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「萩原組」研究

2日間にわたって開催されたMOIW2023、お疲れ様でした。

本記事は、そのMOIW2023にてユーザ参加企画として実施された「オリジナルのぼりプロデュース権」企画で掲出していただいた「萩原組」のぼりについて書こうと思い立ったところで、そもそもネタのバックグラウンドとなる「萩原組」とはなんぞや、という話の部分だけで本編より長くなってしまったので独立させてしまった記事です。
タイトルは立花隆さんの真似をしたかっただけなので、研究といえるほどのものかは怪しいですが。

MOIW2023の「萩原組」のぼりそのものに関する話は下記の記事をご覧ください。

▼MOIW2023「萩原組」のぼり解題
https://note.com/kuwane/n/n98c6480eb747

1.2005-2010/ヤの付く自由業としての萩原組

アーケード版「アイドルマスター」(2005年7月本稼働)からPSP「アイドルマスターSP」(2009年2月発売)の時期にかけては、ゲームやドラマCD等で描かれる萩原雪歩の実家は、シンデレラでいう村上巴、SideMでいう兜大吾の実家に近しい感じの「何か」であるという風な描写が行われていた。

とくにアイマス初期のムック本「アイドルマスター プラチナアルバム」(エンターブレイン刊、2005年10月発売)に書き下ろされた見開きイラストでは日本庭園に立つ雪歩の後方に、和装のいかつい男性と黒スーツの「お弟子さん」たちが並んでおり、いかにもなアトモスフィアが濃厚に漂っている。

そうした描かれ方も踏まえたうえで、2009年頃までにはすでに総体としての雪歩Pを示すものとして「萩原組」や「お弟子さんたち」といった言葉が自称他称ともに使われるような状況があったように記憶している。

ただし、この時期にはまだ「萩原組」という単語はオフィシャルなものとしては(少なくともゲーム中には)登場していない。

2.2010-現在/建設会社としての萩原組

「萩原組」をめぐる状況が大きく変わるのがXBOX360「アイドルマスター2」(2011年2月発売)の前後だ。

2010年7月のアイマス5thライブにて雪歩役の声優が落合祐里香さんから浅倉杏美さんへと代替わりすることが発表されたことは、大きな大きな事件だった。
その声優交代発表の直後に当時のガラケー向けサイトにて着ボイスとして突然リリースされたのが雪歩(CV.浅倉杏美)が歌う「萩原組社歌」だ(2023年2月現在、正規の入手方法がない音源であるが、動画投稿サイト等に転載されたもので内容の確認はできる)。

この「社歌」は公式に「萩原組」というワードが登場した初めての事例であると同時に、その描写が大きく変わった最初の事例でもある。
歌は「安全第一 萩原~」というフレーズから始まり「萩原組」が建築関係(足場施工?)であることを示す内容であったのだ。

「アイマス2」ゲーム本編(雪歩シナリオ)でも同様に、雪歩の父親は建設関係の会社を経営しているという描かれ方がなされており、この設定は以降の作品でも引き継がれている。

「アイマス2」ではさらに、DLC衣装として「萩原組ヘルメット」が販売され(アイマス2DLCカタログ8号、2011年9月リリース)、建設会社としての「萩原組」の描写が補強された。
このヘルメットは、萩原組のマークが明らかになったという点でも画期的なものだった。
「萩原組ヘルメット」はその後、PS3「アイドルマスターOFA」(2014年5月発売)のDLCとしてゲーム中に再登場したり(OFA DLCカタログ3号、2014年7月リリース)、可動フィギュアのキューポッシュ「萩原雪歩」(2014年5月発売)に付属したりもしている。

DLCを参考に作成した人間サイズの萩原組ヘルメット

3.ゲームの「外」の萩原組

ここまでは公式の描写に暗示・明示された「萩原組」について書いてきたが「萩原組」については、ゲームの外にいるPたちをしめす言葉としての「萩原組」という文脈も存在する。

