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自分を「見る位置」の気付き

はじめに

最近、自分を「見る位置」の重要性に気付いた貴重な体験を、ワークにて学びました。
(詳しい内容に関しては、申し上げられないのですが)
私なりにですが、理解へ一歩近づいた!と感じたため、覚書として残したいと思います。
(実際に行われている時には疲労が大きく、こなすだけで精一杯のワークでした)


「サイコドラマ」への参加

サイコドラマの「守護天使」がテーマのワークに、参加させて頂きました。
このご縁は私があることを学びに行き、先生と出会ったことがキッカケとなり、誘って頂きました。
なかなか聞くことのない「サイコドラマ」。
ドラマとあり、不安もありましたが「知らないことはやってみる!」の思いから、参加を申し込みました。

「サイコドラマ」とは何か?

まずは「サイコドラマ」とは何か?から説明していきたいと思います。

正式には、今回体験しました「増野式サイコドラマ」を指しております。


日本心理劇学会初代会長・精神科医・ルーテル学院大学名誉教授の増野肇氏(1933年〜)が創始しました。
面白く楽しい手法を使った即興劇による集団精神療法・芸術療法です。
辛い状況や悩みの中にいても、自分にとって大切な出来事や叶えたい希望などを、安心できる仲間と一緒に表現をし、シェアすることで、なぜか気持ちが楽になって自分の力で希望を見つけていくことができるようになる不思議なワークです。
将来の新しい生き方を見つけるのにも効果的なワークです。

蓑手サイコドラマ L a b代表・教育カウンセラー
 蓑手奈保美先生より

自分やものごとの見方が変わる、日々の生活に喜びが感じられるようになる・・・・・・そんな体験をいたしました。

新たな世界「サイコドラマ」を体験してみる。

指導役の先生、参加者がA.B.C.D.E.Fとします。
参加者は、増えていくことも可能です。

※ここで言う主役をAとします。それ以外の方をB・C・D・E・Fなど分かりやすく割り振っています。

  1. まず主役Aを演じる方が抱えている、辛かったり悩んでいる事に対して、どのような場所で、どのように呟いているかを、実演します。 例:自宅のキッチンで、「疲れたな、困ったな」「どうしよう、どうすればいいのか分からない」と言った、など。

  2. 主役の方が浮かんできた物(植物などの命あるものでも構わない)・場所・写り込む風景などを上げていきます。

  3. 次にその主役・もの・風景(窓の外にある空や池など)を、主役以外の方が役を割り振られます。

  4. 主役の代わりに、主役の役を演じた方Bが言ったセリフを聞いて、主役A本人が(その姿を見て)どう感じて、どういう言葉をかけてあげたいかを発言します。例:「頭を抱えていて、可愛そう」「頑張り過ぎて、疲れているように見える」など。

  5. 次にものC・風景DやEに対しても、主役はどのように接して、どのように感じたかを発言します。例:「綺麗に花を咲かせ続けられるように、毎日水換えをしたり、声掛けをしてあげていた」など。

  6. 主役Aは主役を演じている人Bと並び、はじめにつぶやいたセリフを一緒に呟きます。

  7. 続けて、他のC・D・Eもそれぞれの立場で主役Aに向けてAからしてもらったことに対しての感謝や喜び、想いを発言していきます。例:部屋に飾られた花だとしたら「毎日水揚げするために水切りをし、水を変えてくれてありがとう。おかげで、綺麗に咲くことができてます」など。

  8. 最後に「守護天使」役のFが「生まれてからずっと見てきたよ、頑張っていたね」などの本人は気付きにくい、良い部分を見付け出して、セリフを言っていきます。

  9. 主役Aと主役の役Bがどう感じたか、言葉を交わします。例:「自分にはそう感じなかったけれど、花や周囲を、自分なりに思いやれていることに気付けた」など。

先生が主役Aさんに質問したり、語りかけながらセリフや発言が引き出されていきます。

・・・・・・という、サイコドラマを演じます。
(確か、このような流れだったと思います)

行われているときは疲れすぎており、セリフも覚えられないだけでなく、
この意図することを感じられずにおりました。

2回目にして、見えてきたこと。

しかし、後日にある文章を目にしていて、「幽体離脱のようだ」と感じました。
本人でありながら、本人の演じられている様子を第三者として見る。
それに対して発言をし、本人以外のものや風景に対して、そのものの立場となって発言をする。

この「幽体離脱をしたような状態で自身を見る」ことにより、
感情的にならず冷静に、他の人に対しての気持ちを話すように、自分を語る。
自分の中にある感情の波にのまれず、自身を捉える。

普段から物事を「幽体離脱状態」でみたり、
捉えたりできるようになれば、もっと自身が楽なのではないか?
周囲や自分自身に振り回されず、平常心を保てるようになり、苦しまずに済むのでは?
「何も出来ていない駄目な自分」ではなく、小さなことでも出来ていることへ目を向けられる自分へと変化がみられるのではないか?

なかなか難しいことではありますが、複雑な世の中だからこそ、「楽に生きていくための技術」がこの「幽体離脱」の状態を意識して行うことのように、思いました。
「サイコドラマ」、奥が深いです。

本日も皆さま、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。



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