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ヒトノモノ その2


 隣から覗かれていると思うと、どうしても思考が鈍ってしまう。シャーペンが止まる。早く、この問題を解かなくてはいけない。三角比の基本的な公式をすでに覚えたはずだ。それにもかかわらず、問題に対してどの公式を使えばよいのやら見当がつかない。


 気まずい。ただ、秒針の音だけがする。焦ったところで、何の解決にもならなかった。
「分からないの?」
先生はそうやって、軽く馬鹿にするように僕を見た。
「公式は覚えたはずですけど」
「解けないと覚えたことにならないよ」
そんなこと言わなくても。内心そう思いながら、何も言い返すことができなかった。


 先生はルーズリーフを取り出して、それを僕の机の上に置いて、さっと一本の数式を書いた。僕は少しだけ右を向いて、先生の手の甲を見た。眩いくらいに白かった。次第に数式が下の行にまで展開されていった。けれども、僕はその数式に興味が持てなかった。先生はちゃんと説明していた。けれども、先生の言っていることは単なる音でしかなかった。


 「今、言っていること頭に入っている?」
「まあ」
こういって、適当に誤魔化すしかなかった。
「じゃあ、解いて」
そう言われたところで、僕のシャーペンは動かなかった。先生は隣でずっと僕を見ていた。おそらく、自分の言ったことが頭に入っていないことに対して、内心怒っているように見えた。その証拠として、薄くため息をついていた。


 「やっぱ、分かってないでしょ」
「すみません」
謝るしかなかった。先生は、さっきのルーズリーフに書いてある一行目の数式を指差しながら、同じような説明を繰り返した。けれども、頭に入らなかった。先生の教え方には問題がないはずだ。あるとすれば、僕の方にある。また、僕は先生の手の甲を見ていた。


 「今日はいっか。もう時間だし」
不思議なくらい、時間が早く過ぎた。
「そうですね。母が料理をつくってくれたみたいなんで、食べていきませんか?」
「いいの。ありがとう。何?」
「ハンバーグです」
「すごいね」
先生はニコニコしていた。


 二人でハンバーグを食べた。どうしようもない気まずさと沈黙がその場にあった。
「おいしい」
「そうですね」
これ以上、会話を続けることができなかった。続けたいのにもかかわらず、声が出なくなる。この場合において、どのように次の話題を切り出すのが適切なのかが分からなかった。会話がないものだから、先生は口を休めることなく、ハンバーグを食べていた。僕は先生ほど早く食べることができなかった。


 「また、来週ね」
先生はそういって立ち上がり、帰ってしまった。僕は何も言うことができなくなった。

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