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5. 横山裕一『ニュー土木』

横山裕一のマンガには物語らしい物語はない。あるのはただ夢のような出来事の連鎖反応である。

たとえば『ニュー土木(New Engineering)』では、奇妙な建設用工作機械が大地を削り、岩を動かし、人工芝を敷き詰め、配水管から流れる水が大きな池をつくるさまが、主人公らしき人物の姿も台詞もないまま、ただ機械の発するけたたましい擬音だけで全編が展開される。やがてクライマックスには、宇宙人ともアンドロイドともつかない未来派風の奇妙な風体の男たちが現れ、作業の完了に歓声を上げる。「計画は成功だ!」

こうしてでき上がった構築物にはとくに用途らしきものは見あたらない。「すばらしいながめです」と言う男たちは、ただその光景を目の前に現前化させるために、この大掛かりな土木工事をしていたらしい。

だとすれば『ニュー土木』の正体とはマンガの中で建設されるランド・アートなのだ。そして、ここでは完成した作品よりも、その制作の工程が重要視されている。ロバート・スミッソンが「スパイラル・ジェッティ」(1970)を制作するにあたって、ヘリコプターによる空撮まで行なって記録映画に残したように、横山はこの架空のアース・ワーク・プロジェクトの作業工程をマンガというメディアを使って紙の上に記録し、読者の網膜上に再生してみせる。

あるいは他にも、同様に奇怪な男たちが列車に乗って超現実的な風景を旅する『トラベル Travel』や、誰が何のために造ったのかさっぱりわからない大掛かりな装置や謎のオブジェが林立する機械仕掛けの庭園を探検する『Niwa-The Garden』といった作品がある。そこでは通常、マンガが物語の進行を描くのに適した時系列的で映画的な文法(コマ割り、ページ構成、擬音)が、あえて物語性や感情移入を排除されることによって、(イメージそのものではなく)イメージ生成の演算式(algorithm)、あるいは純粋な運動(motion)のスペクタクルとして顕在化させる。

武蔵野美術大学で絵画を学んだ横山は、印刷メディアでのマンガ作品発表だけでなく自発的に個展を開いてきたし、最近では現代美術の企画展に選抜されて美術館で作品を展示することもある。いまや大学にマンガ家を養成する学科もある日本では、美大出身のマンガ家はもはや珍しい存在ではないが、マンガ家と美術家という2つの職業を同時にこなしているのはきわめて稀だ。

重要なことは、横山のマンガは美術史や前衛芸術からの一方通行的な援用によってのみ成立したものではないことだ。『ニュー土木』がマンガ史における “不条理マンガ”(80年代にアンダーグラウンドからメジャー誌へと進出した、吾妻ひでおに始まり吉田戦車の成功へとつづく流れ)というジャンルにおけるさまざまな実験と成功の基礎の上にあることを思い起こしておくならば、横山のマンガ作品──それはマンガとアートの双方向的な互換性に長けている──の中には、今後マンガ文化から美術の文脈にインストールすべき長所があることにも気づかされる。

(本稿は2008年カナダ、バンクーバー美術館の企画展「KRAZY!」図録のために英訳を前提に書かれたオリジナル原稿である)



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