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誰も悪くない|東海オンエアに関するnote

今、ものすごく迷いながらnoteのアカウントを作って、あてどなく書き始めています。私は何者でもありません。

東海オンエアの動画に初めて出会ったのは、2019年だったかなと思います。たまたまおススメに表示されて、何の動画だったかはもうよく覚えていません。お酒をめちゃくちゃ飲んでいた記憶だけあります。
それまでYoutubeでは好きなバンドのライブ映像をたまに観ていたくらいで、Youtuberという人たちには、今も多くの人がそうであるように偏見の目すら持っていました。でも、6人で画面の向こうでくだらないことを毎日楽しんで笑い合っている姿を見て、何となく元気が出て、それから毎日のように観る時期もあって、いつの間にか飽きてしばらく観ない時期もあって、また思い出したらさかのぼって動画を観返す時期もあったりしながら、今日に至ります。
岡崎に行ったことはないし、グッズもそんなに買ってない。これまで観た動画も多めに見積もってせいぜい2-3割くらいで、たまにある東海オンエアの歴史を振り返るクイズ企画は実はそんなに楽しめない。2018年ごろのしばゆー脱退騒動も知ったのは随分後になってからで、今も経緯はよくわかっていません。その程度のファンです。

でも、ものすごく彼らに救われた自覚だけはあります。仕事が辛かった時、友情を見失いそうになった時、故郷に帰りたくなった時、6人はいつも変わらぬバカさ加減で私と肩を組んで笑い飛ばしてくれました。重ために愛を語っているように聞こえるかもしれませんが、そんなに大それたものではなく、もっと身近で気の置けない友として存在してくれていました。

今回、炎上しているのを見かけて、またいつものように盛り上がっているな、くらいに思っていました。そこから少し事態が深刻に見え始めて、それでも最初のうちは、〇〇が悪いのかなとか、●●がもっと譲歩すれば良いのに、くらいのことしか思っていませんでした。
本人たち、関係者、同僚(?)のYoutuberたち、ファン、その他諸々、だいたいは誰かをかばって、誰かを批判する意見でした。本当に悪いのは誰か。しばゆーか、あやなんか、てつやか、りょう、虫眼鏡、としみつ、ゆめまつ、バディ、ファン、ファンを批判するファン、UUUMという会社、それぞれに対してそれぞれが色んな意見を持っている。
私の景色から知ることのできる情報、理解できる事柄は本当に限られている。でも、そんなか細い視野の中でも、考えれば考えるほど「真犯人」がいるからこうなってしまった、とはどうしても思えなくなってきました。もしかして、誰も悪くないんじゃないか。
だから、1人のファンとして、ただ黙ってどうにか良い何かに落ち着くように祈ることしかできない、と思っていました。それが東海オンエアの小さな小さなファンとして出来る唯一のアクションだと思ったからです。

でも、今は違うことを思っています。
もし、このまま状況を静観していたら、もっと大きな何かが起こってしまうかもしれない。それによって、真犯人探しがもっともっと苛烈になって、もっともっともっと大きな何かが起こってしまうかもしれない。
だから、思い切って何か文章を書いてみることにしました。私が感じていることはただ一つ、誰も悪くないということです。ただこれだけを言いたくて、noteを書くことにしました。

このnoteが有名になる可能性は限りなく低いし、ましてや本人たちや関係者に届く可能性はほぼゼロだと思います。
でも、もし万が一誰かに届いた時に、出来るだけ色のついた文章だと思われないようにしたいと考えました。この筆者はこういう人だからきっとしばゆーをかばいたいんだろうとか、わからないですが男だからてつや派だとか、家庭持ちの女だからあやなんの肩を持っているんだろうとか、もしかしたら関係者なんじゃないかとか。
そういった賢い憶測によって、このnoteで伝えたいただ一つのこと、誰も悪くないというメッセージが、ほんの少しでも歪まないことを願って、できるだけ素性がわからないように書き切ろうと思っています。

