見出し画像

スピリチュアル・メイト 第1章「ローラの髪留め」

第0話 lost of memory

 フランボワーズティーの香りと、レースのカーテンから洩れた光で今が朝だとわかった。窓際で揺れているのはダリアだろうか。

 歌うように繰り返し聞こえるのは誰かの名前か。

 名前――私の名前は何だったろう。なぜ此処に居るのだろう。

 誰かが手を握っているような温かさを感じて視線を動かすと、かすかに目が合ったような気がした。私を呼んでいるの?いつから此処にいるの?教えて……


第1話 fadeless rose

 そろそろローラが来る時間だ。
 私はこの町で一番高い丘に建つ瀟洒な洋館で両親と暮らしている。森を抜け、裏口の門をすり抜け、2階にある私の部屋のバルコニーまで、ローラは器用に登ってくる。そしていつも薔薇を一輪摘んで持ってきた。
「リリー、こっちを向いて」
 ローラが耳元で囁く。もう恥じらいなどどうでもよくなった。恋しい相手に身を任せることは、不自由な毎日に対する、私のささやかな反抗だったのかもしれない。ローラに抱きしめられると、涙がこぼれた。窓を叩く雨の音だけが私たちを夜に隠してくれる。許されないのなら、誰も許してなんかくれなくていい。私は私のために、愛を求めるの。今まで作り上げられた価値観など、瞬く間に崩れ落ちた。
 貴方のくれる言葉は、私を私らしくしてくれた。私は貴方に出会うために生まれてきたのかもしれない。退屈だった16年間。それは貴方に出会うためにあったと思うほどに。
「ローラ、愛してるって言って」
「愛してるよ、リリー。二人だけの世界へ行こう」
 月明かりが照らす真っ赤な薔薇が視界の隅に滲んでいく。全身でその声と、温もりを感じていた。
 身体を離してもう一度ローラの瞳を見つめた。ローラの瞳が私の右目、左目を確かめるように交互に見つめていた。その瞳には私だけが映っている。それでいい。それだけでよかった。
「ずっと寂しかったの。貴方と出会うまで、ずっと寂しかった」


 ローラと出会ったのは春の舞踏会だった。
 町の人たちが集まり、私と同じ年頃の子たちも、何人か来ていた。着飾ったドレスに、タキシード。煌びやかな照明、グラスを合わせる音、優雅な演奏。でもそのどれも私には響かない。退屈な日常にスリルという毒を盛って、興じている人々が馬鹿馬鹿しかった。
「そろそろ帰ろうかしら……」
 私は誰とも話すことはなく、適当に過ごしていた。帰ろうとした瞬間、靴のベルトが千切れて、歩けなくなってしまった。
「あっ……どうしましょう」
 ソファに掛けた時、フロアで一際目立つ長身でブロンドヘアの彼女と目が合った。初めて会うのに――なぜか懐かしい気持ちになった。
「まぁ不思議……時が止まるって……このことを言うのね」
 私はその瞬間、彼女以外のすべての人が白い光の中に消えて、まるで二人きりになるような感覚に包まれた。
 ローラは、その瞬間のことを覚えているだろうか。貴方はまっすぐに私の元へ歩いてきて、軽々と私を抱き上げ、外に連れ出した。初めて同世代の子と接したのに、彼女を自然に受け入れた自分に、びっくりした。その夜は、帰りたくない気分だった。


 地元の名家で生まれた私は、両親に厳しく育てられた。毎日毎日、決められたことをこなし、立ち振る舞いや口にするものまで、すべて管理されていた。友達と遊ぶことなど許されなかった。だから私には友達が一人もいなかった。
 部屋のバルコニーから見える薔薇園に季節ごとに咲く薔薇たちを眺めている時間が、私の唯一の楽しみだった。17歳になったらこの家を出て、どこか遠くで暮らそう。あの薔薇園を見ていると、不思議と寂しさは消えた。誰とも言葉を交わさなくとも、私の心は満たされた。
 少し前まで私はどれだけの時間を無駄に過ごしていただろう。そう、ローラと出会うまで。楽しいと思うことを何も知らず、人形のようだった。感情もなく、ただ両親が望む通りに、生きてきた。


