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大好きな松井珠理奈ちゃんが休養していた2018年夏のこと

2018年の夏、私は高校3年生でした。
大好きな松井珠理奈さんがAKB48世界選抜総選挙で1位になってから4年。
あの夏の出来事や自分自身を振り返りたいと思います。

この文章を書こうと思ったわけ


4月30日、松井珠理奈さんが体調不良により活動を休止するという発表がありました。
2週間ほどは、珠理奈ちゃんのことが頭から離れず、やるべきことにも中々手がつかず、SNSに依存しがちになっていました。今もまた不安定になる自分がいて、この状態は、珠理奈さんが2018年の6月から9月に休養していた時と似ています。
当時から環境や考え方に変化があったし、休養に対する耐性も付いていると思っていたので、こんなに落ち込むのかと自分で驚きました。

どうにもできないような気持ちを抱えている時、文章を書くことで癒され、生き延びられることがあると思います。2018年当時は、日記やツイートで文章に残さなかった(残すことができなかった)ので、日々思っていたことの多くは忘れてしまいました。しかし、自分史上最も泣き、苦しんだ日々だったので、覚えていることも多くあります。それらを書き綴っておけば、いつか誰かの、あるいは自分の役にたつのではないかとも考えています。

いつか向き合って書いてみたいと思っていた事柄でもありました。実名のFacebookも考えましたが、とりあえずnoteに書いてみます。

珠理奈さんのことが好きな方には、共感できるところがあるのではないかと思います。長くて重いです。

ベストショット of 珠理奈さん

松井珠理奈さんのファンです

そもそも珠理奈ちゃんのファンになったのは、小学5年生(2011年)のころ。「ハッとして強く惹かれた」という感じです。ずーっと熱心に追いかけられていたという訳ではありませんが、珠理奈ちゃんが特別大好きで、SKE48が好きでした。
学校でうまくいかなかった時も、「ひとりでDVD見てれば大丈夫」といったように珠理奈さん、SKE、AKBに救いを求めてすがって、依存しているところがありました。

AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙

10回目の総選挙。初の「世界」選抜総選挙。
私はたくさん投票できたわけではなく、現地にも行けませんでしたが、1位獲得に向けて全力でエールを送っていました。
須田亜香里さんが脅威でした。須田さん1位はあり得ると思っていたので。1、2フィニッシュはとてつもなく嬉しかったですが、選挙後に「プレッシャーはなかった」と爽やかに言った須田さんをうらやむ気持ちがありました。
宮脇咲良さんに関しては、選挙前にテレビのインタビューで「出馬するか迷っていた」と話していたのに驚いたことを覚えています。

テレビを見ていて、不穏な空気を感じました。どのタイミングだったかな、その時の見た目の話です。
大丈夫かな、大丈夫かな、という感じで見ていました。スピーチはあんまり頭に入らなかったです。
でも、あの盛大な珠理奈コールと、緑とオレンジのサイリウムに埋め尽くされた会場の景色は忘れられません。

安心はしたけれど、全然、喜べなかったのが正直なところでした。

直後から、しんどかったよ

Twitterなんか見るべきではなかったのでしょう。
当日のコンサートでの振る舞いの件が3つくらい、
選挙直後の振る舞いの件、なんだか色々と荒れていて、つらかったです。
珠理奈さんでないメンバーが好きだという人、たまたま選挙をテレビで見ていたという人、SNSを見ただけだという人、本当に色々言われていました。

めちゃくちゃ怖かったです。

数日後(だったかな?)生誕祭を延期すると呟いた珠理奈さんに対する「生まれてこなければよかった」というリプライに戦慄しました。きつすぎる。
「AKBのファンとして」とかいうの非難もつらかったです。

私はスマホ依存に陥りました。
「珠理奈」で検索して、ひどい言葉も、馬鹿にする言葉も見て、あまりにひどいものは通報して、泣いて泣いて泣き疲れて眠るような日々が続きました。勉強は放り投げ、布団の中でスマホばかり触っていました。
自分はこんなにも珠理奈ちゃんのことが好きだったんだなと、気づかされました。

