櫛谷久紗(くしゃくしゃ)

理学を極めたかったが紆余曲折あってデザイン系の修士。紙器設計やらせてもらってます。紙の…

櫛谷久紗(くしゃくしゃ)

理学を極めたかったが紆余曲折あってデザイン系の修士。紙器設計やらせてもらってます。紙の性質に関心があり、紙を材料としたエンジニアリングに携わりたい。統計とグラフ理論勉強中!!ADHD/ASD/障害者手帳3級

最近の記事

 【Wikipediaを読む】「イケア効果」に考えさせられた資本主義経済の歪みとその解消の難しさ

 イケア効果という言葉をwikipediaで調べてみると「消費者は部分的にでも自分で作ったものを不当に高く評価するという、認知バイアス。」と説明されている。  言葉のあやであることはわかっているが「不当に」という表現に少し引っかかってしまう。わざわざ「不当に」なんて言わなくたっていいじゃないか。そんなの、捉え方次第では自分で作ったものに対する評価の方が正当であり、他人が作ったものを不当に低く評価しているということもできる。  そちらの立場に立てば、本当は市場価格の方が不当

    • 【検証求む!】半世紀以上未解決だったBarnette予想の反例を発見したかもしれない‥

      はじめに 年末ですね。みなさんいかがお過ごしでしょうか? 僕は仕事納めが12/28だったので昨日は自室やコメダ珈琲でぬくぬくと数学をやって過ごしました。  以前に僕のnoteでも取り上げたBarnetteの予想の解決に取り組んでいたのですが、割と大きな進展があったのでこの場でご紹介をさせていただき、近況報告とさせていただきます。 Barnetteの予想とは Barnetteの予想とは、任意の3-正則3-連結平面的2部グラフがハミルトン閉路を持つという予想です。  ざっくり

      • 【数学好きの人必見】 グラフ理論における未解決問題 Barnetteの予想に一緒に挑みませんか?

        Barnetteの予想とはBarnetteの予想とは、立方多面体二部グラフが必ずハミルトン閉路を持つという予想です。 この予想はDavid W.Barnetteによって1969年に発表され、半世紀以上が経った現在も未解決のままです。(詳しくは以下のリンク参照) 一緒に考えてみませんか?この記事の趣旨はBarnette予想を一緒に考えてくれる人の募集です。 以下に筆者のX(旧Twitter)のアカウントを貼っておくので少しでも気になった方は気軽にメッセージをください! ちなみ

        • 国境線が3-正則のハミルトニアンである場合に限定した四色定理の簡潔な証明を思いついた記念のキャラデザ

         【Wikipediaを読む】「イケア効果」に考えさせられた資本主義経済の歪みとその解消の難しさ

          政党に関するアンケート調査の解析

          政党に関するアンケート調査の解析

          【統計学が得意な人求む!】錦糸町の蕎麦屋での疑問

          着想先日、錦糸町の駅ナカの蕎麦屋で天ぷらそばを手繰りながら思ったことを書く。 僕は蕎麦をズルズルと音を立てて啜るのはあまり好きではない。他人が音を立てて蕎麦を啜っていても特に不快に感じることはないのだが、僕自身は啜らずに噛みちぎる派だ。 その方がなんだかゆっくりと蕎麦を堪能できる気がする。 だが、噛みちぎる派にも苦悩は存在する。それは、己が前歯で切断した麺の断片が器の底に溜まることだ。 この断片たちを残すのは心苦しい。しかし僕は箸で彼らを掬い上げるほどマメではなく、器の汁

          【統計学が得意な人求む!】錦糸町の蕎麦屋での疑問

          年も変わったので近況報告です。(クイズもあるよ!)

          そろそろ社会人となって3年が経とうとしている(そのうち半年は休職してましたが‥)今日この頃、そして本格的にパッケージデザインに携わるようになって1年が経った今日この頃、働くことがジワジワと楽しくなってきている自分がいます。 パッケージデザインに携わると言ってもグラフィックはやっておらず、紙や段ボール、シート状のプラスチックなどを使った構造提案がメインです。学生時代にインターンでお世話になったIMARIさんでの経験が活きています‥! 世の中が持続可能性のある社会の実現に向か

          年も変わったので近況報告です。(クイズもあるよ!)

