母の入院~自身の介護・将来を考える~

コロナ禍、リモートを活用した満たされた日常に、危機がやってくる。

朝、階段から嫌な予感のする音が聞こえてくる。僕に入っている訪問看護さんが様子を見に行くと、
痛みに強い母が痛がっている。動けないようだ。救急車で即入院。
今はかなり回復したが、胸椎骨折だった。

心配し、気の毒に思いながらも、自分の介護の問題が押し寄せてくる。
さて、どう生活するか。正直な話、回復できない場合を想定した。

母がいない生活になってみると、
普段してくれていることの大きさや大変さを痛感した。
“あれもしなきゃ、これもしなきゃ”と介護サービスやそれに付随する連絡・調整で“てんやわんや”失敗も何度かした。
常に緊張感があり、やたら疲れる。

父が休みを取って、家事と世話をしてくれたが、食事は物足りなさがあり、洗濯も乾ききっていなかったり、
不満がある訳ではないが、普段どれだけ恵まれている生活をしているか、感謝の思いで一杯だ。


そして、将来の生活について真剣に考えた。

この間、レスパイトを兼ねた検査入院をしたが、
僕の身体状況だと、車イスにも自由に座れず、一日の大半をベッドで過ごす、ほとんど何もできない生活。
おまけに便秘がひどく、お腹は大きく膨れ上がり、呼吸も少し苦しい。

“こんな生活は嫌だ” とはっきり思った。

困難があっても、ある程度の自由をもち、社会と繋がって生きていきたい!

身体が辛いからこそ、(些細なことでも良いが)何も目的をもたずに生きるのは苦しい。

医療的にただ長く生きるより、生きる時間を削ってでも社会的に文化的に生きたい。それが切なる願いだ。

両親が高齢になり、いつ病気やけがに会ったり、介護が困難になったり、変な話命を落とすか分からない今、
今まで以上の自立をしなければならない。
親亡き後の生活ができる準備は待ったなしに迫ってきている。

現実は大変だが、親からの自立へ向け少しずつ動き出している。

ひとまず、近くできるグループホームの入居希望を申請している。入居の可否はまだ分からないが、
自身の決意表明であり、家族や周囲への意思表示をすることができた。

先のことはどうなるか分からないが、
必ずや自分らしく生きていくと決めた。

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