「松井珠理奈  vs(ほかの芸能人)」という動画が流行りました。人権侵害も良いところ、あり得ないと思います。当時もっと怒ればよかったと思っています。サムネはもうたくさんというくらい見たけれど、中身を見たのは1つだけ、それも最初の方で、大体を察して気持ち悪くて止めました。
「バズると聞いたので」「流行りにのって」そんな風に人を嘲って踏みにじって、こんなの嫌だと思いました。

君のいない世界

運営から休養のお知らせが出たのが7月7日でした。親に泣き顔を指摘され、訳を話しました。

1か月くらいは毎日泣いていました。今何をしているのか、一人で泣いてるんじゃないか。ごめんね、こんな世界で。みんなから祝福されて報われてほしかったのに。

高校では、私が珠理奈さんのファンであることを知っている人はほとんどいませんでした。友達は少なく、恥ずかしくてあまり言っていなかったからです。人に薦めたい想いもあまりなかったし、自分だけの楽しみであれば良いと思ってもいました。昼休みに隣のグループが上記の動画を再生して爆笑していました。
掃除の時間に動画の珠理奈さんを真似るクラスメイトがいました。
隣の席と斜め前の席で珠理奈さんの「ヤバさ」が語られました。明確に覚えているのはこの3回、しんどい想いをしました。ここにファンがいるんだよ、、、でも言えませんでした。トイレに行って泣いたのを覚えています。情けないなと思いました。抗議すれば良かったのでしょうけれど、できなくて、申し訳なかった。

人って信用できない、と思いました。裏でSNSで何を書いているか分からないんだもの。

死んだような顔をして学校生活を送っていたと思います。
文化祭の日に、今なら話せるかもというタイミングがあり、担任の先生に「好きなアイドルが休養してて、悲しいんです」と伝えました。「SMAP?」と聞かれました。そんな時期だったようです。

授業中は珠理奈さんのサイリウムカラーであるオレンジと緑のペンを机上に出して使っていました。そんなことしかできませんでした。

気づいたこと:彼女は女神ではない


私は、珠理奈ちゃんは女神だなって思ってました。
いつも天真爛漫に笑ってる。つらいことがあっても、「重くしない」。そんなところが好きでした。これって結構残酷で、申し訳ないなと感じます。怒ること、悲しむこと、壊れることだってあります。
映画アイドル(映画館に通い詰めて5、6回は見たし、DVDで今でも見てます。中身を引用しても、もう許されるかなと思って書きます。)の中で斉藤真木子さんが「珠理奈さんも人間なんだなって改めて気づくことができた」と発言しています。(総選挙開票直前の映像。そのあとに「でもどんな珠理奈さんも名古屋の、SKEの珠理奈さんなので、」的なことを言ってくれて、そこが一番の号泣ポイントでした。)自分が感じていたことをうまく表してくれた言葉でした。

それと、勉強する意味が分からなくなりました。珠理奈ちゃんほど努力し続けても、一瞬でこんなことになってしまうなんて。あんなにまっすぐにひたむきに頑張って、みんなに祝福されるべきポイントで苦しい想いをしなくちゃいけない。

(事の重大さは、高柳明音さんと須田亜香里さんの2018年の生誕祭のスピーチに、よく表れているかと思います。)

こんな世界で、少なくとも私が勉強を頑張って良い大学に入る意味は何もないなと思いました。努力しても報われない。「努力は必ず報われる」と、高橋みなみさんは言ったけれど、嘘だと思ってました。
思えば社会に対して絶望したのはこれが初めてだった気がします。
大学に入ってからの私は、社会を変えたいということを考えるようになり、行動するようになりました。

大事な時期に、全く勉強に手がつかなかったから仕方ないでしょう。名古屋の大学に行きたかったけれど、センター試験の点数が足りませんでした。名古屋に行くんだと、受けるだけでも受けたかったけど、たいして話したこともない進路指導の先生に無理だと説得され、「名古屋に行きたいんです」と泣きました。でも結局行けませんでした。当時住んでいたところから、名古屋と逆方向の土地で大学生をやっています。

