見出し画像

それでも、日常に曖昧を。

久々のnote更新。やっぱり自分の文章を書く時が一番楽しい。無駄が許される文章は遊びでしかないからなぁ。



先日、新R25で取材された記事が最新記事ランキングのPV数1位だったようで...。ずっと見ていたメディアに出れた上に、反響もあり、たくさんの人に読んでいただいて...ありがとうございます。

特に更新しておらずフォロワーが減少傾向にあったTwitterも、おかげさまで1000人ほど増えました。影響すごい!

ただ、これは本当に調子に乗ってるとか俯瞰してるとかではなく、よく仕事を一緒にしている方やnoteをよく見てくださっている方にも言われたことなのですが

特別踏み込んだことを言ってるわけではなく、もっと面白いこと、知ってほしいこと、たくさんあるのになぁ。と。

マスに向けた深掘りしすぎない記事であるべきことは理解した上なのですが、個人での発信との差を痛感しちまった〜。くやしい〜!やっぱり新R25すごいです。

大きな力に依存せず、個人でこれくらい届けれる能力さえあればなぁ。と、背筋を伸ばした良い経験でした。

--------

さて、本題ですが
過去に動画で11万人のフォロワー(昔はいたのよ)を集めた私が、「動画の時代」と言われる最近に対して覚える違和感を文章にしてみます。

もちろん動画の時代であることを否定するわけでも、可能性がないとかそういうことを言いたいわけではないです。かくいう私も動画のおかげでいろんな機会に恵まれている人間なので、むしろ動画という一つのツールの長けている部分は割と知っているつもりです。

ただ、だからこそ最近は文章の良さみたいなものが浮き彫りになって見えます。別に文章が得意なわけでも、文学少女なわけでもないけど。月一で一冊本読んでたいな〜ってくらい。


イメージとして、動画と文章が対の関係にあるとしたら、動画が伸びれば伸びるほど文章の良さが無くなるとか減っていくのではなく、薄れていってしまうような、そんな気がします。なんだか少し寂しくないですか?

そうでもないですか?

そうですか..........................。

もういいよ.......................................。


もちろん動画にもたくさん素敵な部分はあります。時間をかけずに情報が視覚でそのまま入ってくるので、特に「これはどんなものか」を考えずとも常に正解の状態のものを提供してくれます。

その結果、視聴者側の思考は基本常に受け身状態で、力が入らない状態で100%の情報をインプットできます。非常に楽。動画によって細かな良さが置かれる部分は各々異なると思いますが、この点に関してはどんなカテゴリのものでも共通していることではないでしょうか。


活字離れが囁かれている現在。主にこの話題で当事者として括られるのは「若者」という存在ですが、この単語は極端に広義な解釈ではないかなぁと思うのです。

現に活字離れを起こしている年齢は主に大学生で、「読書を全くしない層が増えている」というデータと「平均読書時間は増えている」というデータが同時に存在していますが、これは読む人読まない人の二極化が尚著しくなってきていると捉えれます。

そうなることも至極当然のことで、上に既記している「動画の良さ」というのはこの騒々しく多事多端な現代にとても需要あるものであり、そこにいろんな形のクリエイティビティが付随されれば、いくらでもワクワクできるし、時には悲しむことも、感動することだってできる。

エンタメの形が多様化される令和において、いつでも新しい刺激を、一番私生活に入り込みやすくわかりやすい形で得れる動画は、伸びて当たり前のツールだと、改めて思います。


そこで尚「文章」の良さがなんとなく際立って感じるのです。

文章は完璧なものではなく、曖昧さを持ちます。正解として与えられている訳ではなく、読み手に思考の余地を与えるものです。


芥川龍之介は、『文章の中にある言葉は辞書の中にあるときよりも美しくなければならない』と綴りました。


辞書はそれこそ言葉において完璧である存在です。その言葉が文章中で美しくなる時は、反対の「曖昧さ」を帯びている時だと思っています。

ここで言う「曖昧さ」は、人に各々の正解を与え、それを導き出すまでの思考時間を作るためのもの、という前提で以下の文を見てみてください。

この文章が投稿されたツイートは39万いいねほど付いていますが、

この投稿を見て、たいていの人は総じていわゆる「エモい」という感情を持つのではないでしょうか。この投稿がバズった要因としての仮説は、私の最初のnoteを引用します。


______

モノマネ動画はある程度の条件を満たしていれば好感触なのは当たり前です。

コンテンツとして「エモい」のウケがいいのと全く同じような気がしています。「エモい」という言葉自体に賛否両論ありますが、あれはある種の感情共有手段かと思われます。

例えば、夕焼けに染まる日暮里駅東口からの線路を見ながら感傷的な気持ちになりつつもスキマスイッチを聞くその状況はどう説明すれば、共有出来るのでしょうか。

エモい=その状況をいかに鮮明に提供できるか

です。ただのシーブリーズよりも、「高校の部活終わり、泥のついたリュックから出す蓋の周りに粉の付いたシーブリーズ」の方が好まれます。

______

この投稿によって、「エモい」という感情を持った人は必ずこの文章から何かしらの風景、音、匂いを想像したはずです。その上少なからず想像したものには個人の過去に通ずるものがあったはず。


