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(ネタバレあり)シャニソンとシャニアニ2章と少しだけヴイアラ。

2023年11月14日にサービスインした「アイドルマスター シャイニーカラーズ Song for Prism」(以下、シャニソン)と11月24日に公開となったアニメ「アイドルマスター シャイニーカラーズ 第2章」(以下、シャニアニ2章)。

本稿はそれらを通してシャイニーカラーズ(と少しだけヴイアラ)について語るものだ。

多分にネタバレも要素もあるので、特にシャニアニ2章を未見でネタバレを踏みたくない方はここでページを閉じるか前のページに戻っていただけると嬉しい。
(目次時点でだいぶ怪しくなるのでスペーサー代わりにシャニソンとシャニアニの公式サイトへのリンクも埋め込んでおきます)


「終わり」を描くものとしてのシャニマス

2018年春にサービスインしたenza版シャニマスはアイマスシリーズとしては久々に「条件未達による活動終了」をゲームシステムとして実装したアイマスのタイトルだった。

シャニマスのリリース当初、筆者はそのことに衝撃と懐かしさを覚え、それこそアケマス以来久々にメモを取りながらアイマスをプレイした。

それから4年。2022年の春にシャニソンの開発が発表された際「音ゲー要素がある」ということに、正直なところ少し落胆した。
音ゲーになってしまえば、シャニマスが他のアイマスと一番違う(と筆者が思っている)、終わりを描くという部分が損なわれるのだろうと思ったのである。
ゲームシステム上終わりを描けないシンデレラ、ミリオン、SideMと同じようなものになってしまうのではないかと。

だからこそ、5thライブ「If I_wings.」の2日間には自分でも驚くほど心を揺さぶられた。
ゲームシステムとして終わりを内包したenza版だけの今だからこそできることをやろうとしたのだ、と受け取った。(何ならnoteに怪文書も書いた)

シャニソン、あるいはShow must go on

さて、シャニソンである。

ふたを開けてみて驚いたのは、プロデュースパートにて、始めたはいいものの7週ごとにあるオーディションをどうしても突破できない場合に「あきらめる(=ゲーム終了)」という選択肢があったことだ。
かなりサバサバした形ではあるが、漫然とゴールへたどり着けるわけではないシステムであることに少し嬉しくなった。

そんなプロデュースパート以上に驚いたのは音ゲーパートの仕様であった。

一般的な音ゲーでは、プレイヤーがミスを重ねてライフが尽きたならそこでゲームは終了し、クリアを目指してコンティニューするならコインなりアイテムなりを消費するシステムになっている。(いわゆる石を砕くというやつだ)

翻ってシャニソンにあってはライフがゼロになっても曲は続くし、スコアも加算されつづける。そうしてライフがゼロの状態で曲が終わった後、そのスコアに応じた実績も加算される。
ライフがゼロになってしまったら「(手動で)クリアした」という実績が得られないのと、クリアに伴う報酬が得られない、というつくりになっている。

課金導線を考えるにかなり思い切った仕様ではあるが、ここにシャニソンの思想が強く表れているように思う。

シャニソンの音ゲーパートはメニューでは「ライブ」と表記されているが、本当に「ライブ」なのだ。
だから「ライブならどんなにミスがあっても曲が終わるまでその曲のパフォーマンスを続けるよね?」とでも言いそうな、そして最後まで舞台の上にあったことを評価するような仕様になっているのだろう。

このことに気づいたとき、脳裏をよぎったのがヴイアラ公式配信の2023年9月後編での宇宙(こすも)の10分間パフォーマンスだ。
あるいは、あの日の宇宙を見ていたからこそ、この仕様が意味するところについて、ちゃんと考えることができたのかもしれない。

宇宙の10分間パフォーマンスについては、こうでした、と書いても伝わらない部分があきらかに多いので下記に当該の配信のアーカイブを埋め込む。動画の34分くらいからが当該の箇所である。

シャニアニ2章とW.I.N.G.と

シャニアニ2章ではイルミネの初ライブ(#5)、4ユニットのW.I.N.G.出場と決勝ないし準決勝での敗退(#6~8)が描かれる。

シャニアニには登場するアイドルはシャニマスの初期4ユニットだけだ。
そうなると描かれるのはW.I.N.G.編をベースにした物語なのであろう、というところまでは容易に想像がつく。

では、物語の中にW.I.N.G.をどう落とし込んでいくのだろう、と思っていたのだが、中盤にて「全ユニット出場はするが、優勝はできなかった」という形で持ってくるというのは予想外だった。(特に、シリーズ中盤に持ってくるという部分)

劇中での4ユニットそれぞれの「優勝できなかった」ことに対しての描写と、優勝できなかったとしても何も残らないわけではない、という描き方は、前節で書いたシャニソンのライブパートの仕様と、思想が通底しているとも感じられた。

結びに変えて

enza版のリリース5.5周年をこえて、アニメシリーズの先行上映がスタートし、2つ目のゲームがローンチしたシャニマス。

環境は大きく変わったが、制作陣が作品を通じて描こうとしているものの芯は変わっていない。そう思えてならない。

つまりまた数年したら、5thみたいな演出に振り切ったライブがあるかもしれないわけで、個人的にはそれもひとつ楽しみである。



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