救いになったもの

ずーっと辛かったという訳ではなく、救いになった物事もありました。

あかりん、みなるん、さりちゃん、なおちゃん、総選挙で選抜に入ったSKEのメンバーの存在は大きかったです。たくさん言葉にしてくれて救われました。よこにゃん、どんちゃん、らんらん、素敵なブログを書いてくれました。いろんなメンバーのブログやツイートを、スクショして、集めてました。

高柳明音ちゃんの「ちゅりかめら展」に行きました。「ファンの人がおじゅりちゃん不足だと思うから、おじゅりちゃん多めに入れたよ」とツイートしてくれた明音ちゃんのやさしさに救われました。(正式にはこちら↓)

「じゅり坊bot」というTwitterアカウントができて、珠理奈ちゃんのいろんな写真をツイートしてくれていました。静かにアカウントを運営されていた方のことを心から尊敬します。そのほか、ファンの方々のツイートがありました #松井珠理奈スマイルプロジェクト とかもありました。

近くの本屋に珠理奈ちゃんの写真集を買いに行った(ファンとして駄目かもしれませんが、水着が見たいわけじゃないし自分が子どもだったので写真集を持っていなかったのです)とき、店員さんが「珠理奈ちゃん好きなの?今休んでてかわいそうだよね、、、」と言ってくれました。

学校も、地獄という訳ではありませんでした。
あの時期、PRODUCE48を見ていた人が結構いて、「ハイテンション」を歌ってる友達に反応してお話してみたら、「珠理奈のことも咲良のことも何とも思ってない」と冷静に言ってくれました。

復帰

9月6日、センター試験の申し込み書を書いていたとき、珠理奈さんが復帰の挨拶をしたことを知りました。あまり覚えていないのですが、本当に嬉しかったです。次の日はMステで、朝自転車をこぎながら、心が軽くて、世界が彩を取り戻したなと感じたことを覚えています。

復帰後には、数年前にSKE48のファンであることを明かしたことのある子と乃木坂46のファンとして知られるクラスメイトと話す機会があり「珠理奈ちゃん復帰したね」と拍手してくれました。

「リクエストアワーセットリスト100」2日目の昼公演を見に、名古屋に行きました。珠理奈さんは出演がなかったけれど、良かったです。赤ピンでステージ復帰したところは、映画館で見ていました。

色々ありました。
あとになって母から「尾崎豊の後追い自殺とかあったから、自殺とか心配だった」と言われました。状況違うよ、とは思いますが、そのくらいだったみたいです。

今思うこと

総選挙ってなんだったんだろう、っていうのは考えます。2019年に総選挙がないことが決まったあたりで、珠理奈さんがインタビューで「ファンの人たちは総選挙がなくても応援してくれるんだと気づいた」みたいな発言をしていたのを見て、「そりゃそうじゃん!」と思うとともに、それだけ重いものだったんだなと改めて実感して苦しくなりました。
(ソース:SKE48、11周年の変革期に新境地 総選挙のない6月には「ホッ」 | ORICON NEWS

こんなに誰かに依存して生きているのって良いのかな、という気持ちがあります。
アイドルって搾取なんじゃないかみたいなことも考えることがあります。
それでも珠理奈さんにたくさん元気をもらって、生きさせてもらったのです。

今のSKE48も、チームSを中心に見ています。楽しいです。好きです。それでも、珠理奈さんの代わりはいません。私の中で珠理奈さんを超えるメンバーもいません。

珠理奈さんの、今回の休養は、4年前の休養とは違うと思っています。過労、プレッシャー、そういったものは4年前より少なかったんじゃないかと推測します。きっかけが見えづらいものだなとも感じます。でも心の中を想像するのはちょっと暴力的だし、私の想像のつかないことがたくさんあるだろうと思っています。

珠理奈ちゃん、大好きです。生きていてくれれば良い、という気持ちになることもあります。穏やかに過ごせていたら良いなと思います。
選挙から4年の日を、こうして迎えて、今すごくドキドキしています。
どうか、どうか、何を願うのかも分かんないけど、珠理奈さんのことを思っています。

以上、たくさんいる珠理奈さんのファンのひとりの記録でした。
読んでくださった方、ありがとうございました。

※写真は、珠理奈さんのTwitter・Instagramから。お気に入りの写真です。
2022年6月16日 (メインで書いていたの5月中旬、ここ数日で加筆修正)