 ローラが私の部屋を訪れるようになったのは、初めて会ったあの夜、まだ帰りたくなくて、裸足で薔薇園を駆け回り、走り疲れた私を家に送ってくれて、裏口からこっそり私の部屋に帰ってきたことがきっかけだった。
「こんなに楽しかったのなんて人生で初めて!」
「私も。この町は子供が少ないから、なかなか友達できないよね。リリーは薔薇が好きなの?」
「家のバルコニーから毎晩この薔薇園を眺めていたの。いつか来たいと思っていたの」
 色とりどりの薔薇が辺り一面を埋め尽くしていた。モノクロだった私の日常に、色彩をくれたのは、出会ったばかりのローラだった。
「いつでも来たらいいさ。リリーなら大歓迎だよ」
「えっ?」
「ここは私の家族がやっている薔薇園なんだ」
「そうだったの!近くに住んでいたのに、ローラみたいな美人さんがいたなんて、知らなかったわ」
「私も。リリーみたいな美人な子、この町で初めて見たよ。こんな素敵な出会いがあるなんて!私を無理やり舞踏会に行かせた母さんに、感謝しなくっちゃ!」
 ローラは、張り詰めた私の緊張をほどくように、深呼吸をするようなペースで、語りかけてくれた。心地良いその速さに、身を任せていた。すると彼女は、急に真剣な眼差しで私の顔を覗き込んで訊いた。
「リリー、また会ってくれる?」
 ローラの声って不思議。初めて会ったのに、私の全てをわかっているみたい。私を包んでくれる優しく穏やかな声。見つめられると、嘘なんかつけなくなる。
「会いたいわ。でも……叶うかわからないわ。あの家から出るなんて、今まで何度試してもだめだったもの」
「叶わないなんて言わないで。いくらでも方法はあるよ。夜、寂しいときにはこのバルコニーに出てきて。リリーの家の明かりがすべて消えたらこのバルコニーに登ってくるよ。この距離なら、リリーの姿を見つけるのは簡単さ」


 ローラが初めてくれたのは黄色の薔薇だった。黄色い薔薇の花言葉は、『友情・希望』だとローラが教えてくれた。
「ゴールドに近い黄色い薔薇は、『何をしても可愛い』っていう意味があるんだ。まさにリリーにぴったりでしょ」
「うふふ、ありがとう」
「そうだ、リリー、これをあげる」
 そう言ってローラは自分の髪を留めていたリボンを、私の髪に結んでくれた。ローラはいつもこのリボンで、長い髪を一つに束ねていた。
「いいの?大切なものじゃないの?」
「いいんだよ。リリーの方が似合うから。私、小さい頃からフリフリの洋服を着せられたりして育ったんだけど、本当は男っぽいものが好きなんだ。髪も本当は短いのが好きなんだけど、こっちの方が両親が喜ぶから、伸ばしてる。あの薔薇園も私が継ぐことになっているんだけど、本当は昔から漁師になりたかったんだ。リリー、海に行ったことある?」
「海はすごく小さい時に行ったことがあるみたいなんだけど、ほとんど覚えてないわ。ローラが漁師になったら、かっこいいだろうな」
「いつか二人で海に行こう。採れたての魚の美味しさを知らないなんて、もったいない!うちは父が漁師だから、毎晩魚ばっかり出てくるんだ。薔薇園は父が趣味で始めたんだけど、母が気に入って、今みたいに大規模になっちゃった。海は広くて気持ちよくて、自由になれる素敵な場所なんだ。リリーも連れて行ってあげたいな」
 海のことを話すローラは、目を輝かせて楽しそうだった。私にも何か夢中になれるものがあったらいいのに……


