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なぜ阪神タイガースなのか

9月14日、阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を果たした
テレビのブラウザでその瞬間を見届けることができた

それにしても
私はいつ頃からプロ野球に興味を持ったんだろう

友達との会話の中で、プロ野球が出てきた最も古い記憶は、長嶋の引退だったか、高田のコンバートだったか・・・

テレビで見たプロ野球で最も古い記憶は、阪神-巨人戦、レフトフライで三塁ランナーのタッチアップの実況・・・
「張本の肩と田淵の足!」
記録によれば1976年頃らしい

そんな少年時代の私に強烈な印象を与えたのは阪神ではなく、
阪急ブレーブスの山口高志投手だった

友達の誰もが巨人モデルのユニフォームを着ていたのに、少年時代の私は阪急ブレーブス風のユニフォームを着て、その背中には背番号14があった

それでも友達とどの球団が好き、とか、今年のペナントレースは、とか、そういう話をしていなかったような気がする
それまで自分がどの球団が好きか、なんてことは考えていなかったかもしれない
ただ当然のこととしてテレビでプロ野球のニュースを見て、阪神がどうなったのか気にしていた
(私の育ったところは、テレビのプロ野球中継といえば巨人戦だけで、阪神戦以外は見なかった)
それが我が家の日常、常識だった
祖父、祖母、叔父、父、従兄弟…
外から聞こえる甲子園の歓声が試合経過を教えてくれる、そんな環境(兵庫県西宮市)で生活してきた彼らのおかげで、
何の疑問もなく、
いつの間にか
「応援するなら阪神タイガース」
という公式は私の中にしっかりと根付いていたらしい

そんな私の阪神熱が外に向かって爆発したのは1983年
阪神タイガースが21年ぶりに優勝する、その2年前だった
それまでは、別に自分が阪神ファンであることを公言する必要もなかったし、圧倒的に巨人ファンが多い中で、無用な軋轢は避けたい気持ちの方が強かった
何より、巨人を声高に応援するのを耳にするのは、無性に不愉快だったからかもしれない
巨人を応援する音、声、言葉、文字等すべて生理的に受け付けない
嫌悪感しかない
コーヒーをズルズルと大きな音をたてて飲むようなものだ
ナイフとフォークでガチャガチャと音をたてて食事をするようなものだ
いつの間にかそんなふうになっていた

そのとき私が真剣に応援していたのは福間納投手である
彼は中継ぎ投手として69試合に登板し、6勝4敗6S
そして130 2/3イニングスを投げ、防御率2.62で1位に輝いたのである

私は、ひたすら彼の投球回数が規定に届くように願い、そして阪神タイガースにはこんな渋い投手がいることを友人達に教えたかった(自慢したかった)

そうして私はついに阪神ファンとして周囲に認知された

それから私は阪神ファンとしての自覚に目覚めたのかもしれない
でもなぜか、阪神の話をしようとしても、なかなかうまく話せない
それはまるで川藤幸三氏の野球解説のように、情熱ばかりが空回り(?)する
(アナウンサー)「川藤さん、川藤さんだったら代打でこの場面(相手投手の投球の)何を狙いますか?」
(解説;川藤氏)「わしゃぁいつもストレートしか狙いません、カーブが来たら空振りするだけのこっちゃ、そんなん怖がっとってはいかんです」

1985年は通っていた予備校の寮でポカリスエットで祝杯をあげた

2003年は滋賀県の実家のテレビで見届けた

2005年はBS放送が視聴可能な都内のビジネスホテルを探し、宿泊して見届けた

そして2023年、私にとっては18年ぶり4度目のリーグ優勝
それはうれしいこっちゃ
せやけども、や、
ワシは阪神タイガースが野球をしているから応援する
ただそれだけのことなんですわ

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