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推し遍歴(序)

推し変歴とするつもりだったのだが、変換したら遍歴と出たのでそのまま採用した。
使い方を間違えているのかもしれないが大まかな意味は通じると思うし、遍の漢字がなんか好きなのでこのタイトルで。

私の両親は家電製品を作っている会社の中にあった音楽サークルで出会って結婚したそうだ。
父方の叔父(父の兄)と叔母も同じだったらしい。
母方の祖母とその姉は劇場の舞台に戦前から立っていたらしいし、
そんなわけで私の幼い頃、ウチの娯楽の中に芸能は普通にあった。

書き方がどうもしっくりこない。
とにかく幼少期から音楽や演劇には日常的に触れて育ってきた。

私の一番古い記憶は「父の膝の上で夜のヒットスタジオを観ている」というものだ。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」やピンキーとキラーズの「恋の季節」はそうやって覚えたらしい。
当時録音されたカセットテープにそれらを熱唱する私の歌声が残っていた。

さて「推し」の話だが、当時「推し」という言葉はまだなかった(知らなかった?)と思うが、ここでは「推し」として書いていく。

最初の「推し」は「エトセトラ」という曲を歌っていた「大場久美子」だった。
小学生の頃だ。
当時好きだった女の子の名前が久美子だったのだが、どちらを先に好きになったのかは覚えていない。
2人を重ねていたのはなんとなく覚えている。
コメットさんが終わったからなのか?
「スプリングサンバ」が合わなかったのか?
同級生の久美子ちゃんから純子ちゃんに心変わりしたからなのか?
そのへんもよく覚えていないが、いつの間にか大場久美子のことは気にならなくなっていた。
同時期に「硝子坂/高田みづえ」を聴きながらドキドキしていたので、その頃からDDの気質はあったのかもしれない。
ピンクレディーは周りの影響もあって知ってはいたし全曲歌える気はするが「推し」てはいなかったと思う。

その後の私は「ニューミュージック期」に入るのでここでは割愛する。

次に現れた「推し」は「中森明菜」だった。

熱を出して寝込んでいた時、ラジオから流れてきた「スローモーション」に心を打たれ、
回復して登校するやいなや級友に「中森明菜を知っているか?」と聞いた。
するとその級友もラジオで聞いて知ったという。
中森明菜のファンクラブに入ったのはそれからすぐだったと思う。
一方で、堀ちえみのCM相手役募集のオーディションに写真と履歴書を送ってみたり(書類審査落選)、映画「ハイティーンブギ」でみた武田久美子に一目惚れしてファンクラブに入ったり、アニメ「みゆき」の声優をしていた荻野目洋子に夢中になったりしていた。

そして「菊池桃子」が登場する。

近所の薬局に行って「このポスターください」とお願いして資生堂のポスターをもらった。
菊池桃子が目黒区の高校に通っていると聞いて目黒区の大学に行こうと思ったぐらいだ。
だが目黒区の大学は偏差値が結構高いと気付いた頃、「西村知美」が現れる。
駅前のレコードショップに来るというので早々にグッズと整理券をもらった。
整理番号1番だったのだが本人が来る前に地元を離れてしまったので会えず仕舞い。
後年、仕事で関わったイベントに西村知美が出るというのでスタッフにその時のグッズを見せたら引かれたので、そのイベントではみんなと一緒に集合写真を撮っただけにした。

その頃から私は「ロック期」に入るのだが、それも割愛する。

とはいえ、一時と比べれば熱量は低下していたが中森明菜、小泉今日子あたりのアルバムを聴いていたり、
おニャン子クラブでは「河合その子」「うしろゆびさされ組」「渡辺満里奈」に捉まえられたりはしていた。

やがてASAYANでモーニング娘が結成され、「松浦亜弥」が登場する。
松浦亜弥にはハマった。
といってもCDやDVDを購入する程度。
今でいう「推し活」というほどではなかった。
私が「推し」という言葉に出会うのはその数年後である。

【文中の敬称は省略しています、ご了承ください】

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