          僕とゲーム

           お受験ママであった母親の影響をモロに受けて育った僕は、小学生時代にゲームというものをほとんどしたことがなかった。唯一触れたことがあったのは21世紀が始まったばかりの2001年3月に発売された太古のゲーム機、ゲームボーイアドバンスだ。カセットは遊戯王のゲーム一本しか買ってもらえなかった。  僕はそのゲームボーイアドバンス改め遊戯王やりマシーンをやり込むことにした。今思い返せば、その遊戯王やりマシーンは友達と対戦ができたはずだ。しかし当時の僕は友だちとゲームしようなどという発想

          僕と速読

           僕は文章を読むのがすごく遅い。休職中に付き合いはじめた3人目の彼女は読むのがとても速い人で、そのあまりの速さが面白くなってきてしまい、読書対決を挑んだことがある。又吉直樹の『火花』という小説(双方未読)を10分間で何ページ読めるかという対決だ。その結果、僕は彼女におよそ12倍の大差をつけられ完敗した。小説の内容についても話し合ったが、彼女の方が僕より作品を理解しているように思えた。  その後「この小説面白いから貸して」と言われて貸したが、結局1時間もしない間に読み終えて置い

          僕とひらがな

           黒板にスラスラと板書をする学校の先生やメンタルクリニックで僕に質問をしながら僕の話すことをカルテに書き込んでいく職員さんを見ていると、みんなよくこんなにもスラスラと文字が書けるものだと感心してしまう。というのも、僕はひらがなを思い出すのに数秒を要することがある。もちろんひらがなが書けるか書けないかで言ったら書ける。しかし、書き方を知っているのとそれを一瞬で思い出せるのは違う。少なくとも僕の中では両者の間には深い隔たりがある。  幼稚園でひらがなとカタカナをマスターしていた僕

          僕と職場などでの人間関係

           僕は職場で雑談をしない。そのため職場での人間関係はビジネスライクを絵に描いたような様相を呈しているが、それは僕が望んでそうしているわけではない。僕は飲み会は苦手だが本当は同僚と飲みに行きたいし、雑談にも気軽に混ざりたい。しかし僕にはそれができない。それは僕の能力不足によるところが大きい。僕の処理能力のキャパシティを10とすると、同僚のキャパシティはみんな15くらいはあるように見える。日常業務をこなすのに必要なキャパシティはたぶん12くらいなので、普通の人は残りの3を雑談に回

          僕と職場などでの人間関係

          四色定理の証明を目指して

          僕は四色定理をコンピュータを使わないで証明しようと思ってます。 以下は地図上の各領域がすべて5辺国または6辺国の場合に限定した四色定理に対する僕のアプローチです。 明らかな誤りなどありましたら是非コメントでお知らせください。

          四色定理の証明を目指して

          人間の特徴量としての「好き」

          「得意なことを好きになる」の合理性とリスク 人は自分が得意なことを好きになりがちだ。それは得意なことの方が成功体験を積みやすいからだろう。成功体験はその対象に対する熱に直結する。  そしてその熱に従うことは社会の中では往々にして合理的でもある。元からできることをしていた方が失敗は少ないし、そもそも社会的な生き物である人間が経験するところの成功体験とは、究極的には個人の利益と集団の利益の一致のことだ。個人の利益が集団の利益と一致したとき、その行為には社会的な価値が生まれ、人は

          人間の特徴量としての「好き」

          より難しい迷路を求めて

          目的  子供の頃に迷路を描いて遊んだことがある人は少なくないのではないでしょうか?僕も小学生のとき、自由帳に無意味に迷路を描いては友達に解いてもらっていたものです。当時は難しい迷路を作ろうとして、より巨大で、より精緻な迷路を追求していました。しかし、自由帳のページのサイズも鉛筆で描ける線の太さも有限の値を取る以上、迷路の大きさと細かさには限界があります。  では、一定の面積かつ一定の細かさでより難易度が高い迷路を作るにはどうしたらいいいのでしょうか?そして、そもそも迷路の難易

          より難しい迷路を求めて

          思考とコミュニケーションの道具

           僕は自分に自信がない。もっと言えば常に嘘をついて生きているような感覚がある。本来の自分には社会にとって許されざる欠落があって、僕は社会の中で承認を得るために、まるで欠落なんてないかのように振舞おうとして疲弊している。  自分の行動を決定するときに何がしたいかよりも先に、どうするのが正解かと問い。「好きにしていい」と言われるとその答えが暗黙の了解を察するゲームの始まりを告げる合図に聞こえる。このゲームが始まったら僕はさも何か考えがあるかのように振る舞い、その実、空っぽで無目

          思考とコミュニケーションの道具

          実家のダンベル・算数セットのブロック・没個性な人間

           実家に1kgのダンベルがあった。しかし、考えれば考えるほど、僕にはそのダンベルが何のためにあるのかよくわからない。おそらく腕の筋肉を鍛えるためには違いないのだが、人間が扱う道具のほとんどが質量を持っていることを考えると、わざわざ質量しか持っていない塊を別に作る必要はないのではないか。特に2kg以下のダンベルに関しては2Lのペットボトルで完全に代替可能だ。ペットボトルならば片手で持ちやすい形状をしているし、中の水の量を変えることで任意の重さにできる。    しかし、確かにその

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