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論述廻戦

一応、念の為、とりあえず通っている大学のテストがあった。これを取れなかったら落単らしい。
大学は論文形式で答えるのが当たり前なのではないか?というプレッシャーに苛まれて小論文形式の書き方を練習していたものをあげます。
物事に対しての思いはあるけどまとめるのが難しすぎる。自分は思ったより何も考えてなかったんだな…ということを実感した。素早く思考できる人間になりたいな〜

1日目 80分 580字くらい
現代の若者のパーソナリティはかなり個人主義的だ。自己顕示欲が高く、周りと合わせることを嫌い、とにかく自分を一番大切にする。
最近の若者は早期退職が多いといった意見も多く聞く。しかし、自分の為に働くことは社会の生産性の向上につながるのではないかと推察する。
日本では、自分の仕事が終わっても他の上司の仕事が終わっていなければ帰りにくい、といった風潮がある。
仕事を助け合えばいいものを、上司の方は部下に仕事を振るようなことはせず、部下の方はそれをきまずそうに見ている、という「暗黙の了解」が出来上がってしまっている。
アメリカでは、同じような状況の際にはお互い助け合うことが当たり前である。周りに合わせて空気を読む「暗黙の了解」の文化が存在しないからということもあるが、自分が嫌な気分にならないように相手を助けているのだ。一人一人が少しでも早く仕事を終わらせる為に、自然発生的に仕事の助け合いが生まれている。
若者の早期退職が多い理由も、忍耐力が無いからなどではない。自分が昔やった苦労を部下にも同じようにやってもらうなど、自分が嫌な気分の時に相手も嫌な気分にさせる、周りに合わせる文化を強要しているからであろう。
今後個人主義の人間がさらに増え、会社全体の仕事を自分の仕事だと考え取り組むことがスタンダードになることで、結果的に周りの為になっていき、社会全体の生産スピードはは今よりも向上していくだろう。


2日目 60分?  580字
日本において香水の売上市場は非常に小さい。理由としては清潔な印象が好まれる国民性により、体臭の上から香りを纏う行為を善としていないこと、3大人種のなかで最も体臭が薄いので、より体臭に対して敏感になっていることが挙げられる。これは香水の社会的受容度が低いことの証明にもなっている。
しかし、臭いに敏感が故に売り上げを伸ばすデオドラント商品にはほとんど香り付きの製品が販売されている。衣類柔軟剤や制汗剤、トイレ消臭剤や食器用洗剤など多岐に渡るが、どれも無香料より香り付きの方が売り上げが高いというデータが出ている。
つまり日本における香水は自分を魅力的にみせる効果よりも清潔感の付加価値としての役割の方が重要視されているということである。石鹸の香りというなんとなく爽快感のある抽象的な香りが最も人気であることもそうだ。また、香水を纏うこと=自分を魅力的に見せることという捉え方が浸透しており、香水をつけるハードルが高くなっている。
今の現状から香水の市場を大きくするには、香料の濃度が少なく自然由来の香りを重視したフレーバーや、就寝前や勉強時など一人の時間を演出する簡易的アロマとしての立場を確立することが適切だと推察する。だが、嗜好品の枠を越える為にはデオドラント市場とも協力し、嫌な「臭い」を消したうえで魅力的な「匂い」を提供することが今後の課題ではないだろうか。

3日目 40分
Tinderで公開した日記を通じて相手と知り合うようになり、恋仲にまでなったというケースがあるという。インターネチョが発達し、コミュニケーションが気軽にできるようになった現代で、相手のことを深く知ることができるツールを通じて関係を発展させていくことはなんとも奥ゆかしく理想的な関係の築きかたではないか。
しかし、その当事者は相手に送信した日記の数か月分をまとめた冊子を販売するらしい。プライベートな文章を公開することは本人にとってどんなメリットがあるののだろうか。
日記といえばそのほとんどが日々感じたこと、経験を通じて学んだこと、そして少しの悪口で構成されているものだが、「彼女」の日記にはあえて仕事の内容やそれに付随するマイナスな描写を省き、毎日歓楽街で飲み歩き自堕落と行動を共にし、自然の儚さやもともとそうである現象についていらない考察を交えて勝手に感傷的になったりと、文化的な人間であることを大きく演出している。退廃的な生活をしているがそれを本心ではまんざらでもく思っているだろう風景の切り取り方に、これは本当に個人間でのやりとりなのだろうか、という疑問を持った。この日記がもともと最初から小銭稼ぎのために公開することを見越して書いているような妙な違和感がある。
最近のコミュニケーションの簡略化に辟易を感じている人たちをターゲットにして、あえてそういった人たちに擦り寄るような表現やビジュアルを用いた体裁の日記を販売する、といった行動はマーケティングとしては一貫性があり、これを手に取り読んだ読者の中にまた、出会い系アプリで同じように日記の交換をする文化が根付くのはもちろん歓迎する。
だが、自分を良く見せるような装飾を過剰に施しておきながら、これを世のため人のため、といった顔をしてターゲット層からの大きな承認と少しの小遣いをもらいたいという欲求が透けて見えるような文章にどんな夢が見せられようか。
日記という本来人に見せないものを、現代風に装飾して販売するという行為は、真偽はどうあれ自己肯定感を高めるための装置でしかなく、販売者に多くのメリットをもたらすものと位置付けられる。




テストは、なんか楽勝だった。
焦って1日4時間くらい勉強してたけどマジでいらなかった。テキスト見て良かったんかい

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