Hi-Hi-Whoopee休止騒動で思った事。

2014年。僕は26歳、Hi-Hi-Whoopeeの主催であるハイハイ君は22歳、tofubeatsは24歳。
オリコンのTOP10が嵐とAKB48が占めるようになるのは2009年頃から。余談ですが10年前の2004年のオリコン順位を見ると懐かしいですね。

2009年。僕は21歳。ハイハイ君は17歳。tofubeatsは19歳。maltine Recordsが初めてイベントを企画したのもこの年。
maltine Recordsは翌年にCD『mp3 killed The CDstar?』をリリースして、イベント企画も規模を拡大していく。

2人とも僕よりも年下だから年上を想定すれば30歳ぐらいだろうか。この22(誤差を意識すれば20)歳から30(32)歳くらいまでの世代は「良い音楽というのは売れる、売れるというのは多くの人々とその良さを共有し、一体感・共感が生まれ、今まで何も関係のない人生を歩んでいた人々がその音楽を良いと思った文脈で結びつけられる」というある種の「幻想」に捕らわれている。32歳から上の人々に対してはこの考え方は「幻想」というより音楽が世間に流通するということと離れられない関係である。(それは音楽のジャンルの細分化だったり歌謡曲からJPOPの移り変わりという問題にも繋がるのだけれども)

Hi-Hi-Whoopeeが休止する事は自分の物事への考え方や活動の拠り所が揺らがされるような事だった。
このブログ…?集団…?情報統合思念体…?はどこの馬の骨とも分からない奴らが作るvaporwaveに全幅の信頼を寄せ(大阪のアイドルEspeciaのリリース関連インタビューでvaporwaveからの影響を掘り下げた取材をしたのはHi-Hiぐらいだろう)、インターネットに溢れ出た言葉、クリシェを紡いだラッパー、waniwaveにインタビューしたり、国内テクノシーン、海外新ジャンル(Math rockJ-Indo逃避主義以後等...)への目配せも忘れなかった。音楽雑誌が崩壊した後、出現した様々な音楽紹介媒体の中でも特異な立ち位置を確立していったメディアであった。

そのHi-Hi-Whoopeeの主催であるハイハイ君が突然脱退を表明した。脱退の経緯が彼のツイートとブログで明かされる。Mikikiでの萩原梓(az_ogi)が受けたインタビューがきっかけらしい。
僕はハイハイ君の脱退ツイートを見てからこのインタビューを読んだのだが萩原側にもMikiki側にもハイハイ君を貶めたり無視したりするような感覚を受けなかった。むしろ、ハイハイ君やMaltine Records等が作り上げた「インターネット音楽を語ること」についてのリスペクトが無ければこの記事を作ろうとは思わないだろうし、萩原氏もハイハイ君の代弁者としての役割を全うしているように見える。
しかし、それに対してハイハイ君は「求められているのは僕ではない」という感情を持つことになる。そして「結局、美味しいところは都会の人間が持っていく」とまで語る。この言葉を裏返せば「僕を求めて欲しい」ということであり「僕も美味しいところを享受する権利がある」ということになる。
誤解を招きそうだが、彼が自己の利益だけを追従する自意識肥大な暴君であるということを言いたいのではない。自分が作り上げてきたシーンが広まってそれに対しての歴史を語る。そこには語り手が経験してきた経緯という主観が入るものであるし、それは自意識とイコールで結びつけられる。そしてその行為に対価が付属するのは当然である。ハイハイ君の持った感情は至極当然のことである。
問題にしたいのはインターネットを主戦場として、冒頭で紹介した「幻想」と決別していたように見えた彼も「幻想」に捕らわれていた一員であったことである。

