モブの2年(中学の部活の話)

中学生の頃の剣道部の話。小4の時に友達からの誘いで地元の剣道クラブに入って、大きい声が出るという理由でキャプテンになったりしつつ、先輩達に中学生になってほぼ辞める人がいなかったので自分も地元の公立中学校の剣道部に入部した。


うちの剣道部は、ちょうど古豪って感じの部活。
県大会に行けるか行けないか、絶妙なラインだけど、みんなかなり熱量持ってやっているタイプの部活だった。


小学生から一緒だった同級生はいろいろあって辞めた。



入部して3ヶ月、その子と稽古中に喧嘩して相手が泣き出したタイミングで顧問の先生が来て、仲裁するのかと思ったら稽古を中断して喧嘩を続けろとかいう変な顧問によって10分殴り合いの喧嘩があった。普通におかしい部活。

投げなし、蹴りなし、固め技なしのルールの下、10分間殴り合い、防具の硬さに骨が負け、人生初の骨折。なぜか同級生は僕の骨折の責任を取る形で辞めていった。絶対僕が悪いし、顧問がもっと悪い。

入部した時には3人だった同級生も、いつのまにか中学から剣道を始めた同級生と2人になっていた。

どうにか僕が頑張らなきゃと思って、必死に骨折を治したり筋トレしたりする中で行った整骨院では、全く骨折に関係ないのに「君は筋肉の使い方がわかってない」と言われ、小学生の頃に必死にやった筋トレを全否定された。医者公認の、筋肉だけついた運動神経のない小さい子となってしまった。




そんなこんなありつつ、半年経つころには初心者の同級生にも負け、完全に何も得ていない剣道部員に。

全く何も得ないまま、中学2年生に。この時の3年生は地区大会でもトップで強い代で、後輩の1年生は小学校から知っている県でも名が轟いている代。
自分は、漫画とかである、鳴物入りで1年が入ってくる時、偉大な3年生がいるみたいなシチュエーションの、モブの2年。真面目なだけのなんも印象のない2年。悔しいけど、今俯瞰で見たらまじで優しいだけのモブの2年生。

この年、先輩たちは県でベスト8ぐらい入った気がする。たぶんぐらいでしか覚えてないのは僕が全く試合に関与してないから。



うちの剣道部は、号令の時に強いやつから順番に前に並んでいくという弱いやつからすればむごいシステムがあった。2ヶ月に一度入れ替え戦があり、一度女子の剣道部員よりも下まで行くほどには弱かった。男女合わせて15人いる部活の下から2番目とかだった。


この夏、僕は剣道よりマッサージが上手くなった。先輩から頼まれ、稽古終わりにマッサージをしていたら、上手すぎて毎日のようにマッサージを頼まれ、どんどん上手くなっていった。なぜか僕はこれでマッサージにハマり、後輩のマッサージも進んでしていた。プライドがなさすぎる。今でもたぶん上手いので誰でも頼んでください。

レギュラーにはもちろん入らないまま、2年の夏を終え、初心者には任せられないという消去法で僕がキャプテンに。

キャプテンになって初めての大会では、Bチームだった。ここでなぜか先代のキャプテンの親に悔しくないんか!って怒られて、号泣したみたいな思い出もある。なんであんたが怒ってんだよみたいな気持ちもあった。

そんなこんなでいろいろ頑張ってたらAチームとBチームを行き来するようになった。もちろんキャプテンとしての忖度はあっただろうけど。

そして夏の最後のブロック大会のレギュラー発表。
地区大会へ進むための序盤戦。これで3位以内に入らなければ、上へは進めないみたいな大会。
この時、僕はAチームの大将になった。たぶんキャプテンだし、最後意地を見せてくれ的なことだったんだろう。

この大会は最初、2ブロック3〜4チームのブロック予選を行い、その後、各ブロック2位以上による決勝トーナメントで3チームの勝ち上がりを決めるものだった。このブロックの第一試合、僕が引き分ければ、チームが勝つ状況で、僕はボロボロに負けた。それはもうボロボロに。引き分ければいいのに、ガッチガチになって負けた。


僕はあまりにも弱すぎた。ただ後輩は強いのでなんもしてないけど、ブロックをギリギリ勝ち上がった。僕はまじでなんもしてないけど。



その後の決勝トーナメントに向けて、去年卒業した先輩やいろんな大人から、頑張れ!とか切り替えろ!とかいろんな励ましを受けて、気合を入れて面をつけた瞬間に、顧問が「お前交代な」と告げた。それが僕の中学剣道団体戦最後の試合になった。



その後チームは勝ち上がり、地区大会進出を決めた。なんとも言えない表情のまま弁当を食べて個人戦へ。

個人戦の1回戦は、うちの地区の強豪校のギリギリレギュラーではなかった同級生。近い境遇で仲が良かった子との対戦。
始まってすぐ、まぐれで一本を取った。ほんとに金星の一本。これを守り抜けば勝ちという状況で、僕は大逆転負けした。


でもその瞬間、なんかホッとしたのを覚えてる。その友達は剣道で高校に進みたいっていうのを知ってたし、自分が勝ち上がってもどうにもならないことをなんとなく悟ってたんだと思う。ホッとした瞬間に、自分にとって剣道ってそれぐらいやったんやな〜って思って、また悲しくなった。
(この友達はこの後、個人で県大会に進み、剣道で高校に進んだ。ただその後県警になるって聞いてたのにいつのまにか専門学校に行って料理人になっててなぜかまた悲しくなった。)


そんな思い出で、僕の中学剣道は終わった。地区大会では、僕に変に気を使った顧問のせいで、アップまでした後に、出場者が載ったパンフレットに自分の名前がないことに気づき、僕はそこでレギュラーの補欠にすら入っていないことが判明した。いまだにあの時のレギュラー発表は僕の前ではされていない。


地区大会から県大会に進むための最後の試合で、後輩達が負け、引退が確定した。後輩たちに、先輩、すみませんって泣きながら言われ、自分が1番泣いてしまった。今こう振り返ると、長く続けたのに、何も得ないまま泣きすぎている。



こういう思い出が僕のこれまでの人生をずっと形作っている気がする。今話せば全然笑い話にできるけど、キャプテンで補欠にも入ってないっていうの、やばい!運動神経のなさとかではない!

なんにしろセンスがない!って突きつけられた中学3年間だった!!最悪!!こんなに泣いた思い出ばっかりで長文書けるぐらいには負け続けでした!最悪です!!笑ってください!!!

この後も高校で剣道を続けたのですが、もっと負けまくりました!!!

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