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僕が好きなラジオと「ニューヨークのニューラジオ」の話


昔からラジオが好きでよく聴く。

松本人志さんと高須光聖さんの「放送室」を聴いていたのは、小学生高学年。

6つ上の兄の影響で聴いていた。

毎週いろんなことにブチギレる松本さんと「それは自分おかしいで!」と笑って否定する高須さんの会話が面白かった。松本さんの言うことを否定するって新鮮だった。

2人がつい先日のことのように話す地元の友達のエピソードはどれも面白かった。
地元尼崎を「北斗の拳」や「マッドマックス」のような荒廃した街として描く、悲しくおかしい笑いが好きだった。

会話から度々出てくる[自分(あなたの方の意味)・いってこい・ざんない・いちびる]は次の日学校で友達に使って「?」みたいな反応をされた。行ったこともないのに「ラボエムとカプリチョーザは間違いない」とか言っていた。番組本も読んだし、武道館ライブの映像も何度もみた。

「放送室」がある日は、夜中12時ぐらいに起きて 、Kiss-FM KOBEに周波数を合わせ、MDコンポにMDを差し込んで、放送と同時にRECボタンを押した。

電波が悪くてザーザーいったらアンテナを握りしめた。アンテナを握りしめたら何故か音が綺麗になった。
小学生男子の肉体が大きなアンテナになってたのか、頭から足の爪先までの全身で松本さんと高須さんの声の電波を受け止めている気になって嬉しかった。
『トゥルー・ロマンス』のオープニングテーマから『人間の証明』のエンディングまで60分。うとうとしながらアンテナを握りしめてよく寝落ちしていた。今考えると、小学生が深夜にそんなことをするのは、変なことだと思う。

高校生の時は、「SCHOOL OF LOCK!」を聴いていた。
俳優の山崎樹範さんと芸人のやしろさん(当時カリカ)が初代校長と教頭だった。

今はどうか分からないのだけど、当時は学生のかなりエグめなイジメの相談にも乗っていた。
生放送に収まらないと、放送後も電話でその子と話し、翌放送でその内容を報告したりしていた。
ある日の放送でイジメに悩む子にやしろさんが「明日学校乗り込もうか?」と言っていたのを覚えてる。高校生ながらも「この人いわゆる普通の大人とはちょっと違う線で生きているな」と思った。


その後、大学浪人期間は「ナインティナインのオールナイトニッポン」を聴いた。

昔の音源をネットから拾って聴いたりした。
27時間テレビで「ダウンタウン」軍団に削られまくった話はその世界を全然知らない自分もヒリヒリした。

矢部さんが辞めるのは悲しかったし、久しぶりにラジオで聴く矢部さんの声は懐かしく嬉しかった。最近は当時のように面白い。

「オードリーのオールナイトニッポン」も大好きだ。
若林さん自身も言っているけど、ここ数年が面白い。
結婚とか関係なく、売れてなかった時の話、売れ出した頃の話、売れ切って今、感じること。
それぞれのステージで感じることの角度にビックリするし、熱を帯びた放出が気持ちいい。
あとアルバイトの子の卒業回やフライデー事件の直後、何度かある若林さんが春日さんにキレるところは飛んでて面白い。やはり本も、武道館のDVDも買った。

「爆笑問題カーボーイ」は、久しぶりにあの話聴きたいな、と思い出す話がたくさんある。

駿台と大学と田中さんの偏差値感の話、田中さんがブチ切れて解散すると言った話、田中さんが太田さんの家のトイレのフタにうんこした話、太田さんがスイーツよりも田中さんのことを愛している話、三島由紀夫の「金閣寺」の話、「明日、ママがいない」についての話、文が下手すぎる怪談の話などなど。
古典落語のように聴き直したくなる。

徹底的に弱い人の立場から語る太田さんと、それをちょっと冷めて聞く田中さんの会話を聴きたくなる。田中さんはたまにめちゃくちゃ冷たい。


そして、まあまあ大人になった現在。

なんだかたくさん聴き過ぎている。

上で挙げた番組に加え、「ハライチのターン」とか「さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ」「問わず語りの神田伯山」「佐久間宜行のオールナイトニッポン」を聴いてる。

出勤中、作業中、帰り道、寝る時、起きながら。
1人の時間はラジオを聴きまくっている。


そんな中で今、僕が一番はまっているのが

「ニューヨークのニューラジオ 」
https://www.youtube.com/channel/UCS17iKEInkBuHkxtEcCnTTQ

M-1決勝での最悪や!がMVPになった吉本興業のニューヨークがYouTubeでやっているラジオ番組。
毎週日曜の22:00から1時間半ほど生配信している。
1年ほど続いて、アーカイブは66回を数える。

