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もしもアイデアが盗まれたら(ウサギノヴィッチ)

 もし、本当に小説のアイデアが盗まれたのなら、それは一大事なのかもしれない。
 だが、往々にして、アイデアとはだれかと被るものであり、似通ってしまうものである。ましてうや、大手のアニメーション製作会社と無名の一オタクがかぶったとしたら、それは、会社のほうが強いと思ってしまうし、そういう考え方ができる一オタクなら次もきっと別のアイデアが浮かぶことができるだろう。
 ただ、アイデアは盗まれたと言って、階段を踏み外し、逆恨みをして放火をするのはちょっといただけないと思う。
 よっぽどアイデアに自信があったのか、固執していたのかはしらないが、人を殺したいほど悔しがるというのは、よっぽどなにかあったのかもしれない。

 先にも書いたが自分の考えたことが先になにかしらの作品になっているということは、自分の中であることなので、パクられたという意識はなくて、「あっ、かぶってしまった。別の方向から書かなくては」ということを考えてしまう。
 これは自分がゼロからイチのものを作ろうとしているからであって、特に被るところが多いのは展開の仕方や仕掛けのところによる。
 繰り返しになるが、創作というのは、模倣だし、だれかと話が被ることが多々起きる。そこで、自分がどう考えるかということである。

 そこで犯人は、被害者意識になってしまったのかもしれない。自分の大切なアイデアが奪われた。その考え方は、子供だし、創作する人間としては素人だと思う。
 たとえ、自分のアイデアが盗まれようとも次の自分のアイデアで勝負すればいいとなんで考えられなかったのだろうか。せっかく、有名アニメのシナリオと同じことを考えることができたに、なぜ、それを次の新しいアイデアにも活かそうとしなかったのだろうか。
 犯行が短絡的すぎる。それで一生を棒に振ってどうするのだろうか。
 もし、これが創作の世界全体で起こったなら戦争が起きるに違いない。

 あと、自分これは難しいことかもしれないが、自分は弱いことを認めることだ。それは、犯行に及んでしまう弱さではなく、創作物を発信する力などの強い弱いだ。プロとアマでは違う。発言力もそうだし、同じアイデアでもプロが発表したほうが強いことになってしまう。アマはそれを認めるべきだし、その苦渋をなめるべきだ。だから、自分とかぶってしまったことに関してはおおらかでいるべきだし、むしろ、同じ考えの人がいると自信をもつべきなのだ。

 逆恨みをする気持ちをするのも無理ないが、そんなプライドは捨てさるほうがいい。
 プライドを全開にするのは新人賞に応募するときだけで大丈夫だ。

注)これは、ネットにあった動機をもとにした推測であり、本当のところは20日現在判明していません。

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