43年間クリスチャンホームに育った者の語る「霊的すぎること」の危険。アップデートヴァージョン。

まず、なぜ霊的すぎるのが危険かというと、カルト宗教と何ら変わらない状態に変貌していくということ。霊的要塞を破壊するとか言って、神社、仏閣を破壊しようとしたり、オ◎ム真理教のように、人殺しを肯定していくようになったり。いわゆる「ポア思想」。明らかに破壊活動防止法に違反してますから。危険認定を当局からされて、監視対象になっていく可能性も高いのではないでしょうか。すべての人が聖書からすると、罪人です。まず自分が、人をさばく権限があるか、自分の心に聞いてみること。聖書において寛容の心は、神からの素晴らしいギフト、賜物です。人を罪定めしたり、◎ナウェーブ研究所のような、テスラの技術を悪用した攻撃をする権利が、あるのか、考えることが必要だと思います。また本当にその罪定めしている目、耳が霊的なものか考えることが大切だと思います。御霊に満たされたものが、破壊的行動をとるでしょうか。破壊とは、破壊神シヴァじゃないですが、悪魔的働きだと考えるべきです。自分のしていることが、神から来ているか、サタンから来ているものか、本当に霊的な目と耳があるならわかるはずです。中途半端な信仰が一番キケンだと思います。自分が、ジーザスから許された者であると自覚しているなら、人を許すことができます。攻撃ではなく、とりなしの祈りをするべきです。成熟した信仰へと変えられためには、キリストの充満体験が重要だと思います。それは、教派を問いません。自分がいかに、ジーザスと交わりのときを持つかだと思います。他人に破壊的な活動を行うヒマがあるなら、キリストと向き合う時間をもっと持つべきです。本当に「霊的」になり「キリストの愛」に満たされたものが真実の「霊の目」「霊の耳」を持つのだと確信します。もちろん、クリスチャンが成熟しても間違えることも多々あるに違いありません。だから、謙虚な心を忘れないで、間違いを素直に認められる信仰者でいたいですね。クリスチャンは日々成長です。年齢は関係ありません。気づきを与えられるように求めていきたいですね。アーメン。終わり。祝福が皆様にありますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?