チャンネルにはその他、企画やネタの映像もあるけど僕はなんとなくネタとラジオしか見ない。

何年か前にニューヨークが「オールナイトニッポン0(ZERO)」に抜擢された時、深夜に会社で作業しながら、たまたま初回放送を聴いてハマり、それからは毎週欠かさず聴いていた。

ヤリマンにお金取られた話とかをラジオでしていて、生放送後は必ず有楽町あたりで始発電車が動くまで飲みに行っていて「放送サークルみたいだな」と聴いててよく思った。

そして、しばらくしてオールナイトニッポンは終わっちゃったけど、今は自分たちで手作りラジオをしている。
当時の作家さんたちと一緒にやってるのを知った時は嬉しかった。

初めてニューラジオを見ると、彼らは狭い部室のような会議室の壁に布を貼って、知り合いに借りてきたマイクを机に置いて喋っていた。
本物の放送サークルになっていた。

久しぶりに聴いたニューヨークのラジオはやっぱり面白かった。
(失礼だけど)売れてない芸人から、売ている芸人へ移り行くグラデーションをリアルに覗き見ている気分になる。

僕はこの4月以降のコロナ自粛期間は「ニューヨークのニューラジオ」ばかり聴いている。
特別編はいろんな芸人をゲストに招き、それぞれの芸人人生の歩みを聞けて面白い。

通常回で僕が特に好きなのは、♯43の放送回。

https://youtu.be/Cme82UoKLAY

沢尻エリカさんが薬物使用で捕まった週に「芸人が絶対にクスリをやらないのは何故か?」みたいな流れから始まった話から、この番組が面白い理由が分かった気がする。

2人が話すのは、彼らが主に活動する劇場、無限大ホールのある日のエピソード。
その日は3本のネタライブ。
実働5分ネタ×3本なのに空き時間があるので拘束時間は10時間。

1本目のライブと2本目のライブ、2本目のライブと3本目のライブ、その各空き時間の芸人たちの過ごし方を2人がぼんやり思い出すように喋り出していた。

それぞれ3時間の空き時間。
芸人が控える広い劇場スペース。

出番まで、お腹が空いた気がしなくもないと芸人同士でダラダラ喋りながらだんだん油そばの口になりノソーっと油そばを食いに行く芸人がいれば、屋敷さんはスマホで麻雀ゲームしたり、飽きたら道玄坂のラブホ街の様子をなんとなく見に行ってみたり。
何もせず、ただ横になっているだけの芸人もいるし、嶋佐さんはいつものメンバーを何人も連ねて近くのパチンコに行って、すでに打っている芸人と合流。話し合った結果みんなで乗り打ちしてそれぞれ2500円負けながらも「パチンコ本来の楽しさ知りましたね!」と盛り上がって、劇場に戻って、5分ネタしてくる。

その日たまたまスタッフからお寿司の差し入れがあったら、どこに隠れていたこか分からない人数の芸人がぞろぞろ出てきて寿司に群がる。

ただ横になっていただけの芸人もムクッっと起き上がり寿司を食べてまた横になる。

どの瞬間を区切っても彼らの行動に明確な意思などなく「なんとなく」が連なって時間が流れてる。

こんな人たちがわざわざクスリをやる理由はどこにもないし、逆に24時間キマっているんだと嶋佐さんが言う。
じゃないとこんな生活できないと。

「無限大ホールがでっかいMDMA」という屋敷さんの例えには、痺れた。

いつの時代も新しいカルチャーが生まれるのは、劇場や小屋からなんじゃないかと最近よく思う。

彼らの人生には、そんな無駄すぎる1日もあれば(実際仕事してるし無駄じゃないけど)、乾坤一擲の大勝負に出ている日や、それに敗れて眠れないほど悔しい思いや、ウケ倒してそれこそトリップしそうになる日もあると思う。

先輩に褒められたり、後輩に尊敬されたり、馬鹿にされたり、騙されたり、陥れられたり。噂話やゴシップが光の速さで飛び交ったり。
相方とうまくいかなかったり、新しい才能と組んだり。
『火花』のようと言えば簡単だけど、それどころではないいろんなことに塗れて、血反吐吐いてのたうち回ってボロボロで進んでいるんだと思う。
そこからカルチャーや才能たちが磨かれると、素人ながら、勝手に思ってる。

そして、僕はその瞬間瞬間こそが魅力的で、かけがえのないモノだとも思う。

いつか千鳥のノブさんが東京でレギュラー増えて結果が出たけれど「大阪のライブに出て笑い飯さんとかに怒られてた時の方が楽しかった」と言っていて、幸せって難しいなと思った。


そのノブさんの言う「楽しかった大阪の頃」のような瞬間をニューヨークを通して覗き見ている感じが、僕は楽しい。

劇場も年に数回しか行かないし「俺は売れると思ってた!」とか言いたいわけじゃないけど、ニューヨークが売れきってから、それぞれのステージで感じることをニューラジオで語ることが僕の楽しみです。






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