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【痛む果物は、サクセスストーリーですか】

最初に

この記事は、20歳になったばかりのただバズった女子大生が書くものです。

私にはタイに住む聡明なマネージャーが居ますが、彼のように人を惹きつけるような文才はあいにく持ち合わせていません。
きっと彼がこの記事を見たら「目に余る文だ。」と言われるかもしれませんね...

それ以前に、下書きに残ったままのお蔵入りコンテンツになるかもしれません。出すか出さぬか、それさえ曖昧な気持ちで書く文であり、弱音です。

みんなが求めているようなものまね動画も、マグロの顔をした写真さえありません。

フォロワーが求めてるものとは違い、退屈だと思われることは想定していますし、そう思われるのには私に理由があります。

最初っから失敗していたからです。

ですがこれは、 あくまでも周囲からすれば「サクセスストーリー」として扱われていますし、私も断片的にはそう認識しています。
断片的には なんて言うと贅沢だと言われるかもしれませんし、調子に乗りすぎだ!とお叱りを受けるかもしれません。が

導線設計なんてせず、安直に立てた仮説を繰り返すだけの小学生の自由研究みたいなことをしていただけの私に美談のみ与えられるわけがないのです。


そうですね、noteでの発信は初めてなので、めちゃくちゃ遅れましたが自己紹介をしたいと思います。

はじめまして。ある動画をきっかけに「3日で5万人フォロワーが増えた令和初のバズり女子大生」と称され、たくさんのお仕事もいただいている、順風満帆の女子大生のくつざわと申します。
そして、このnoteを見るためにツイートからURLをタップするという非常に面倒な作業をしてくださってる方々もいるくらいにはなりました。

大体の方には、これで私のサクセスストーリー(仮)の2ヶ月は説明できるでしょう。というか、普通に説明できてしまいます。

「令和初のバズり女子大生」という、なんとなーく「すぐ痛むから早よ食べ!」と親戚から果物を渡された時のような、妙な不安の付随する称号を得てからは

あれ?これ私イージーモードに見えてハードモード選択した感じっすかね??????とすこぶる焦っていました。

遡れば、初めてモノマネ動画を投稿したのは去年の冬。
数千いいねがついたことから「これいけるんや。」と安直に考え、その枠の中から離れず試行錯誤をしていました。

モノマネ動画はある程度の条件を満たしていれば好感触なのは当たり前です。

コンテンツとして「エモい」のウケがいいのと全く同じような気がしています。「エモい」という言葉自体に賛否両論ありますが、あれはある種の感情共有手段かと思われます。

例えば、夕焼けに染まる日暮里駅東口からの線路を見ながら感傷的な気持ちになりつつもスキマスイッチを聞くその状況はどう説明すれば、共有出来るのでしょうか。

エモい=その状況をいかに鮮明に提供できるか

です。ただのシーブリーズよりも、「高校の部活終わり、泥のついたリュックから出す蓋の周りに粉の付いたシーブリーズ」の方が好まれます。

少し脱線してしまいました。話を戻します...。

つまり、あるあるやモノマネも同じです。
いかに相手に淡白であり情報を最小限にした動画から、状況を鮮明に提供できるか。

例えば一番伸びた動画でのキャプションは、「鼻息」「クネクネ」「下唇を噛んで」などの言葉の後に「一年女子大生の秋」とあります。

あらかじめ視聴者の目を操ることが必然です。提示されていた細かい情報を確認してしまうのが人間です。

提示しておかなければ、視聴者は「それっぽさ」を感じることはなかったでしょうし、鮮明に一年生女子の言動を感じ取ることはなかったでしょう。

私の中でのtwitterの強みは、文と動画が同じ割合で作品として出せることにあります。

その分動画の編集等で胃もたれさせてはいません。淡白で情報が必要最低限と言ったのは、twitterというプラットフォームではこってり豚骨は好まれない傾向にあると、くつざわのネタ帳にあります。知らんけど

このような、ある程度の条件さえ揃えば、ある程度バズの傾向に近づきます。

ツイッターではたくさんの方がキャプションの作り方などを真似してくれたおかげで、(思い込みだったら死にます)資料が勝手に増えていき、仮説が徐々に立証されていったので、これは割と胸を張って言える要素です。