すでに「2005-2010」の項でも書いたように、雪歩Pを表す名詞として「萩原組」という単語は一定の認知があった(仮に知らなかったとしても聞けば意味はわかるような状態であった)。
特にゲーム中に「萩原組」という名前が明確に示されて以降は、雪歩Pが自らの所属を「萩原組」とP名刺等に記載するケースも大きく増えたように思う。

さて、そんな雪歩Pを示す単語としての「萩原組」には、特にSNS上などで「なんか知らんがイベント会場に現れ、勝手に列を作っていく有志Pたち」という意味合いもあることをご存じの方も多いだろう。

これについては筆者(kwnP)の責が非常に大きい自覚はある。
以前に知人の発行した同人誌に同じような内容を寄稿したこともあるのだが、ここであらためて「列を作る有志P」としての萩原組について書いてみたい。

まず、古いTシャツの背中の写真を見ていただきたい。
これは2009年春ころ、筆者がライブに着ていこうと思って作成したTシャツのものだ。

2009年春頃に筆者が作成した萩原組Tシャツ

これを着て参加したはじめてのライブである、アイマス4thツアーの東京公演(JCBホール、2009年5月)で、筆者はひどい状況(入口までに階段ないしエスカレータを経由する導線なのに200人ほどが整列も何もなされていない状態で開場後も集合場所とされたところに放置されていた)に居合わせることになる。
入場前に怪我人を出すわけにはいかない(というか自分が怪我をしたくない)、という意識で整理番号が近かった知人らと共同して列を作らせてもらったところ、僕の格好が分かりやすかったからかライブ前後の2ちゃんねるアイマス本スレに「お弟子さんたちが」などと書かれたりしたのが列を作る萩原組の始まりだ。

さらに2009年12月に今はなきSTUDIO COASTで開催された「クリパ」での入場列形成、2011年のアイマス6thツアー東京公演(JCBホール)にて早朝の物販列形成と入場列形成などを(周囲のP仲間にも助けてもらいつつ、勝手に)お手伝いしたことで、SNS等において「萩原組」という単語に「列を作る有志P」という意味合いを増やしてしまった。

この、列を作る「萩原組」は「組」とは呼ばれているものの組織体ではない。僕が言い出しっぺとなって臨編した、戦闘団ないしタスクフォース、もう少し違う言い方をすれば運動体である。
「萩原組」とは呼ばれがちだったが、列形成の参加者に担当アイドルを問うたことは特になく、むしろ具体的な手順を説明しなくても列形成の現業ができそうな周囲の面々にお願いして対応を実施したというのが実態に近いだろうか。

6thツアー東京公演では偶然?発生した「嵐」物販列のみなさまとの交流イベントなどもあって良くも悪くも目立ってしまい、その後コミック版「アイドルマスター」(原作:髙橋龍也、作画:まな/一迅社刊)の雪歩メインのエピソードにて「掘削組」というかたちでネタにしていただいたようである(以前、髙橋龍也さんがこのあたりに関してつぶやかれていたはずなのだが、正確に掘れなかったのでふんわりとした書き方にて)。

2012年のアイマス7thライブ(横浜アリーナ)以降はライブの勧進元が変わるなどイベント運営体制に大きな変更があった。そのおかげで事前にそこまで列形成について心配をすることも無くなった(たしかに「静岡市民マラソン」みたいな事例はまれに起きてはいるが)。
「列を作る有志」としての萩原組は、すくなくともアイマス公式の現場においては今後はよほどのことが起きない限りは必要とされなくなっている、と信じている。信じさせてください。

「萩原組」とは何か(まとめ)

最後に簡単にまとめを記す。

アイドルマスターにおける「萩原組」には、まず「ゲームの中で描かれた萩原組」がある。その描かれ方は「アイマス2」以前と以降で大きく変わっている。

もうひとつ、ゲームの「外」で雪歩Pを示す単語として「萩原組」は比較的早い時期から用いられている。
Pサイドの「萩原組」については、2009年~11年ころの筆者らの活動によって(公式が整理しきれない)列を整理に現れる有志という意味合いも付いてしまった。

こんなところであろうか。

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