 次にローラがくれたのは、ピンクの薔薇だった。
「ピンクの薔薇の花言葉は、たくさんあるんだけど、その中で『恋の誓い』っていうのがあるんだ。最近、いつもリリーのことを考えてしまうんだ。次いつ会えるんだろうって。恋してるのかな、私。なんてね」
「ありがとう。私も、なんだか不思議な気持ちなの。恋愛は、男の人と女の人がするものと思っていたのに……そんなの大人が勝手に決めたことよね。」
 この日私たちは、初めてキスをした。あまりにも緊張して、目を閉じるのを忘れた。だけどローラのブロンドヘアが風になびいたその隙間、遠い空に流れ星を見た気がした。見たことのないものが見えるようになったり、温かい手の温もり、ローラと会うたび私はひとつひとつ恋を知っていった。これまでずっと馬鹿馬鹿しいと思っていた、恋にまつわる全てのことに、心が傾いていくのに驚いた。
ありきたりかもしれないけれど、誰かを愛するって幸せなことなのね。ようやく気付いたとき、微笑んでくれたローラの笑顔に、私はまた一つ恋をした。生きている今が全てなら、少しでも長くこの瞬間を感じていたい。ほどいた手が行き場なくて、泣かないように、手を振ることでローラの笑顔に応えた。
「ローラ……また会いに来てね」
「離れたくないね。だけど、またすぐ会えるよ。」
 ローラが毎回くれる薔薇を、私は両親に内緒でベッドサイドに花瓶を置いて飾っていた。会えない日が続いても、この薔薇を見ているとローラを近くに感じて眠れた。


 私は家では相変わらず無口だった。両親とも必要以上のことは話さない。人形の日々。唯一、私が幼い頃から仕えてくれている執事だけは、私とローラのことを気付いているようだった。頼んだわけではないけれど、彼はそのことを両親には内緒にしてくれていた。
 ある日、私が真夜中にローラと会ってバルコニーから帰ってきたとき、洗面所に行こうと部屋の扉を開けると、ドアのすぐ下に温かい紅茶が置いてあった。しかもまだ淹れたばかりで熱い湯気が上っていた。
 カモミールティー――幼い頃から不眠がちな私のために、彼がいつも淹れてくれるハーブティー。そういえば最近冷え込んできたと思ったら、もうすぐ冬になるのね。カップを両手で包んで、指先が温まって来るのを感じたら、執事の優しさに気づいた。彼は昔から、無言の優しさを私にくれた。ローラと出会った夏からこの数ヶ月、私の心の中も大きく変わって行った。人の優しさや、愛を得ることの有り難さに、気付けるようになった。


 いつもより恥ずかしそうにローラが手渡してくれたのは、真っ赤な薔薇の蕾だった。
「赤い薔薇は色によって花言葉が変わるんだ。緋色の薔薇は『灼熱の恋』、黒赤色は『決して滅びない永遠の愛』、真紅や紅色、他にもたくさんの意味をそれぞれが持っているんだ」
「この、蕾にはどんな意味があるの?」
「口にするのは恥ずかしいんだけど……。」
「なになに、教えてよ」
 上目遣いにローラを見つめた。恥ずかしそうな顔が可愛くて、愛おしくなった。
「『愛の告白』」
「ローラ……」
 ローラが泣きそうな顔をしていた。それは悲しみではなく、大切なものに触れるときの、心の底から溢れる穏やかなものなんだと思う。
「リリー、何度も会ううちに、本当に好きになってしまったんだ。好きなんて言葉じゃ、足りないくらい。愛してる、リリー……」
「ありがとう。私も、ローラのこと、すごく好きよ。夜だけじゃなくてずっと一緒にいたい」
 永遠なんて誰も保証してくれない虚構のものだと思っていた。だけどローラといると、私たちは永遠に、一緒に居られるような気がした。ローラに抱きしめられると、この世界の何処よりも安全で、優しい自分になれるのを感じた。
 ローラの腕の中で、気づいたら眠ってしまっていたようだ。目が醒めるとローラと一緒に私のベッドで横になっていた。まだ空は暗く、月明かりがぼんやりと浮かんでいた。初めて見たローラの寝顔。凛とした瞳でいつも私を導いてくれる彼女だけれど、眠っているときは子供みたいに無垢で幸せそうで、ローラの頬にキスをしてもう一度眠った。