そうして自由研究を重ねるうち、バズを生み注目を浴びました。それからというものの「バズを生めない痛みやすい果物」に対しての不安から、確実にバズを生めるものに固執し、瞬く間に あるあるモノマネ女 以外の何者でもなくなっていました。

メディアに出るときは私もそう自称していました。見栄えがいいものとメディア側が求めているフレーズが合致したからです。なんせやりやすい。進めやすい。

ではなぜモノマネをやり始めたのか?

自由研究始めたての私の理想は「フォロワーを増やすこと」でした。
もっと底を見てみると、「将来何かしらのメディアやコミュニティを立ち上げたときにリーチできる母体数を増やしたい」です。安直ですね。

少し不必要な話をすると、コンテンツに目を向ける人間は二極化するという仮説がくつざわメモ帳にあります。1つは「コンテンツ自体に興味のある人」もう1つは「コンテンツ関係なく発信者が発信するものはなんでも見る信者」です。

後者を、得意分野のtwitterを使ってあらかじめ獲得しておこうと考えていました。19歳の私は。

そこにだけフォーカスした私は、簡単に伸びるコンテンツを見つけ、独自の枠を創造してしまったのです。

独自の枠に集まったフォロワーたちは、その人しか持たないコンテンツを求めて寄ってきます。

現在私のtwitterのフォロワーは11万人とちょっとといったところでしょうか。

いくつかの実験の上での個人的な仮説ですが、8割以上はモノマネをするくつざわを求めています。
残りは私の戦略的な部分や小難しいことを考えたくて楽しんでいる方、私が配信するコンテンツならなんでもいい信者、その他友人、などで構成されています。

戦略の部分に注目してくれてる方もいらっしゃるので、裏では割と真面目な仕事もしてたりします。裏なので表には出ませんが。

そうなってしまった以上軌道修正が効きません。が、私が本来したかったことはもちろんモノマネではないですし、将来的にはモノマネという薬物レベルのバズ固執から離れなければ、私が最初に生んだバズの奥底の意味はなくなってしまいます。

「いかに飽きられないまま、痛まないまま軌道修正をするのか。この失敗をいかに美談に変えるか。意外性を持たせるべきか、気づかないスピードでコンテンツを変えていくか。」

最近は電車の移動時間でうとうとしながらそんなことを考えています。

意外性はほとんどの場合リスクを生みます。状況が好転することも稀にありますが、私が突然「モノマネ辞めま〜〜すwww起業しまんた!!!!!PDCA回してKPI練りま〜〜す」なんていきなり言ったらそれこそ8万人くらいフォロワー減るのでは。。。???

考えるだけでゾッとします。

私の最近のツイートを見ていただければわかるかもしれませんが、モノマネから徐々に「小難しいことを考えたいくつざわ」にシフトをしてます。
一度シフトし始める前にこんな実験をしました。

このツイートと同時刻に、本から抜粋した小難しい比喩をしまくった小難しい文を投稿しました。
そちらは1000いいね程度だったので、削除しましたが。

このツイートはあくまで比喩です。私らしさというオブラートに包まれた比喩です。が、引用リツイートやリプ欄、また伸び具合などを見ていると、内容をそのまま受け取り、一度見た文章を見返すことなく一度の理解のまま心に入ってくる文章であり、なおかつ「みんなの思う怠惰なくつざわ」であることが掛け算されてのプチバズでした。

ここで言うのもなんですが、私は今度本を出します。そこの内容をネタにするのか、私の本当に書きたいものを書くのか。両層に届くように工夫をするのか。

このツイートの反応から、小難しいことを書くことは諦めましたが、3つ目の手段を取ることを考え、最近は少し私らしくない私らしさを出していこうというこれまた安直な考えでございます。

反応を見る限り、まだまだ私のやり方は下手で、きっと戦略を話したらマネージャーに笑われちゃうんだろうなぁ。見守っててね。

そこでこのnoteを出しました。ものまねのくつざわの雰囲気が1ミリもありませんね。
このページに飛ぶ人は、ある程度どの私でも受け入れることが可能な層であると見据えての事です。
少し感情的な文になってしまいますが、ただひたすら伝えたい。わかってほしい。

ほぼ義務であるようなモノマネをやっても「つまらなくなった」
モノマネ以外に手を出しても「お前はそうじゃない」
何もしなかったら「そろそろ消えそう」
弱音を吐いたら「恵まれてるくせに」

どの方面に転んでも槍はあります。発言力とはリスクと同意義なのです。なんかやだね!

