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祖父が亡くなったこと、時が止まること。

先日、母方の祖父が92歳で亡くなった

もう危ないと言われてから約2ヶ月間の入院を経て、安らかに息を引き取った

入院してからは意識も朦朧としていて話すことはできなかったけど、最期までとても穏やかな人だったよ。
じいちゃんに可愛がってもらったこと、ずっと忘れないよ。
認知症が発症してから10年くらいは経ったかな。じわじわと進む症状に、じいちゃん本人も、家族も、悩むことがあったけど
じいちゃんと一緒にいると、みんな優しい気持ちになって、笑顔になる、そんな人だったよ。

だから、とっても悲しいです。
じいちゃんがこの世にもういないことが、じいちゃんの手をとって今日の出来事を話せないことが、とても悲しいよ。
お通夜もお葬式も火葬も、役所の手続きも、全部終わってしまって、日常に戻らないといけないのがすごく苦しいよ。

なんだか自分だけ、取り残されたみたいだ
周りの人はみんな、社会の中で今日を生きていて、誰かや自分のために、仕事や勉強や遊びや、何かをしている

私だけ、ただ悲しんでいるだけで前に進む気持ちになれない、そんな気分。悲劇のヒロインかのように話していて余計に自分に嫌悪感を抱く
頑張る気持ちになれなくても前に進もうとしている人は沢山いるので、それが余計にしんどい。
なんか、置いて行かれている気分になってしまう
死を悲しみたい気持ちと、悲しみたくない気持ちが同時にあって何も手につかない

父親が死んだ時もそうだった

祖母と父親を亡くしてから、2年間は時が止まってたかなと思う。何をしても憂鬱だった
寂しさ、悲しさ、後悔と罪悪感と。怒りもあったかもしれない
正直なところ、まだ受け入れられてないし、たまに泣いてしまう

父親と祖父では、私の中の想いの重さは少し違うし、
祖父は十分に生きたと思えるから、前みたいに2年も引きずることはないと思うけれども、それでも暫くは時が止まったような世界で息をするのだと思う

母も姉も、もう仕事を再開していて、仕組みとして仕方ないことなのだけれど、強いなあと思いながら私はベットにうつ伏せている

大切な人を亡くしたのだから、仕方がないのかな。
もう、誰にも死なないでほしいと思ってしまう。
自分はすぐ消えたいとか死にたいとか思うし言うのに、わがままかな。

葬儀場や火葬場の仕事の人って、どんなメンタルしとんねんとか思いながら、味気のないご飯を食べて、眠れない夜をぽやーっと過ごして、今日が終わっていきます。

じいちゃんのこと、みんな大好きだよ。
天国でばあちゃんと、幸せに過ごしてほしい。



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