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[一語一会 #14] まきびし

普段何気なく使っている言葉を改めて捉えなおすと,時に面白い.

と言いつつ,語彙力に乏しいせいか,類似の例を咄嗟に引くことはできないのが悲しいところではある.

まきびし=撒菱
である.

ご存じの通り忍者の使う戦闘用品の一つで,たぶん手裏剣と同じくらいメジャーなのではないだろうか.個人的には,金属製で本当に踏めない,踏んだら貫通したりしてヤバそうな,ものなのかなというイメージしかなかった.
しかし少し調べていると,どうやら菱という植物の実に鋭利な(?)とげがあり,しかもそれがどの方向に落ちても,そのとげのうちの一つは(鉛直方向とまではいわないが)上向きになるという代物が自然界にあって,主に使われていたようだ.

このことは,漢字を当ててみれば「撒くための菱」であり当たり前ではあるのだが,それまで持っていたイメージに反するものだったので,個人的には驚きであった.

知恵を失ってきた.
菱は当時の知恵だったはずだ.私自身も含めて今を生きる人は,特に都市に住む人は菱が一体どんなものであるかも知らないだろうし,それ以外でも身近な周りにあるものでさえ,知らずに生活しているということが,おそらく多いだろう.

もう少し別の例で言えば,私は先日徳島に行って地域の方の集まりに寄せさせていただいたときに,お土産としていただいた餅の話がある.
大きな餅が5個あったのだが,黄色,緑,中身入りその他色とりどりだったのだが,そのうちぱっと分かったのは中身もない普通の白いお餅と緑色のよもぎ餅だけであった.残りの3個うち紫っぽい色のものが入ったものは,あとで調べてモチトウモロコシが入っていたのだとわかったのだが,他の2個の中身は,穀物系だろうということしか検討がつかなかった(もちろんおいしかったのだが).

おそらく,現代の食事ではあまり摂られないが,そうやって昔から使われて生きている穀物は,栄養価も高いだろうし使い方によってはおいしいのだろうから,できることならもう少し普及すると良いのだと思うが,今の人にとっては,少なくとも私にとっては,使い方もわからないし,面倒に感じてしまうからか,なんとなく本当に廃れて言ってしまうような気がする.

少し脇道にそれる.
日本では知識偏重型の教育ということが言われて久しい.そんな中で,大学の入試制度改革では,思考重視の傾向に変えていこうとしている節もあるようだが,「知恵」の観点でもあまり的をついていないような気がしてならない.

知恵は,自分の手と頭を動かして,自分で問いをもって,それに対して答えを探り,得ることで身につくプロセスで身についていくのだと思う.だから,思考重視というのが,正解ありきのもの,すなわち思考の型の知識を増やすということに終始するのであれば,これまでやっていることと変わらないのだと思う.比喩的に言えば,考え方という無数にある道の一部(≒正解)以外には撒菱が仕掛けてあるような状態なのではないか.

こうやって知恵が失われ,ひいては機械に敗れる人が増える前に,知恵を獲得できる人を増やしたいところだ.まずは,一見して使い古されているような言葉の意味を考えてみてはどうだろう.

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