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悔しい写真

こんにちは、大井です。
新年初投稿ですが、1月ももう終わりですね。
ギリギリセーフ。……?

さっそくですが、こちらの写真について悔しい思い出があるので吐き出します。

悔しい写真


これは、私が通っている写真教室(ゼミ?)のオンライン合評会(zoom)で出した写真です。

教室では「モノの形と質感が面白いと思うものを撮れ」、「意味やメッセージを込めるな」と教わります。

そうして撮ってきた写真がこちらです。
撮ったのは、とある外国です。

大っきい袋が幾重にも重なっています。
シワシワがあって、重量感あるのが面白いな、と思ってシャッターを切りました。
「モノの形と質感」に注目してます。
他意はないです。純粋素朴なきっかけです。

しかーし、講評のX先生はこうおっしゃいます。

「この写真は、意味で撮ってるね。」

「恐らく、″貧困″とかそんな感じ。」

はいいいいいい!?!?!?
それは物理的にあり得ないですね。
だって、被写体やこれを撮った場所に対して「貧困だ」という印象を抱いたことがないからです。
抱いていない印象をきっかけとして撮ることは、物理的に成立しません。

そりゃ、日本に比べたらこの国の経済は弱いでしょうけど、こんな風景はあっちこっちにありふれています。
少なくとも彼らの日常です。
彼らの生活レベルからすると、並です。

ホームレスにでも見えました?
これはれっきとした「ゴミ収集」の仕事です。
町中あっちこっちいます。
各家庭を周って、お金をもらってゴミを集めてるんです。
あなたは、日本でもゴミ収集の仕事に対して「貧困者だ」って思ってるんですか???

それは、鑑賞者の主観でしょう。
恐らく、X先生の撮るフィールドが日本の貧困地域を舞台にしているから余計に主観が入り込むのでしょう。
貧困という意味フィルターで写真フレームを作っていると、鑑賞時にもそのフィルターが敏感に反応してしまうんでしょうか。

実は、この合評会の夜に某写真展に行ってきたのですが、たまたま(?)そのX先生がいらっしゃったので上記の問いを直接ぶつけてみました。

そしたら、「合評では、異なる文化圏の写真は混ぜないほうが良い」というコメント。
私が上の写真を日本の写真と並べて出したことを言っているようです。

それって、結局セレクトの問題って言いたいわけですよね。
「貧困」の話はどこにいったんでしょうか??
話すり替わってませんか???

その辺りも改めて聞きますが、以下のような返事が続きます。
「写真の組み方にはいくつかあって、一つはフィールドを決めてそこで撮り続ける方法。もう一つは、テーマ決めて、それに沿って撮り溜めた写真から組み上げる方法…」

だから、そこの話じゃないんだってば…!
「撮るときのマインドが違う写真だ」という指摘に対して、なぜそう思ったのかを問うてるわけです。

答えが的を得ないので、もういいや、ってなってます。
ただ、1週間以上前のことなのに、未だに強い悔しさがありますね。
ここにて成仏いたしますように。
南無妙法蓮華経。

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