tofubeatsが何かアクションを起こす度に話題になる。1stシングルの初回生産版ではソノシートを付属し、2ndシングルの初回生産版ではカセットテープを付属した。アルバムを出す際にはyoutubeやSoundcloudで全曲視聴可能にする。それらはtofubeatsにすれば何のためにしているのかといえば「CDを沢山売る」というシンプルな目的のためである。CDを沢山売るというのはどういう効果をもたらすかと言えば冒頭で説明した「多くの人々とその良さを共有し、一体感・共感が生まれ、今まで何も関係のない人生を歩んでいた人々が結びつけられる」という「幻想」を生む。実際にtofubeatsの音楽はカラオケにも入ったらしい。カラオケ嫌いな僕は歌った事ないのだけれども。
ソノシート、カセット、沢山売られるCD、カラオケ…それは音楽が人々の共通の話題になっていた時代のモノであり、tofubeatsはそれらに拘りを見せる。そして、その拘りは僕は非常に理解が出来た。なぜなら、僕はCDが異様に売れていた時代を知っていたから。オリコンのTOP10は様々な人々、楽曲が流れていた。握手券封入なんて言葉は浸透してなかった。皆まだCDを買っていた。

tofubeatsはメジャーデビュー最初のアルバムを作る時に宇多田ヒカルの『First Love』の15周年記念盤を繰り返し聴いたらしい。
日本だけでも800万枚以上売り上げたアルバムを繰り返して聴いた事を表明することも冒頭の「幻想」に対する服従心を隠さずに見せている事なのだと思う。そんなtofubeatsに対して「これが現代のインターネット!」だの「新時代トラックメーカー」だとかそのようなキャッチコピーを付けるのは何よりもtofubeatsの努力や彼が必死になって作り上げようとする立ち位置を侮辱する行為他ならないと思うのだけれどもそれは別のお話。

僕はそんなtofubeatsの振る舞いを見ていて「ああ、僕と同じ『世代』なのだな」と思っていた。彼となら「幻想」を共通言語として音楽の話が出来るのだろうな、と。
彼と同年齢、または下の年齢の人達と話が出来る機会がたまにあるのだけれどもその時に感じるのは「彼らは僕が捕らわれてしまった『幻想』からついに逃避出来たんだな」ということである。彼らは僕と関係のない別のシーンを作り上げる事が出来る。そんな期待を持った。それは細分化が進んでいくボーカロイドシーンなんかが筆頭に上がると思う。良質な曲は山ほどアップロードされるのだろうがその楽曲のみが共有され、そこまでの文脈は共有されることは数少ない(全く無いとは言えない。そのような共有は東方やボーカロイド音源限定DJイベントのクラブで行われている事なんだろう)。

話が逸れすぎてしまった。ハイハイ君の話に戻る。ハイハイ君も僕は「幻想」から「逃避」した人に見えていた。そしてそんな「逃避」以後の世界の面白さを伝えてくれた貴重な人である。ついでにいえばvaporwaveとは「逃避」した人間が「幻想」という泥舟から逃げ出せない人間をせせら笑う音楽であると僕は考えている。
ところが、彼は「幻想」から「逃避」出来ていなかった。彼のHi-Hi-Whoopee脱退に対して書かれた文章からは彼が人と結びつくことを人一倍求め、そしてそれが叶わない事に人一倍悲しみに暮れたいたことが伝わってくる。

https://web.archive.org/web/20141107082521/hhttp://nikkinikkinikkinikkinikki.tumblr.com/

>まず、生まれてから22年間ずっと住んでいる僕のまちには何も無く、自然などは大変美しいのですが文化的な意味で本当に退屈な場所です。タワレコのような大型の店舗販売なんて存在するわけもなく、ツタヤとブックオフ、もしくはアマゾンなどの通信販売でしかCDを手に入れることは出来ません。ライブハウスも県で数える程しかなく、規模は非常に小さいです。僕がツイッターなどでよく目にする、本当にライブを体験したい若いバンドは絶対に来ませんし、これまた数少ないクラブも、出会い目的の趣味の合わない若者が集まるようなところです。もちろん、ドープな音楽が流れるクラブもほんの数件ありますが、そこには30代以上の世代の違う人が少数しか集まらず、僕と同世代の人を見たことがありません。僕が大きな音で聴いてみたい音楽に生で触れること出来る「現場」は僕のまわりにはありません。<

