?

ああ、とんでもないことにぼくらは首を突っ込んでしまったのだな、とぼくは素直に思い、また感嘆したのだった。こんなことをよくも愛だけで決断できたな、と自分の無知と無謀を称えたのだった。手を繋いで歩けばそれが人生のおしまいまでずっとそのままだと考えていたのだから、腹で茶が沸いてしまうというものである。そんなわけあるか、バカ。ぼくはひとつ自分を罵ってから、これからの人生について改めて考え始めたのだった。