自分のせいにするのと他人のせいにするの、どっちが楽か?

こんにちは、井上真希子です。

さっき、紅茶を飲もうかと思って、お茶こしを探していたんですよ。台所の、いつも置いているところにそれがなくて。

おかしいな、親がどっか違うところに置いたんじゃないの?とちょっとイライラしながらあちこち探しているうちに……思い出しました、私が自分の部屋にお茶こしを置いていたことを(汗)

今朝、ちょっといい烏龍茶を出すために使ったんです。この茶葉は2煎目、3煎目の方が美味しく出るので、茶葉が入ったまま、いったんお茶こしをお部屋に置いて忘れていたんです。とほほ。

そんな感じで、自分のしたことを親のせいにしてイライラしていた私。他人のせいにするのは楽ですもんね。私は何も悪いことしていない、と正当化したかったんでしょうね。

それはさておき、20年以上前のある日。私が大学生で、三味線やお箏(こと)、尺八の部活をしていた時のこと。

何の話だったかは忘れましたが、とある件でちょっとしたトラブルがあったんです。誰が悪いのかはあまりはっきりしない事柄だったのですが、私が「それは私が悪いかもしれないし。。」といった時。

同級生が、「自分のせいにするのは楽やからね」と言ったんです。私は正直、カチンときました。

しかしね、彼女の言うとおりだわ、と思ったんです。

私が悪いとも言い切れないような、判然としない事象に対して、とりあえずその場を収めたいがために私は自分のせいにするようなことを言ったからです。本当に私に非があるならともかく、さっさと丸くその場を収めて終わらせたいからという、安直な考えでの発言でした。

結局、自分のせいにするも他人のせいにするも、その場は楽な逃げ道になるけれどその先は楽ではないですね(苦笑)。どちらにしても他人軸なんですよね。

何か問題が起こった時に誰のせいであるか、責任の所在をはっきりさせるのは、ビジネスの場では非常に重要ですし、ビジネス以外にも必要になることはあります。

ただ、問題解決の場面において、誰のせいであるかというのは必ずしもキーポイントではないと思います。自分軸で、解決のために今の自分に何ができるのか。他の人も巻き込むであれば、誰に何ができるのか、どう協力するか、どう役割をわけるか、いつまでにするか、ということを同じ方向を向いてやるしかないんじゃないかしら。

そうは言えども、どうにもこうにも理不尽で腹が立つ場面に出くわしたときはね、「〇〇のせいじゃー!!!どあほー!!!あんぽんたーん!!!」と書き殴ってビッリビリに破って捨ててもいいと思いますよ!場合によりますけれども、相手に直接ぶつけるのはなかなか難易度の高いことですからね。言葉と態度とタイミングを選ばないと難しい。殴りたいなら、ボクシングジムに行ってサンドバッグを殴る方がおススメでございます。

今日も読んでくださってありがとうございます。井上真希子でした。

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