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父と暮らす ⑨父の作品

実家は昔、商売をしていた。当時の店舗住宅が地方にまだそのまま残っていて、父以外の家族は皆、早く処分したいと思っている。しかし持ち主(父)にその気がないので、話は全く進まない。一応役場のサイトに売買物件として載せてはいるが、ほとんど反応もない。

それが先日、「賃貸ししてくれませんか」と電話があった。通販をしているハンドメイド作家だという。物件の大きさが手ごろだし、適度な田舎具合いが気に入ったらしい。放っておいたら朽ちていくだけだから、住んでくれる人がいるのは願ったり叶ったり!いっそそのまま譲ってしまえば?なんて勢いで父に勧めたが、全く意に介されなかった。貸す気は全然ないという。

サイトに載せている価格は、誰が見てもバカ高く、売る気なんかホントはないでしょうと言いたくなるものだ。父は90歳。不動産なんか処分して、美味しいものを食べたり温泉に行ったりに使ったら良いんじゃないの、とことあるごとに周りから言われている。

そんなとき、たまたまテレビで養鶏場の親子を追うドキュメンタリーを見た。70代の父親が、数十年前100羽のひよこから始めた養鶏業。事故で片腕を失いながら、少しずつ規模を拡大して4人の子どもたちを大学まで出したという。いかに大量に、安く、安定して生産できるかを第一に考えて経営してきた。

しかし30代の息子は、平飼いにこだわり少数精鋭のブランド価値に戦略を見出している。父は自分が作ったハウスを継いでほしいが、息子は時代に合わないと主張する。昔は休みなく働くのが当たり前だったかもしれないが、今は市場調査をして合理的に進めるべきだと。経営コンサルタントが仲介に入って双方の話を聞く中で、父から「自分の過去が否定されているようだ」との言葉が飛び出した。

なるほど、これは腑に落ちた。過去を否定なんて、あの息子は全然していないと思うけど、そう伝わるのだ。実際、息子が父をねぎらい、感謝し、その上で今後の方針を相談すると、すっきりと折り合いがついた。

翻って実家の店舗住宅も、古い小さな店から少しずつ大きくしたものだ。日曜どころかお正月も休まず、365日働いていた。もう使うことはないといっても、父の作品なのだ。今の相場で売ってしまうと、価値がその額になる。でも父にとってあの家は、「バカ高い」値打ちものなのに違いない。

だからその額を出してくれる、つまり過去の努力を正当に評価してくれる人が現れたら売るつもりなのだろう。そしてそんな人は現れないことも、父は知っているのだと思う。


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