 お母様にその写真を見せられたのは、夏が終わって、秋になる頃だった。
「週末、この人に会いに行くからね」
 両親の付き添いで出かけることはよくあったけれど、写真を見せられたことに、少しの違和感と、嫌な予感がした。
「誰でしょう、この方は」
「お父様の昔からお世話になっている人のご子息よ。リリー、貴方この冬に17歳になるでしょう。私たちが大切に育ててきた貴方なら、きっと素敵なお嫁さんになれるわ」
 お母様が何を言っているのかわからなかった。写真の中で微笑んでいる男の子に、少しも惹かれなかった。不安を打ち消すように、ただひたすらローラの笑顔だけが、頭の中に浮かんでいた。
 突如、不安と怒りが一気に湧き上がってきた。やっと自分の感情を持てるようになったのに。自分の意思で、いろんなものを見たい、まだ知らない世界を見たいと思えるようになったのに、まだ私はこの家に運命を決められないといけないなんて……。ローラに会えなくなるかもしれない、ローラ以外の誰かに触れられる日が来るかもしれないという恐怖が、私の胸の内で拒むように激しく脈打っていた。
「私、嫌よ。こんな方知らないし、勝手に決めないでよ。お母様、私のこと大切に育ててきたなんて言うけど、この大きな館に閉じ込めてただけじゃない。自由を奪って、縛り付けてきただけじゃない。私を幸せにできるのはローラだけ。ローラだけなの!」
「ローラ?」
 気づいた時には遅かった。ずっと秘密にしていたローラのことを、勢い余って口にしてしまった。お母様に反抗するなんて、家の中でこんな大声を出すなんて、初めてだった。
「……リリーちゃん。貴方は私たちの決めた道を歩んでいれば、幸せになれるの。勝手なことして……。お父様になんて言えばいいの。お願いだからいうことを聞いて頂戴」
 その日から私は一歩も外に出ることを禁じられた。バルコニーへの扉の鍵も、錠で固く閉じられてしまった。


 そんな状況でも、ローラは私のことを責めたりせず、会いに来てくれた。触れ合うことはできなくても、バルコニーの扉のガラス越しに、私たちは多くのことを語り合った。部屋に閉じ込められて暗くなっていた私を元気づけようと、ローラは魚の話や、遠い国の海の話をしてくれた。
「ごめんなさい、私の家が厳しいばかりに……。ローラに迷惑かけてしまって……」
「そんなことないよ。こうしてリリーの顔が見れる、それだけで私は幸せだよ」
 私たちは窓越しに掌を合わせた。そうしていると、ローラの温もりが伝わってきた。
「リリー、私たちは、まだ知らないことがたくさんあるんだよ。だからここを出て、一緒に遠い町に行こう」


 翌朝、目が覚めて空を見上げると、不穏な雨雲が街を暗く覆っていた。ローラは今何しているのだろう。私は冬が来る前に、隙を見て錠を壊し、この部屋から逃げ出すつもりだった。
「ローラと二人で生きれるとしたら、どんな町に住もう。ローラの漁師になりたいという夢、私も力になってあげたいな。海のある、ここからずっと離れた町で、暮らせたらいいな。ローラはどこか行きたい町はあるのかしら。次に会ったら聞いてみよう」


 しかし、その頃から急にローラが来なくなった。家の事情か何かだと思っていたが、数週間後、ふとバルコニーを見たら黄色いバラが置いてあるのが見えた。
「ローラ!いつの間にか来てくれていたのね」
 ローラが初めてくれたのも、黄色い薔薇だった。
 私は退屈な日々を、ローラと初めて会った頃からの想い出を思い返して過ごしていた。しかし時の流れは残酷で、私の17歳の誕生日はあと1週間と迫っていた。
「ローラ、どうしたのかしら……両親が決めた結婚なんて、絶対に嫌。ローラ、早く私を連れ出してよ……」


to be continued...


原案・イラスト/千之ナイフ
著者/宇崎真里愛
プロデュース/加藤貴行
企画・制作/LBS@MUSIC芸能・音楽事務所
2017年4月20日(木)よりFMうらやす【LBS的声優勉強会】にてボイスドラマ放送開始!


Twitterにて最新情報をお届けしていきます。(フォローありがとうございます!)
https://twitter.com/spiritual_mate
@spiritual_mate



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?