友情:東海オンエアの始まり方

何度も繰り返しますが、私はそこまで東海オンエアの歴史や相関図に詳しくありません。詳しくないなりに、今までの彼らを思い返してみたいと思います。

彼らの始まりは、小さくてとても強い友情からでした。
私たちの多くが高校時代や大学時代に経験した温もりのあるつながりと、何も変わらないと思います。
もちろん、てつやの意図はわかりません。何かしらの狙い、たとえばYoutubeというメディアと相性が良い友達を意識的に集めたのかもしれない。でも、彼らに学校を辞めさせて、どこまでいけるかわからないけどこれで食っていってみようか、という意思決定を最初にさせたのは、他でもない友情だったんじゃないかと思います。
友情は時に勇気ある行動へ人を踏み出させることを、私たちはみんな知っています。友情のために怖い先生から誰かをかばったり、努力して何とか同じ学校に入学しようとしたり、遅くまで一緒に失くし物を探してあげたり。当時、Youtubeでやっていこうとするなんて、もしかすると勇気を超えた向こう見ずな判断だったのではと思います。たぶん、友情というつながりがなかったら、早々にその旗は降ろしていたのではないでしょうか。

今日に至るまで、友情こそが東海オンエアの原動力であり、そしてファンの心をつかんで離さないコンテンツでもありました。

経済圏:東海オンエアがつくってきた拡がり

最初は誰からも応援されず、むしろつまはじきにされてきたであろう彼らの友情は、次第に周りの人を絆すようになりました。
近所のラーメン屋、その店主、母校、その先生、実家、親、兄弟、いつの間にか岡崎市行政まで、彼らの友情に何かを感じ、時に協力し、時に期待までするようになりました。
それは地元愛という陳腐な言葉では片づけられないものかもしれません。サチオという店主が面白い、まんぷく亭が美味しい、自分たちの日常から見える景色に面白さはいっぱい眠っていて、それを伝えていくことが何よりも楽しかった。ただ面白さを追い求めていった先に、周りの人が自然とついてくるようになったのではないでしょうか。
いつしか、彼らは岡崎の中に経済圏を生み出す存在になりました。本人が何とも思っていなくても、彼らの友情に絆され、岡崎には多くのファンが訪れ、モノを買い、ご飯を食べ、何でもない公園を訪れ、泊まる。地元の観光基本計画に名前が載るような存在を、最初から彼らが目指していたとはとても思えない。

自然と周りが彼らに惚れ、あるいは彼らの力を認め、そういう場所に押し上げられていったのだと思います。

人生:20歳から30歳になった東海オンエア

最初は、本当にただバカをやっていただけの小さなじゃれ合い。たぶんそれは、Youtubeにその様子を載せていたかどうかを除けば、大学生なら誰もがやっていた当たり前のノリだったと思います。こんなことしたら誰かに怒られるかも、なんて思わず、いま自分たちが思う最高の面白さを常に全力で表現しようとしていた。
そして、20歳が25歳になり、30歳になり、バカをやり続けてYoutuberとしての階段を駆け上がりつつ、少しずつ彼らは人生の階段も歩んでいきました。いつの間にか守るべき家族ができ、子どもができ、大食いできる体力がちょっとずつなくなっていく。何かを背負うようになり、老いを少しずつ感じるようになる。人生の階段は、生きていたら当たり前に経験することばかりです。
1つだけ私たちと違うのは、それらすべてが私たちにとってコンテンツだったということです。私たちは100万人から200万人、500万人、700万人と登録者数を増やしていく東海オンエアの階段だけでなく、20歳、25歳、29歳、30歳と一歩ずつ上がっていく小柳津徹也や柴田裕輔の人生の階段も、出来るだけ多くを知ろうとし、応援してきました。てつやの結婚、しばゆーの2人の子どもたち、ゆめまるの子どもの名前、虫眼鏡の苗字が変わったこと、どれもただ好きなYoutuberのプロフィールを覚えていたいというファン根性以上の、まるで友達の人生の節目に立ち会ったような温もりを勝手に感じています。
最近ある動画で、昔のような調子で大食いできなくなってきた自分たちに対して「これから何十年もyoutubeやっていくんだから、どうするか考えようぜ」と冗談っぽく語っていたのは、としみつだったでしょうか。成長し、あるいは老いながら、どうやってYoutuberと人生の折り合いをつけていくか、そんなことが頭をよぎらなかった日なんてきっとなかったのではないでしょうか。