この文章は、読み手にとってその状況が鮮明に思い起こされるものだったからこそ、たくさんの人に共感されたのです。そしてその思い起こした時の情景の正解は、各々違ったはずです。

教室の形、いびきをかいて寝ている誰かさん、黒板に書かれていること、なんでもいいけど、それには読み手の人数分の正解が存在するし、間違った情景なんて一つもありません。


芥川龍之介は、『文章の中にある言葉は辞書の中にあるときよりも美しくなければならない』と綴りました。


それは、辞書にある言葉がとある文章中に並んだ時、ただ完成された単語の羅列としての役割でなく

その言葉がもつ曖昧さによって、幾千もの捉え方や情景が生み出され、さらに各々の正解に至るまでの思考を巡らせる過程までもが美しい。言葉が「生きる」とはこういったことではないかなぁと、私は思うのです。


もちろんこれも『文章の中にある言葉は辞書の中にあるときよりも美しくなければならない』という文を見た私の中の正解であって、他の読み手には別の解釈があるかもしれません。それもまた素敵なことです。


なんやうんたらかんたら言ってますが、さっきのエモい文章を動画にしたらどうでしょう。

エフェクトやアコースティックギターの音色、少し色味にレタッチも加えたりなんかして。カーテンの揺れも、ページが動く早さも、しっかり編集します。教師役はこの有名声優、出せない声はありません。10秒くらいかな。いろいろプロの手を加えてみましょう。

そうすれば、はい!「エモい」に限りなく近くなりました。


しかし、その情景が完成されている時点で、その教室はあなたのものではなく、誰かのものでしかないのです。あなたが思考を巡らし、作り上げれる余地はどこにも残されていません。

手の込んだ「完璧」は時に、人が情緒を感じる大事な何かを削ぎ落とします。

「曖昧」こそ、日常にもっと在るべきものなのかな、と思います。その一番身近な例が私にとっては文章でした。


本って読んだ方がいいの?みたいな話題って割とされていますが、スマホ一台になんでも詰まっている現代ですから、必須な訳ではないですよね。無くても全然生きていけます。

その人がもし、探究心を欲していたら読めばいいと思います。

動画にはない、うまく言えないわくわくとか、哀しみに触れたければ読めばいいと思います。

何かを伝えるための、大切な人を守るための語彙が欲しい人は、気になった本を何も気にせず手に取ればいいと思います。


私がビジネス本や自己啓発本が苦手な理由は、それが既に誰かのものであり、誰かの正解の上に作られたものだからかも知れませんね。



個人的な話になりますが。

心がうずうずするあの感じが大好きなので、旅をする前に現地にまつわる物語だったり過去の出来事の書籍を読んでから足を運ぶことが多いのですが、

足を運ばないとわからない情報が綺麗に詰まった旅行雑誌にはない「わくわく」が、確実に生まれます。脳内で巡らせた想像の答え合わせをする旅は、驚きと暖かさの連続です。

曖昧さを持っていけばいくほど、「旅行」が「旅」に変わるような、なんとなくそんな気がします。


すんごいお節介ばあさんみたいだけど、もっとたくさんの人にいろんな感情を感じてほしくて、気楽になってほしくて、軽率にわくわくしてほしくて最近あれこれ考えているんだけど、やっぱり動画じゃ伝わらないことがたくさんあって。

だから文字(記事)の反応も伺ってはいるんだけど、やっぱりまだ動画の反応には勝てないな〜。難しいことよ。


でも、この世界には知らないことも、きっと知っておくべきことも数え切れないくらいあるから、せっかくモノマネでフォロワーもなんか集まってしまったし、少数でもわくわくを求めている人がいれば、大多数に無視されても、何か日常が鮮やかになるものをプレゼントしたいな〜と思ってます!


私がバズったきっかけのモノマネって、曖昧さや思考の時間を含む文章とは正反対で、短時間で完璧なそれっぽさを提供して、特に考えずとも正解が完結されているものだから

それを好んで集まった人たちに「文章もいいよ」なんて言うのも変だけど。


初めてnoteを出した時に「読むのだるいから完結に説明して笑」と言われた時から、このnoteは出そうと思っていました!!


きっと動画の方が気楽で手軽で好きなみんなにも、いつか文章で、ゆっくりいろんな感情を楽しんで欲しいなあ。頑張ります。

















いただいたサポートは、可愛い可愛いボーダーコリーのジョアのおやつにしちゃいます。ありがとうございます。🐕