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2020年4月22日曇り。 椿と山茶花と牡丹と芍薬の花を並べて想像するのは無理

山本ムーグ様

 クルマ=いちばんでっかいオーディオ機器っていう話、よくわかります。僕も自宅であまり音を出せないので運転するときには音楽を聴くのが半分目的化していました。バッファローもアルバム全部よく聴いてました(大音量でかけたいときのお気に入りは断然『Pshychic』)──といまこれ過去形で書いているのは、実は一昨年自家用車を手放してしまったから。なんか急に要らない気がしたんですね。このまま無理して運転していたら運転が嫌いになってしまうのが嫌だったというか。

 で、クルマをやめてから電車の中で本を読んだり疲れたら居眠りしたり(移動中に10分でも眠れるって最高に幸せ)、道を歩きながら写真を撮るようになって「無言板」のシリーズが始まったんです。

 クルマというオーディオルームがなくなったいま音楽を聴くのにやはり良質のヘッドフォンが必要かなと、ワイヤレスでノイズキャンセリング機能のついたいいやつを買ったんですけど、これがどういうわけかクルマでよく聴いていたある曲のハンドクラップがまったく聞こえない。専用アプリのイコライザをどういじっても聞こえてこない。

 自分の頭の中にある曲が再現できないこの感じは、確かにこの本に書いてあったはずなのにどのページを探しても見つからない言葉にも似ていて、なんか狐につままれたような気すらしてきた。記憶には確かにあるのに現実には存在しない幻の音楽。

 手近にある音楽再生機をいろいろ試したけれどやはり聞こえない。あの10年落ちの中古車のカーステだけがあのハンドクラップを聞かせてくれたのかと思うと、何かそこで初めて寂しい気持ちがしたんです。もしまたクルマを買う日が来たらまずはカーステをチェックするかもしれない。中古車センターの駐車場に並んだほどよい感じの型落ちのかっこいい車を片っ端からチェックするんだ。例のハンドクラップの入っているはずのあの曲でね。

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バウム・クーヘンみたいな年輪

 ロニ・ホーンの『You are the weather(きみはお天気)』は僕も写真集を持っています。ページをめくってもめくっても同じ女性の顔ばかり、撮影日と場所が微妙に異なる、反復と差異の連続。同じ旋律を重ねて繰り返していくスティーブ・ライヒのミニマル音楽とかに似てる気がするけど、美術でいえばセザンヌが同じ山を何枚も何枚も描いていたことも連想されたり。

 ロニ・ホーンの作品展示風景の写真を見るとギャラリーの壁面に同じ人物の顔が一列に並べられていて、その薄気味悪さはウォーホルのマリリン・モンローや牛の顔みたいに馬鹿馬鹿しくポップな感じもする。

 今日は締め切りを過ぎていた『週刊読書人』の書評原稿をようやくうまいこと仕上げて編集者にメールで送ったらなんかすっきりして少しだけ家の前で縄跳びをしたり犬の散歩をしたりしたあと、次の締め切りの原稿の準備をしながらZoomで打ち合わせをしたり。

 僕は3月31日から外出を自粛して自宅で仕事をしているのでこれで3週間になった。そういえば4月になってから毎朝、隣家から牡丹の赤い花が落ちているのを拾って道を掃いているけれど、今朝はその数が減っていたのでそれももうじき終わりそう。

 ちなみに隣家の赤い花は春に首から花ごと落ちるのでなんとなく牡丹だと思っているけれど、椿と山茶花と牡丹と芍薬の区別は正直自信ありません。

 もう花はあまり残ってないかな。写真撮っておけばよかった。

楠見清

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