私は、そういう言葉を通じて、彼らの中にYoutubeを続けていこうとする意志が時折見えることを、何よりも喜びに感じていました。

友情、経済圏、人生

友情、経済圏、人生。この3つの要素は、同級生たちで結成した登録者数700万人の一大グループYoutuberという環境だったからこそ、それぞれがここまで発展してきたのではと思います。
そしてその3つは、それぞれが発展していくほど互いに衝突していく。その片鱗は、今思えば動画の端々に見え隠れしていたし、私は気づかないフリをしていたのかもしれません。

友情という小さく強いつながりは、普通の私たちであれば、時と共にゆるく持ち続けているケースもあれば、時には薄くなっていくことも当然あります。高校の時どれだけ仲の良かったグループでも、その全員と10年間も当時と同じ勢いで仲良く居続けることなんて基本はありえません。
しかし、本人たちがその友情を続けたいと思おうが思うまいが、彼らの友情の周りには今や経済圏がある。アイツと最近うまくいかないからちょっと距離を置こう、という、私たちなら友人に対していつそうしてもおかしくない思いつきが、彼らにとっては多くの人を巻き込んでしまう極めて重たい判断にまで膨らんでいました。もしかしたら、ここで距離を置きたいと口に出してしまうと、何万人もいる熱狂的なファンだけでなく、自分たちを陰に日向に支えてくれた岡崎市の何百人、何千人にも影響を与えてしまうかもしれない。私だったら、そんな環境でも自分の本音を言ってしまおうという気にはとてもなれません。ここまでグループを育ててこれたほど責任感とやり抜く力の強い彼ら自身であれば、より一層そうだったのではないかと思います。
更には、彼ら自身の人生もどんどん先に進んでいきます。自分の命より大事なものがいくつもでき、一方で20歳の時のように徹夜で遊び続けてもへっちゃらな体力はもうない。昔と全く同じノリで友情を確かめ合うことは出来ないのに、ふと周りを見渡してみると自分たちの友情の周りには同心円状に色んな人の人生が折り重なってしまっている。そして、自分の人生をさらけ出して続けることが色んな人たちから無意識に期待されるようにもなっていた。
彼らは優秀なYoutuberなので、彼ら自身、あるいはその周りにいる人たちが極めて賢明に動画戦略や企業コラボの打ち出し方、ShortsやTiktok露出の使い方を考えていたでしょう。しかしそれらは全て、コンテンツの核となっている友情が友情のままであり続けることが大前提で、それは彼ら自身が一番よくわかっていた。だから、上に書いた細かい戦略よりはるかに多くの物理的・精神的リソースを、友情をつなぎ続けることに注ぐ。そんな10年間だったのではないかと私は想像しています。

世の中への出方

ここまで考えて、たとえば同級生で組んだお笑いコンビや、あるいは小さい頃から苦楽を共にしてきたアイドルグループと何が違うのか、ということも思いました。たしかにどちらも、友情・経済圏・人生という3軸がメンバーの間で折り重なり、それが時には衝突という形で発露していたこともあったように記憶しています。
しかし実際のところ、この3軸が今回の東海オンエアレベルに衝突していることは、私の狭い視野の範囲では無かったかなと思います。その理由は大きく2つあったのではないでしょうか。

