見出し画像

夜とアボリジニ

バイトが終わって店の前でイワシタさんという従業員とオーナーと話していた。どちらも車で来ていて僕を家まで送ってくれるというけどどっちの車に乗りたいんだ。どっちでもいいですよ。みたいなやり取りをしていた。
結局イシワタさんの車に乗って家の近くまで送ってもらうことになった。

車は普通の灰色の乗用車で車の中は少しタバコくさかった。
バックミラーにカンガルーの形をした芳香剤タグがゆれていた。
イシワタさんはロードオブザリングのドワーフを髪の毛と髭が一本もなくしてアジア系にしたような感じの人で、仕事は速いがちょっと雑なところがありオーナーにいつも怒られていた。陽気な人で常に冗談ばかり言っていて、二人きりでも車内はきまづくならなかった。

運転も料理も人が何かをするとそこにはその人が出るんだなと言った感じの運転で、僕は酔わないように窓の外を流れるスワンリバーを眺めていた。「そんなに俺の運転怖い?」と彼が笑いながら言った。気がつくといつの間にかドアの上のグリップを握っていた。「そんなことないですよ。癖なんです。ここを持つの。」と僕は言った。ラジオからDJの早口で聞き取れないトークが延々と流れていた。

どうしてオーストラリアに来たんですか?会話が苦手な僕でもオーストラリアでは困らない。必ず共通の話題がある。彼はオーストラリアで調理師の免許を取得していて、働きながら永住権を取得申請していると言った。
永住権を取得しようとしている人はとても多かった。滞在中に何人も出会った。みんな理由はそれぞれだろうが日本での生活に疲れてしまっている人が多いなという印象だった。

今ではどうかわからないが、オーストラリアで永住権を取得する方法の一つが向こうで調理師か美容師の資格を取得して、それに類するちゃんとした職場で職を見つける。(もちろん語学力の証明も必要)というのが僕の周りではメジャーだった。あとは現地の国籍を持っている人と結婚する。ただその方法で国籍を取得する人が多すぎて年々難しくなっているとイシワタさんは言っていた。もう何年か待っているけど全然取得できないのよねーと彼はつぶやいた。僕はまかないでもらった餃子弁当を食べながらその話を聞いた。そのころシェアハウスで一緒に暮らしていたハヤシさんという人も全く同じ状況だという話を思い出した。

自分の国ではないところで一生を送ろうと決めるのはどんな気持ちなんだろう。オーストラリアは美しい。窓から見えるスワンリバーには昼間ペリカンやイルカが泳いでいる。バスに乗れば信じられないほど青い海もある。満員電車を見たことがない。夕方5時には渋滞が起きる。みんな家に帰るから。家族を大事にして、休暇を大事にする。休日やクリスマスには給料がダブル(二倍)になる。そもそも給料が高い。なによりここは日本ではない。
人はそれぞれいろんな性質を持って生まれてくる。その性質は変えられない。自分が生まれた場所が合わないことだって全然ありえることだろう。

車が家のそば大きな道路に停車し、「ありがとうございました」と車を降りたところで目の前を猛スピードで赤いスポーツタイプの車が通り過ぎた。車はそのまま大きな音を立てて中央分離帯にぶつかり、道路の上を真横に一回転して着地した。イシワタさんと目を合わせて車のほうに歩いて向かうと、中から白人のカップルが出てきた。男はよろめき額から血を流していた。女の子は何故か平気そうで男に手を貸してやっていた。「大丈夫?」とイシワタさんが尋ねると「大丈夫だあっちに行け」と男に追い払われた。
それ以上どうすることも出来ないので仕方なく僕たちはイシワタさんの車まで戻った。「何なんでしょうね?」「スピード出して遊んでたんだろ」道路には街灯はなく人も歩いていなかった。住宅街はひっそりと静まり返り遠くに赤いテールランプがともっていた。

「じゃあまた明日。」「はい、ありがとうございました。」と帰ろうとしていたら、そこへ一人の肌の黒い男性が近づいてきた。伸ばしっぱなしの髭にボロボロの服を着ていて歯がない。裸足でぺたぺたと足音をさせながら「なあ、タバコを一本くれないか?」と彼は言った。イワシタさんはタバコを吸う人だったので持っていたいるはずだったが「持ってないんだ」と答えた。「なら1ドルくれよ」彼は手を差し出しながらそう続けた。通りにひとけは無く、どこの店も明かりは消えていた。「あげないあげない」イワシタさんは日本語でそういいながら犬を追い払うように手を振った。「アボリジニだ」イワシタさんがつぶやいた。

アボリジニとはオーストラリアの先住民のことだ。もともとはオーストラリアは彼らの土地だった。それを西欧人の開拓の名の下に奪われてしまったのだ。僕もオーストラリアに来るまでは彼らはエアーズロックのある地域で先住民的生活を営んでいるんだとなんとなく思っていた。それは日本に侍や忍者が本当にまだいると外国人が思っているくらいの間違いで実際は街中にも沢山いるし、なぜ彼らがそこにいて、物乞いをするのかにはとても悲しい歴史がある。ちょっとそのことをここに書くことは場所も知識も足りない気がするしネットですごく沢山詳細なその歴史について書いてあるので見てみて欲しい。

イシワタさんや僕は日本で生まれながらオーストラリアに来ることを選ぶことが出来た。選ぶことが出来るということは当たり前なようでとても恵まれていることだ。なぜ選ばないのかなんていうことは出来ない。今日の生活を何とかすることで限界な人やここより他に違う場所があるなんてこと知りもしない人たちが沢山いる。
そして受け取っているこの豊かで美しい町や生活は「タバコをくれないか」と話しかけてきた彼らから奪ったものだ。そこを僕は訪れていて、イシワタさんはそこに自分の場所を求めている。
彼らは僕たちのことをどう思っているのだろう。何だと思っているのだろう。僕は彼が怖かったし、彼のような人たちが町にはいるよと言う話も何度か聞かされてきた。
彼は残念そうにうつむき、横転した車の方をちらりと見て夜の道路を引き返していった。裸足の足から伸びる足首がとても細かった。

たばこをあげればよかったのか?そんなことしてもきっと意味ない。僕はどうすることも出来なかった。
いまだってどうしたらよかったのかわからない。東京で暮らす僕は誰かの何かを奪って暮らしているのかもしれない。僕だって誰かに何かを奪われ続けているかもしれない。

彼を見送ってイシワタさんは「気をつけてね」と言って車に乗り込み走り去った。
僕は弁当の半分残っているタッパーを持って家路に着いた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?