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バスストップ

パースではよくバスを使って移動していた。距離に応じて1~9のゾーンというものがあり、値段はゾーンが遠くなれば少しづつ上がる。前払いで自分の行きたいゾーンまでの料金を払い2時間以内ならゾーン内で何度も乗り降りできる。すごくいいシステム。無料で巡回しているキャットバスというのもあった。

前の回にも書いたけど基本すごくルーズで運転手がクッキーやサンドイッチを食べながら仕事しているのも別に珍しくなかった。最初はすごく驚いたけど気にしてる人は誰もいなかった。
乗るときは「ハーイ」と挨拶をして降りるときは「サンキュー」と運転手に言う。ルールではないが暗黙の了解みたいなものですべての人が必ず挨拶していた。日本だとまるで自動に動いているかのように運転手さんに何か言ったりすることはないので新鮮だった。

夜バスに乗っているとちょっと浮浪者風のおじいさんが乗客にお金をくれと一人一人回り始めた。運転手はすぐにバスを止めて「今すぐ降りろ!」と彼を追い出してしまった。基本、態度がはっきりしている。上下関係ではなく人間対人間なんだというのが他のサービスでも感じられる。もちろんいいこともあれば悪いこともある。

別の夜、語学学校で友達になったアフマドというエジプト人の男とバスに乗っていた。乗客は僕たち以外に5、6人くらい。彼とは帰りの方向が同じでいつも一緒に帰っていた。おしゃべりが好きな男で「自分は本当はエジプト人だけど、スイス国籍も持っているから女の子にはスイス人だって言うんだ」というもう何が嘘なのかよくわからない話をニヤニヤしながら聞いていた。

家まで半分くらいしか来てないところで急にバスが止まった。故障かな?と僕が聞くとアフマドは「よくあることだよ」と言った。前にもこういうことがあったらしい。運転手が外にでてバスの周りをうろうろしたり、どこかに電話したりしていた。僕はやることもないので彼の話の続きを聞いていた。「スイス人だというときは別の名前もあるんだよ」20分くらいたっただろうか。乗客の一人が何か手伝えることはないかと外にでて運転手と話していた。時計は21時を回って、ひとけのない住宅街と果ての見えないまっすぐな道路をバスのライトが照らしていた。マフマドも待ちつかれたのか黙って窓に頭をもたれじっと外を見つめていた。

腕まくりした運転手が戻ってきて、やっと動くかと思って座りなおしたところで「今日はもうバスは動かない。バスはここまでだ」と言った。バスがもう動かないことなんてあるのか。もっと驚いたのは乗客が誰も何の文句も言わずバスを降りはじめたことだった。仕方がないので僕もバスを降りてアフマドと一緒に夜道を歩いて帰った。

バスに乗れるだけまし。バスを利用していると段々そう思えるようになってきた。大雨の中バスが全然やってこな
いことがあった。予定の時間に来たことはないけど確かに来なすぎる。一緒に待っていたスーツのオージーのおじさんもいらいらしている。すでに僕たちは上から下までぐっしょり濡れていた。30分は待ったところではるか彼方にバスが見えてきた。遅れを取り戻そうと猛スピードだ。思いっきり手を上げる僕とおじさん。日本では人が立ってれば、客がそのバスに乗らなかったとしても必ず止まってくれるが、あっちでは手を上げて「乗るんだ」というアピールをしないと絶対に止まってくれない。そして雨の中、手を振り上げる僕たちを置いてそのバスは猛スピードで通り過ぎていった。運転手と目も完全にあっていたが通り過ぎていった。多分そうとう遅れていたから乗車拒否したのだろう。おじさんはガチギレでバス会社にクレームを入れ始める。オーストラリアまで来て凍え死にそうなほど寒い。最悪な状況の中10分たってやっと次のバスが来た。三台縦に並んで。

バス停に来るはずのバスが一つ前の曲がり角から出てきてそのまま向こうに走り去っていったこともあった。
バスに乗れるだけありがたい。
語学学校の授業が終わるのは夜の20時を過ぎたころで、夜に一人でバス停にいることも珍しくなかった。学校に通い始めて2ヶ月たったころいつも使っているバス停の地面に初めてプレートがあることに気がついた。他のバス停にはないものだった。英語で何かが書かれていた。やることがもないので読んでみた。「○○年○月○日。一人の日本人がここで強盗にあって亡くなった」というプレートだった。時間に少し遅れてバスがやってくる。「ハーイ」と乗り込んで席につく。バスはゆっくりと夜の街を走り始める。
次の日からも僕はそのバス停を利用した。不謹慎なのかもしれないけど、それからはその人がどんな人で何をしていたのかを考えながらバスを待った。

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