ネガティブ期のなまの記録

相対的には前向きに生きてこられたが、ネガティブな思いが起きなかったわけではない。
30歳を過ぎた頃、人生最大の暗黒期を向かえる。

20代の楽しい日々が、少しずつ失われていく。

近い年代の仲間たちとの交流は、時と共に形を変えていく。
友人たちは、徐々に職場で任される仕事の質が変わり、重要な立場になりはじめる。生活に余裕がなくなるにつれ、僕と遊んでいる時間など持てなくなっていく。

頭では理解しているし、負担にされながら会い続けられるほど鈍感でも図太くもない。ましてや憎む気は毛頭ない。むしろいつまでも幸せであってほしい。

それでも、「あ~あ、あの頃は楽しかったのになぁ」という毎日になっていく。

そのうえ、身体は衰えていき、不自由度が増し、辛いことも多くなっていく。

辛くても楽しいことがあれば、それだけで充分なのだけれど。それも恵まれない。

そうなると次に、意識は「自分の社会的な価値は?何かに役立っているのか?」という方向に行く。
「友人たちは仕事で必要とされているのに、次のステップに向かっているのに、僕は何年もここに留まったままじゃないか。価値はどこにもないんじゃないか?」さらに沈んでいく。

「生きる意味は?他に何があるだろうか?」何もなくても、せめて愛する女性でもいれば、違うんだろうけど、それもない。

決して欲張るつもりなんかない。
何かを持っていなくても、何かひとつあれば満足して生きられる。
だけど、「ない」尽くし。何もないとさすがにキツ過ぎる。

ここに行きつくと、人は最大限に落ち込む。
「あぁ、もうダメだぁ」 生きるのが嫌になる。でも、これで死ぬのも嫌だし、納得できない。

すると、落ち込んだのが、段々と怒りに変わっていく。
そして、心は荒れる。

そこまで行くと、楽しそうな様子の人々や幸せそうな人たち・活躍している人たちが別世界の住人に見えていき、最終的に憎くなってくる。「自分はこんなに辛いのに、なんで周りの人たちは?」と思ってしまう。

電車のホームから車イスごと飛び込むイメージが脳裏に浮かんだこともあった。
でも、死に損なって、これ以上不自由で辛い思いしたら最悪だなぁ。それにめちゃくちゃ痛そう。
しかも、迷惑かけるし、補償するお金うちにないよなぁ。
うん、やめよう。

心の状態は、上がったり下がったりを 行ったり来たり繰り返す。その中をただ生きる日々。

2018年の暮れ、転機が訪れる。

弟夫婦に子供ができたことを聞いた。
いつも気にかけてくれ、大切に思ってくれるふたりのことが大好きだ。そのふたりの子供の誕生は、天地がひっくり返るくらいの喜びだ。
一気に心は晴れ、幸せな気持ちに一変した。

来年は日々を充実したものに、必ずや変えてみせる!
そう決めた。
意地でも甥っ子にとって恥ずかしくない伯父さんにならなくては。可愛くて仕方ない存在に好かれないなんて、絶対に嫌だ。

それから、自分にできること、ちょっとでも誰かの役に立てることはないか?何か今までの自分とは違う挑戦はできないか?
自分なりに考えた。

そうだ!
人工呼吸器を使う僕が歌っていたら、重篤な人が使うもの、苦しそうで可哀想、といったイメージをわずかでも変えられるかも知れない。

そして、何よりも、希望をいだく人がいるかも知れない。

僕自身、歌うことなんてできるはずがないと思っていたけど、なんとなく合唱の輪に入った時、意外と歌えるもんだなぁと実感した。
練習を重ねるうち、はじめは無理だった曲も少しずつ歌えるようになっていった。

人工呼吸器とのつきあい方も上手になっていき、かつて人前で見せたくなかった鼻マスクで装着する姿を 堂々と見せられる。
新たに何かできるようになることは、大きな喜びになり、自分を肯定してあげることができた。

これから人工呼吸器を使う方や、重い障害に悩んでいる方に、
「"できないと思ったことでも、諦めなければ可能性がある” ことは沢山ある」とまずは挑戦してもらいたい。

一歩動き出すと、状況は大きく変わった。

偶然テレビを視ると、分身ロボットカフェと称して、遠隔操作でリアクションや会話をするロボット“OriHime”を使って働く社会実験が取り上げられている。
あれ?友人が映っている!思わず興奮してしまった。

直後に会った際に「テレビで視たよ!凄いね、活躍して。興味深いなぁ」と話しかけると、追加で募集していることを教えてくれ、早速アクセスし応募した。
これが、僕に大きな影響を与える出会いだった。

分身ロボットカフェに参加したことで、助け合ったり成長しあえる仲間ができた。
交流によって、他の参加者たちの熱意や様々な思いにふれた。葛藤のなかこのプロジェクトが救いだったメンバーもいた。
そして、僕自身の熱意も湧き上がっていった。

初勤務の日、前日は普通に動いたPCが起動すらせず、勤務ならず。責任を感じ、めちゃくちゃ落ち込んだ。
すると、多くのパイロット仲間たちから、励ましの言葉や心配の声が届いた。
温かい気持ちで一杯になり、落ち込む前よりも幸せになっていた。

障害が進み新しい友人はできなくなっていくと思ったけど、多くのよき友がいる。

また、自分の出来の悪さに自分で驚いたが、それに気付くことが嬉しかった。長らく、自分の等身大を知る機会があまりなかったから。 

支えてくれる人たちに応えるためにも、努力してもっともっと技術や知識的にも人間的にも成長していきたい!

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