既に冒頭で彼は「現場」という「多くの人々とその良さを共有し、一体感・共感が生まれ、今まで何も関係のない人生を歩んでいた人々がその音楽を良いと思った文脈で結びつけられる」場所を求めている事を告白している。詳しく書かれていないので想像するしかないのだが、規模の非常に小さいライブハウスやドープな音楽が流れるクラブというのは数十年前の音楽を異様に有り難がり、現在の音楽を追い求めているような場所でないことは想像に容易である。それは僕の住む大阪の都市部でさえ、散見される。例えばどんなロックバンドが演奏しているかよりシャンパンを開けることに夢中になってバーカウンターでマイクパフォーマンスする某箱の店長を知っているし、90年代ヒップホップまでしか「良い音楽」と認めないクラブを僕は知っている。笑い話で済まされないが水星が出たばかり、tofubeatsの名前を知っていた関西圏のライブハウススタッフはほとんどいなかったそうだ。大阪ですらそんな状況である。彼の住んでいるまちがどれほど音楽文化的に貧相なのか理解出来る。

>そんなまちで人生を送ってきた僕にとって魅力的な事象はすべてインターネットを通してでしか知ることが出来ず、そこに対して、嫉妬であったり、羨望であったり、憎しみとも言えるような醜い感情をずっと抱いてきました。都会にいる人からすれば田舎の人間が勝手に劣等感を感じているだけであって、そんなことは良い迷惑でしかないと思うのですが、それほどに都会には僕の体験したいものがあって、本当に、本当に、そこに行きたかった。今までどの「現場」にも僕はいなかったんです。<

「バンドが来なければ自分が呼べばいい」「クラブイベントを自分で立ち上げればいい」そんな声がTwitter上等で散見されたが、それは「強者」の意見である。暴言を言ってしまえばほとんどのライブハウス・クラブの店長は音楽の内容より現場と動員しか見ていない。長期的にそのイベントやイベンターがどう成長していくかなど興味が無い。「そんなことはない」と言う声も出そうだが大阪という大雑把に言ってしまえば東京に次いで音楽的文化では多数のパイがある土地ですらそんな感情を受けてしまう。ハイハイ君が呼びたいバンドやDJなどを呼んだとしても初回動員が出来なければその時点で全ての赤字はハイハイ君に押し付けられ、二度とイベントは出来なくなるだろう。その前に「良い音楽」を知っていると自称する人々がハイハイ君の用意した音楽に耳を塞ぐ様子は簡単に想像出来る。
そんな彼がそのような音楽が受容され、現場で再生される都会に「嫉妬であったり、羨望であったり、憎しみとも言えるような醜い感情をずっと抱いて」しまうのは当然であり、「本当に、本当に、そこに行きた」い気持ちも理解出来る。そこに対して「来れば良いじゃないか」というのも先ほど言ったが「強者」の意見である。地方と都市部の最低賃金を比較するまでも無いだろうし、現代で音楽を聴くというのがどれほどのお金を要するか。例えば地方のTSUTAYAと都市部のTSUTAYAの品揃えを想像すれば分かると思う。そこに財産を割いた後、都会への交通費、宿泊費を捻出することがどれだけ難しいことかは容易に想像出来る。

そんな彼は「魅力的な事象」を教えてくれるインターネットに潜り込んでいくことになる。

>僕にとって唯一の誇れることがHHWというメディアを立ち上げて、運営してきたことでした。HHWは僕がツイッターなどで参加者を募集し、そこに応募してくれた顔も合わせたことがないような人たちと始めました。僕の周りには聴いている音楽のことを話せるような友達がいなかったのだけれども、SNSのなかには共感してくれる人が沢山いて、そんな人たちとシェアが出来るのが本当に楽しかったです。HHWが開始した2012年には日本でもヴェイパーウェイヴなる新しい価値観が到来し、もともとエクスペリメンタルな音楽が好きだったというのもあるのですが、何よりもインターネット依存な構造だということに妙なシンパシーを覚え、彼らに夢中になりました。現実世界から引きこもり、インターネットのアンダーグラウンドをドロドロと徘徊するようなヴェイパーウェイヴはまさに自分のような人間のための音楽じゃないかと勝手に興奮しました。それらを積極的にブログに掲載するようになってから一気にHHWの方向性が定まっていったように思います。その頃には既存の音楽メディアとは同じことをしたくないという気持ちが強くありました。僕が中学生のころから夢中になっていた海外のブログのスタイルを日本に持ち込みたいと考えました。アクセスは見込めないことはもちろん弁えていましたが、HHWの価値はそこにあると信じ、徹底的に(ヴェイパーウェイヴに限定されない)アンダーグラウンド志向を貫き、結果、それが結構な範囲で認めてもらえるようになりました。今までだと考えられないような著名な方がHHWを認知してくれていたり、僕より年下の子たちがHHWに影響を受けたと言ってくれたりと、本当に嬉しいことが増えました。特に2013年の後半から2014年にかけては実感としてHHWはかなり成長したように思います。<