①SNSがものすごく発達して、自分のちょっとした言葉を誰の目を通すこともなくすぐさま世界中に発信し、それを痕跡ひとつ残さず回収することが出来なくなりました。グループが成長していく過程で誰しも起こるであろう3軸の衝突が、誰の目にも明らかな形で発露されます。それにファンを含めた周囲が反応し、時に○○陣営、●●陣営に分断してしまうことで、より一層衝突を深めることもあるでしょう。
②お笑いコンビやアイドルグループは、基本的には世に出る前に卓越したマネジメント組織の中に組み込まれ、世間への露出の仕方を訓練されながら少しずつ有名になっていきます。Youtuberの多くは、最初の最初は正真正銘の個人事業主として自分で自分を世間に売り込み、発信する技術を自分で磨いていった後、仕事のサイクルを安定化させるためにマネジメント組織に組み込まれていきます。この構造では、マネジメント組織がグループ構成員の発信を訓練し、時にコントロールするという権限を発動しづらくなっているため、衝突が世間に知られてより一層増幅していく負のスパイラルを止められる機能がなかったのかもしれません。

この2つの要素が掛け合わさった時、おそらく誰もが今回のような事態に遭う可能性があったのではと思います。もしかしたらYoutuberに限った構造でもないかもしれません。Youtubeと全く関係のない、インターネットから生まれた別のヒーロー集団がこうなっていたかもしれません。
今回はたまたま、友情から始まったグループYoutuberとしては最前線を突っ走っていた東海オンエアが不運にも遭遇してしまった、というだけのことなのかもしれません。

メンバーそれぞれの性格だったり、その人間関係だったり、といった要素も確かに衝突の理由に含まれているのかもしれません。しかし今、インターネットではそこを掘って誰かを貶めるような言説しか見られないことに、私はとても違和感を抱いています。
もちろん、UUUMという組織に非があることを主張したい訳でもありません。こういったリスクがそもそも予見できたものだったのだろうかとも思います。私がもしUUUMの中にいたら何か対策できていた自信なんてこれっぽっちもありません。人生そのものをコンテンツに変える覚悟を決めたクリエイターをコントロールする難しさは、想像を絶するものです。

冒頭に書いた通り、私は誰も悪くないと思っています。友情から始まったYoutube、周囲を巻き込んできた経済圏、人生全てを応援される歩み方、昨日まで全て「良いこと」であり「自分が東海オンエアを好きで居続けられる根拠」だと思っていました。ここまで衝突が表面化するまで、それらの要素が噛み合うとむしろとんでもなく悲しいことが起こるなんて一切予見できていませんでした。

最後に

私もただの1ファンなので、視聴者としての責任を語る立場にはありません。
ですが私個人としては、彼らの友情をコンテンツとして受け止め、自分の生きる源泉にしてしまっていた負い目を拭い去れません。ただピュアに、彼らの友情を眺めていたいと思っていたし、その友情がいつまでも続いてほしいと無責任に願っていました。

東海オンエアのメンバーを始め、関係者の皆さんにお願いしたいことは何一つありません。
ただ、さらにその周囲を取り囲む我々視聴者を含めた全員に、「誰も悪くなかったんじゃないですか」ということだけはどうにかして伝えたいと思っています。
誰も悪くないなら、じゃあどうやってこの問題を解決するんだと言われてしまいそうです。たしかに、誰かが悪いという前提に立って、真犯人を見つけて吊るし上げた方が問題解決につながりやすいという主張もあるかもしれません。
ですが、今回のことを受けて、私はこの問題はそんな簡単な話ではないと思いました。誰かを吊るし上げても、同じような構造はYoutubeの底で渦巻き続け、いつかまた誰かの衝突として世に現れる。そんなことが繰り返されていくうちに、Youtube、いやもしかしたらエンターテインメントという世界そのものが消えてなくなってしまいそうな気がしています。
東海オンエアだけでなく、テレビやYoutubeをはじめ画面の向こうで活躍している人は私にとって全員、退屈な日々に彩を与えてくれた恩ある方々です。
解決する方法なんてわからないけど、まずはみんなと「誰も悪くない。そもそも本当は何が問題なのか、一緒に考えよう」という合言葉を共有できるきっかけができればと願いながら、このnoteを投稿してみることにします。

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