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Say Nothing Board 無言板 [1]

街のなかにひっそりとたたずむ、文字の消えた白い看板たち。伝達内容を喪失した役立たずの板も、見方を変えれば、現代絵画のように大きな時代精神や小さな無意識までをも映す鏡になる。ロードサイドの芸術談義は、路上に始まり禅に向かう──"言うことなし"の無の芸術とは?

はじめに: 無言板とは何か

 文字が消えた白い看板を見ていたら、Say nothing boardという英語が閃いた。何も言わない無言の看板。日本語で「無言板」とすれば、かつて駅にあった伝言板と字面も似ていて、造語なのにしっくりくる。

 ものは名付けられて初めてその存在が認められる。ある日、ひとり勝手に「無言板」と名付けてみたら、とたんに、街のあちこちに字のない看板が残されていることが気になり始めた。

沈黙のマンション Tokyo, 2018

 設置されてからずいぶん経つのだろう。雨風や直射日光にさらされ、ペンキが剥げたり、インクが消えたりして文字のなくなった看板は、当初の目的である指示や警告や注意喚起の役から解かれ、ただの無地の板として残存している。かつて赤瀬川原平が、街中の役に立たない無用のオブジェを「超芸術トマソン」と名付けて発見したのに倣っていえば、「無言板」は実用性のない芸術のように「純粋な物体」として存在している。

 とくに看板はたいてい四角い平面なので、字や図のなくなったまっさらなものは絵が描かれる前の白いカンバスのようだし、ものによってはミニマル・アートやモノクローム絵画のようにも見えてくる。経年変化の過程で微妙な濃淡やテクスチャーが生まれた平面は、じっと対面し、しばらく観察しているとじつに絵画的な魅力にあふれている。じゅうぶんに鑑賞の対象になりうる。

三役揃い踏み Tokyo, 2019

 雨滴を絵具に、風のブラッシュ・ストロークで描かれたこの絵画は、人の手ではなく自然によって生み出された作品といってもいい。作り人知らずのアノニマス(匿名的)な作品を超えた、無人の、無意識によるオートマティックな絵画。現代絵画のように偉そうな「無題」というタイトルすらない(タイトルは発見者が自由に付けられる)。何より無心で、無垢な存在である。それが、美術館の白い壁面ではなく、道端のブロック塀に針金で掛けられたり、ビルのタイル壁にテープで留められたりしていることが、なんとも潔く、美しい。

印象・日の出 Tokyo, 2019

観察: 無言板の類型と特徴

 無言板には、その状態や置かれた状況など見た目にさまざまなものがある。ここでは路上観察的な方法で、その特徴を類型化し分類してみる。

ホワイトボード型
 すべての文字や絵などの情報が消えた結果、白地だけが残ったもの。あるいは、商業広告看板でスポンサー不在のため白の下地だけを塗った状態。視覚情報にあふれる街中に忽然と立つ白板は、絵が描かれる前のカンバスのように清すがしく、想像力をかきたてる。

時のストローク、影の絵画 Tokyo, 2019

ペインティング型
 文字や図像が消えた後、雨風によって埃やしみが模様のようになったり、さらに下地の塗料の剥離によって絵画的な効果が生まれたりしているもの。自然が創造した偶然の産物で、時間の経過によっていま現在も変化していく過程にある。抽象絵画のようなものもあれば、荒あらしいアクション・ペインティングや心象風景を思わせるものなどその表現力は豊かだ。

街角の枯山水 Tokyo, 2017

わびさび型
 下地の塗料が剥離した結果、板材の素地があらわになったもの。木材の木目、鉄板の錆びなどマテリアルのテクスチャーが立ち現れ、物質的な存在を強く喚起する。1970年代の日本の現代美術動向である「もの派」のように、生なましい物質性が逆に時代を超えた精神性を静かに映す。

最後にものをいうのは金 Tokyo, 2018

梱包型
 看板が見えないように段ボール、ブルーシートなどの梱包材料で包まれている状態。新たに設置されたオープン前のものや、諸般の事情で看板の内容を一時的に読ませないようにしている場合もある。アーティストのクリストが建築物を大きな布で梱包した作品のように、中身を見せないことで意味から解放された物体はただフォルム(形態)やマッス(量感)をもって存在を主張する。

公園のニューフェイス Tokyo, 2019

穴埋め問題型
 色文字だけが褪色して黒文字だけが残った状態。とくに赤字で強調した重要な部分が欠落しているさまは、見る者に解答を促す。赤の塗料が紫外線に弱いため起きる現象で、同じ赤色でも耐光性塗料を使用しているものは褪色があまり見られない。設置者の意識や看板業者の質の程度があぶり出される。

飼い主検定 Tokyo, 2018

かすれ声型
 だんだん文字が薄くなっていく過程にある状態。進度によってまだ読めるものからほとんど判読できないものまでさまざまなレベルのものがある。消え方の様相や度合いによって、かすれ声、しわがれ声、か細い声などなぜか生身の人の声を聴覚的に連想させる。時の経過によって人の記憶が次第に薄れていくようすにも似ているが、忘却は見方を変えればむしろ風雅で味わい深い。

ストリート書道 Saitama, 2019

広告の裏紙型
 広場の中央などに設置された看板は、何も書かれていない裏側が露呈される。短期的には落書きを誘発する場合もあるが、ここでは長期の経年変化によって何らかのイメージが生成され、本来何もなかったはずの裏面が絵画化していく事例に着目。かつて幼少時代に片面印刷の広告チラシの裏面にお絵描きをさせられたことを思い出す。

B面のアクション・ペインティング Tokyo, 2019

残像型
看板が取り外された後に残された痕跡から、かつてここに看板があったことがわかるもの。直貼りポスターの糊や両面テープの跡、日焼けやペンキ補修の跡などさまざまな原因によって生成される。

平成グラフィティ遺構 Tokyo, 2019

純粋看板
 ポスター専用の掲示板等に何も貼られていない状態。告知する情報のない掲示板は三次元空間に垂直に定められた任意の平面であると同時に、用途のない純粋な物体として現実界に出現している。

言うことなし、純粋看板 Tokyo, 2018

空虚型
 板の脱落や崩壊、取り外しなどにより、枠や留め具だけが残存している状態。無というより空の存在として、無言板のなかでも究極的な最終形態といえる。

無事平穏板(本日も言うことなし、町内会) Tokyo, 2012


 筆者は2018年12月から毎日一枚ずつ無言板の写真をInstagramにアップロードしています。Instagramでハッシュタグ # saynothingboard # 無言板 を検索すれば150枚以上(2019年5月現在)のストックを閲覧できます。


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