Hi-Hi-Whoopeeはハイハイ君の「顔も合わせたことがないような人たち」と「シェアが出来る」喜び(冒頭の「幻想」)とヴェイパーウェイヴの「インターネット依存な構造だということに妙なシンパシーを覚え」「まさに自分のような人間のための音楽じゃないかと勝手に興奮」した熱により「年下の子たちがHHWに影響を受けたと」言わせる存在にまでなっていく。事実、ototoyの大学生座談会で名前が上げられている。 さらに2.5DにはSkype出演する。 ハイハイ君は田舎にいながらも勢力的に活動し、充実しているように僕には見えた。実際にブログ記事には余計な干渉がない音源紹介が続いていたし、その部分が影響力の衰えの無さに繋がっていった。しかし、彼自身は全く違っていた。

>しかし、メディアの規模が拡大するに連れて、それが比例しない現実世界にこの1年は苦しんでいました。このなんとも言えない感情を忘れるためにもディグを続け、いつか文化の発信者のひとりとして認められる日が来ることに期待しながら記事を書いてきました。「都会に負けない」と思った時点で都会に負けていることは明白だし、現に圧倒的な文化的格差があるのですが、田舎者の僕にとってはそこにしか居場所がなかったし、運営者としてのプライドもあったんです。本当に、僕ってダサいですよね。<

これに似ている事を吐露しているのはtofubeatsである。

>tofubeats:寂しいけどできますからね。ただこの「寂しいけど」っていうのが大問題で、やっぱり「褒められたい」とかが原動力な分、東京に来るとチヤホヤされるので、そう考えると「東京いいな」っていうのは来るたび思いますね(笑)。<

tofubeatsはともかく、ハイハイ君が「認められる日が来ることに期待」していたのは本当に意外だった。そんな「共有」するような「幻想」から彼は解き放たれていると思っていたからだ。しかし、彼は「本当に、僕ってダサいですよね。」と自己嫌悪に陥るほどに「幻想」に取り憑かれていた。

>一方で、都会に住むライターはインターネットのみならず現実世界もどんどんと充実していきました。これは僕の客観的な立場からの観測なので、本人はそうではないと言うかもしれませんが、僕からはそう見えました。僕は現実世界では「Hi-Hi-Whoopeeの“僕”」を出すことが環境的に出来なかったし、生身の人間から対面してそう呼ばれることは結局、一度も無かったのだけれども、僕以外の人は「Hi-Hi-Whoopeeでも活動する…」といった触れ込みでDJをしたり、イベントに出たりしていて、純粋に、本当に、羨ましかった。<

僕は本当に彼を誤解していたし理解出来ていなかった。彼は「現実世界」で『Hi-Hi-Whoopeeの“僕”」を出すこと』を渇望し、「生身の人間から対面してそう呼ばれること」を期待していた。しかし、僕を含め誰も彼のその部分に触れようとしなかった。その罪というのはHi-Hi-Whoopeeが閉鎖してしまったこれから僕を含めた書き手やSoundcloud、Bandcamp等で楽曲を発表する人々達が背負っていかなければならない十字架になるのではないだろうか、と思う。

>なんで、僕ではダメだったんだろう。なぜ、僕の口からHHWの興りを語る機会が来なかったのだろう。今まで何年間も努力して、HHWというメディアのブランドを確立するために素人ながら沢山の記事を書いてきたのだけれども、やっぱり、僕ではダメだったのか、と。メンタル弱すぎだし、そう想っていたのならばライターの方々に言っておくべきだったのですが、どこか、それは恥ずかしいことのように思えて、インターネットしかない自分が惨めで。<