そんな中でnoteという媒体に手を出した理由は、新たな信憑性の置き場だと確信したからです。これも仮説です。

信憑性のある場というのは、今まで第三者という立場に主に置かれていたようなイメージです。口コミや掲示板、多数メディアが流行したのもそれが理由でしょうか。

しかし、今のメディアは、中立性という言葉を駆使して「中立性の存在しない匿名希望者からの偏った誹謗中傷意見」を護ります。発信者はそこで、思わぬダメージを受けます。

その時点で、中立性なんてこれっぽちも存在しません。
多数ある匿名希望者からの意見は、非公開の場ではないので不特定多数に観覧され、イメージを植え付けます。そして、イメージを植え付けたとて、発信者が心の傷を訴えたとて、匿名希望者はダメージを受けません。匿名なのですから。

SNS上にしか存在しない「何か」には、考える心が存在しないので反論をするだけ無駄であると19歳最後らへんで気づきました。人と関わることが大好きだった私は、話せばわかる、という気持ちが捨てきれなかったのです。

複数のくつざわメモ帳の資料上、「何か」は相当現実ではしんどい思いをしています。そのサンドバッグになることは避けて通れません。有名になるということは大衆のおもちゃになるということです。

そこを理解した上で、信頼されてきたであろうメディアの中立性、信憑性の置き場に疑問を感じていました。
思考が一周回り、第三者からの発信に頼りすぎてはいけない、結局は自分が発信することを信憑性に繋げなくては廃れてしまう。
カタカナで言うとブランディングって言うんですか?それです。

ただ、twitterでは140字の制限がある。そして、ほとんどのフォロワーは求めていない。この時点でtwitterで発信する意義を見失いました。

で、着地点がココ。めちゃくちゃ長くて目に余る幼稚な文でした。
わかりやすくするために、結論を出します。

・周囲によってサクセスストーリーと括られたものを、いかに壊さずに私の本当を出せるかを考えるの、しんどいっす。

・でも私は、モノマネをしたいわけではないので。最終着地点は見えていませんが、とりあえずなんか違うことはわかるのよ。

・てことで、理想に近づけるためにこれからnoteちょろっと出すし、少ない脳みそ使って本頑張るから買ってくれぃ。

てことですかね。文書くの楽しいね。見にくいけど。

余談ですが、今は少し酔っています。
大学生という、大人にもなりきれないが大学生という立場がある以上、将来へ少し進まなければいけない。しかし動くと必ずプラスかマイナスに転じる。でも虚無は一番怖い。

そうなった時、酒は逃げの最適な手段なのかもしれません。

何が言いたいかっていうと、どうでもいいことを小難しく考えちゃう人間なんです。イメージ変わっただろうか。。。

私も動くのが怖いです。

でも、少し酔ってふらふらしながらでも動くべきかな、と思います。

動き出した一歩目が、この目に余る文章です。

こんなことを書き始めれたのも、たくさん手を差し伸べてくださった、寄り添ってくれた皆さんのおかげです。

スポットライトの光が強くなればその分影も濃くなります。しかし私はその光の強さが、暖かく、心地良いです。

20歳の小娘を長い目で見守っていただければ、幸いです。マネージャーもいつもありがとう。無駄に信頼してるよ。

おやすみなさい。雨の音で寝れねえなこれ

追記
痛む、はこのnoteの場合のみ誤字ではありませんよ。

いただいたサポートは、可愛い可愛いボーダーコリーのジョアのおやつにしちゃいます。ありがとうございます。🐕