見出し画像

第二の故郷となったモダン都市ヨコハマ

内田青蔵
建築学部・日本近代建築史、日本近代住宅史

 私は、東北人。秋田の大館市という人口5万人ほどの小さな田舎町の出身だ。秋田犬の里で、渋谷のハチ公の出身地といった方がわかりやすいかもしれない。高校時代は数学と物理が好きだったが、文系の暗記物は苦手だった。必然的に大学受験では、理数系の科目を生かせる工学部をめざした。学科までは決め切れずにいたが、大手ゼネコンで活躍していた親戚がおり、建築家もいいなと受験間際に建築学科をめざした。当時は建築家になるなら工学部が常識で、現在のように、医者になるなら医学部へ、建築家になるなら建築学部へ、という動きは、つい最近の新しいトレンドだ。

 大学はどこにするか、悩んだ。地元の大学には、建築学科はなかった。同じ東北の仙台の大学には建築学科があったが、結果的にめざしたのは東北を飛び越えた東京の大学だった。なぜ、東京だったのかといわれても、その明確な理由はない。今思えば、大学受験こそ、田舎を離れて憧れの大都会の東京に行くチャンスだったし、大半の友達も東京をめざしていたからかもしれない。

 今でこそ、気軽に、しかも短時間で上京できるが、当時は、上京するまで半日以上かかった。高校の修学旅行で最後に訪れたのは東京だったし、東京は遠いあこがれの地だったのだ。修学旅行の自由時間には、従弟に有楽町の映画館に連れて行ってもらった。指定席で見た映画「プレスリー・オン・ステージ」は刺激的だった。そんな東京に理由なしに引き付けられていたのだ。

 私は3人兄弟の真ん中。兄は国立の大学生で、浪人が許されない経済環境を察知し、私学でも授業料が安く、奨学金制度も充実している神奈川大学を受験しろといってきた。しかも、兄の友人の弟さんが建築学科におり、面倒を見てくれるというのである。初めて聞く大学で、調べたら横浜の大学だった。東京にあこがれていた私は、東京じゃないぞ!と躊躇したが、兄に従がった。

 結局、私は神奈川大学に入学した。1971年のことである。当時、神奈川大学ではまだ大学紛争が続いていた。入学後に足を踏み入れたキャンパスは、大小の立て看板が所狭しと並び、マイクでがなり立てられた学生の声に包まれた喧騒の中にあった。田舎から出てきた私にとっては、ちょっと怖いキャンパスだった。ガイダンスを終え、いろいろ手続きを済ませ、大学生活が始まった。講義は、高校とは異なり、いろいろ初めてのことばかりで、興味深かった。ただ、キャンパスは相変わらず喧騒の中にあり、ヘルメットをかぶった学生たちが何度か講義中に押し寄せ、主義主張を叫んで去っていった。

 学生生活やキャンパスにも慣れ、教室で坐る場所も固定化されると、必然的に隣り合う学生とも親しくなり、食事を一緒にする機会などが増えた。入学当時の私は、いわゆる秋田の方言のズーズー弁で、共通語を話しているつもりだが、語尾が何時も訛る。この癖は、現在でも健在のようだ。時おり、講義が終わった後、“先生どこの出身なの?”と学生に問われることがあるからだ。

 さて、そうした親しくなった友人たちには、横浜出身のいわゆる地元出身の学生も多くいた。今思うと、地元出身の彼らはまぶしく、憧れだった。ひとつは、彼らの言葉。独特の癖のある、いわゆる“ジャン言葉”だ。最近は、あまり聞かなくなって、少し寂しいが、当時は、語尾にジャンをつける会話が新鮮だった。そして、もうひとつは、彼らがファッションナブルだったことである。着ているものが垢抜けしていて、いかにもデザイナー志向の建築学科にふさわしい姿に見えた。ハマトラとも呼ばれていたもので、横浜トラディショナルを意味する言葉だった。

画像2

 横浜の街の魅力も、次第に感じていた。東横線の日吉駅に下宿していた私は、逆方向のため横浜に出ることは少なかったが、時折、友人たちに誘われ、横浜駅に向かった。行くのはダイヤモンド地下街のカフェー専門店。地下街もカフェーも、渋谷よりも数段モダンだった。また、時折、散策した中華街は極めてエキゾチックで、山下公園の海風も田舎では体験できなかったものだった。そんな街歩きの中で、徐々に横浜の魅力を感じ、東京とは一線を画す独自の文化を感じ、卒業時頃には私自身ラッパズボンを穿き、肩までの長髪姿になっていた。

 今、都市・横浜を振り返ると、実は私の入学時と同じ1971年に横浜市では都市デザインの部署を組織し、歴史的建造物を保護しながら歴史と文化を生かした街づくりを開始していた。その成果は、今の横浜―ヨコハマ―に生きている。歴史的建造物をランドマークとした都市計画は、横浜が最初に行った。地方出身者である私にとって、思い出の詰まった学び舎のある横浜―ヨコハマ―は第二の故郷となった。縁あって入学した地方出身者にとっては、横浜の歴史と文化を知り、親しんでもらいたい。第二の故郷となる横浜―ヨコハマ―なんだから。

画像2

内田青蔵
建築学部・日本近代建築史、日本近代住宅史

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。