>しかし、地方はやはり地方であって、トーフビーツさんも仰っていましたが、インターネットで現実が加速するのは東京だけなんです。たかがインターネットと言う人は大勢いるだろうし、そんなあなたの価値観は正しいと思う。ただ、本当に、僕にとってはそこしかなかった。自分語りに熱が入りポエムチックになってしまって、気持ち悪い文章になりましたが、要するに僕の醜い感情が溢れ出しまった結果がこういったことに繋がりました。つくづく自分は小さい人間だなと思います。<

大塚英志が著書『「おたく」の精神史』において70年代後半のサブカルチャーの一部(ガンダムやサイレントメビウス等)が作り出し、80年代に肥大した架空の「歴史」=フィクションをフィクションのままに捉えられない、虚構の世界と現実の世界を安易に同じルールで捉えてしまうところに日本型「おたく」文化の限界を見るし、自分自身の批評の限界はそこである、と綴っている(その後に「東京ディズニーランドは確実に現実の上にその領土を拡大していったのに」と綴られているがMaltine Recordsがイベントの規模を拡大していく様子は見事に符合する)が、ここでハイハイ君が述べている事は全く同じ事である。彼はほとんどの人に取って「現実を加速する」装置でしかない虚構の世界であるインターネットに「そこしかない」と心情を吐露し(萩原梓が今回起こした騒動のお詫び文において

>ハイハイさんの一連のツイートや文章を拝見して、彼の内面の葛藤以外の箇所で僕に関係している部分については、言いたいことが山ほどありますが、ここでは省略させていただきます。口論の類いを公の場でしたくありません。それに関しては関係者にDMやLINEでお送りした通りです。<

と綴っており、それに対して僕はなるほど、彼にとってインターネットとは現実を加速するための装置でしかなく、ハイハイ君の「そこしかない」という現状や「醜い感情が溢れ出」すほどのモノではなかったのだな、と少し残念に思ったのだった。しかし、それに断りをいれている萩原梓は誠実であり、今回の騒動を重く受け止めているが、何の反応もなく、Maltine10周年のtomad連載の記事やSeihoのリエディット曲を屈託もなく紹介しているMikiki編集部と加藤直子には憎悪に近い感情しか持つ事が出来ない。一刻も早い説明が求められる。)、「僕の醜い感情が溢れ出しまった結果がこういったことに繋がりました。つくづく自分は小さい人間だなと思います。」と懺悔するに至っている。

僕が彼に声をかける機会があるのだとすれば「インターネットしかないのは全く惨めではないし、あなたの醜い感情が溢れ出してしまったことは何らおかしいことではない。小さな人間でもないし、今までその感情を押し殺すことが出来たのは立派という他ない」という言葉をかけるだろう。
僕は彼を「幻想」から解き放たれた「新世代」だと思い込み無邪気に応援していた。TwitterでHi-Hi-Whoopeeのツイートをふぁぼり、Bandcampの音源を貪り聴いていた。だが、それで「幻想」に捕らわれていた彼の何が救われたのであろうか。僕は彼の本質の1mmも理解出来なかったししようともしなかった。この代償は計り知れないほど大きい。ひょっとしたらミュージックマガジンやロッキングオンが潰れてしまうことよりも大きいのかもしれない。虚構に戯れること、引きこもることが罪悪を犯すように言われ、誰もが疑いも無く「現場が大事」「動員が大事」と言う今だからこそ。

大塚英志は宮﨑勤を擁護する際『新文化』において次のように綴っている。

>26歳のおたく青年の主張を代弁したところで何の意味もないのかもしれないが、彼の生きてきた不毛とぼくが生きてきた不毛がつながっていると分かった以上、そうする他ではないではないか<

その後、大塚は実はマスコミに苛立っていただけと記しているが、僕はハイハイ君に対して、上に引用した文章と同じ感情を抱いている。現実世界で認められたかったり、そんな現実世界がインターネットにより加速しない土地にいるという「不毛」が繋がっており、こんな風に「醜い感情が溢れ出してしまった」人間をどうして突き放すことが出来ようか。僕は彼の味方で居続けなければいけない。

ハイハイ君は自分のブログにおいて音楽紹介活動を続けるようである。今後も彼の紹介する音楽を僕は聴き続ける。ただ、僕にとっての彼の見方は「自分と同世代なのだ」という見方に変わるのだけれども。

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