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右腕の筋肉の作り方(ウサギノヴィッチ)

この作品は、僕が主宰している崩れる本棚というサークルのサークル誌『崩れる本棚No.8.0』に掲載されている作品の試し読みです。また、100円をいただければら全部読めます。ちなみに、サークル誌は5/7の文学フリマ東京で頒布されます。気になった方はどうぞよろしくお願いします。

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オナニーを四日していなかった。
 しかたなく出ている会社の飲み会から帰ったらヤロウと思った。このまま風俗に行ってもよかったのだが、給料日までまだ日にちがあるのでやめた。時計を見ると一時を回っていた。定例の三次会も終わろうとしていて、僕はいつも締めの日本酒を飲むのをやめて烏龍茶を飲んでいた。周りはまだ騒いでいる。自慢話ばっかりだった。やれ自分の車はいい車だの、自分は万馬券を何回も当てたことがあるだのと宣っている。ここで話されていることは、どんぐりの背比べだとおれは思う。マウントを取ることによって自分がどんなにすごいのかというのを誇示する。なんて醜いんだろうと思う。ただ、おれはそのヒエラルキーの下層グループにいることで、ストレスが溜まってしまう。自分が「偉い」ということができずにただただ話を聞いて言葉の暴力みたいなものにさらされる。その吐き出し口はどこに行くか、それはオナニーだった。彼女がいればいいのかもしれない。でも、彼女ができない。作り方を忘れてしまったし、自分に自信がない。それは、自分より年上の人によって、「お前はダメだ」と言われ続けたところもあるし、彼女ができない期間が長くなればなるほど、彼女に求めるものが高くなる。もう三十五歳にもなるのに女性に対して手も足も出ない状態だった。友達だったらすぐできるのに、いざ彼女にしたいと思ってしまうと尻込みをしてしまう。今まで築いてきた関係性を壊してしまうのが怖かった。おれは、半分童貞のような男だった。
 いつのまにか、宙空を見ていた。誰も座っていない椅子。壁には、ホッピーのポスターが貼られていた。ホッピーの茶色い瓶が全面に描かれていた。値段は四五〇円だった。押し付けがましくもなく、かといって控え目でもなく、そこそこ目立つポスターだった。年季が入ってるのか、日焼けかヤニで白いところが薄茶色になっている。おれの視線を遮るように紫煙が広がった。近くの席の先輩がタバコを吸い始めた。ポスターから視線を外して、その先輩の灰皿の方に移すと、吸い殻が山のように盛られていた。近くにはタバコが二箱重ねられていた。銘柄はマルボロメンソールだった。元オリックス、現日本ハムの金子弌大にそっくりな先輩だった。タバコをふかしながら向かいの先輩となにか話している。たぶん、FXとかそんなところの話をしているのかもしれない。または、逃げられた奥さんの話か。この会社では決して夫婦間での幸せな話を聞かない。言わないのかもしれないし、ないのかもしれない。平均年齢四十オーバーの男たちが「うちのカミさんの卵焼きがめっちゃうまいんだよ」なんて話を始めたら周りはドン引きになるかもしれない。もしかしたら、そんな話をしたい先輩もいるかもしれない。でも、黙ってるだけかもしれない。みんな愛妻家なのかもしれない。
 そんなことはないけれど……。
 みんな変人だった。仕事をしていても、みんな変わっていた。
 新人のとき、Aさんから聞いた仕事のやり方と、Bさんから聞いたやり方が違った。そして、Cさんも違って、彼は言った。
「みんなやり方が違うのがウチの会社だから。気にしないで。君も自分のやり方見つけてやって」
 結局、最初に習ったAさんの方法でやったが、あまり馴染まず、Bさんのやり方を取り入れて、さらに自分で改良を加えて自分のフォームを作った。入社したときがそうだったので、時間が経過していくうちに周りが見えてきて、会社の社風がわかってきた。

・師匠は一人でいい
・メモは必要ないカラダで覚えろ
・理不尽でも受け入れろ

 以上の三点は自分の心の中に刻み込んだ。リーダーという存在もいるのだが、リーダーより年長者がいて、軽く虐げられているし、その古参によってチームの方向が違うところに向かうときがある。そのときに、どんなにリーダーと違う命令が飛んで来ようともそれは甘んじて受けなければならない。今日の飲み会にもいる。締めようかというのに、未だにビールを飲んでいる。まだ、ビールを飲んでいる。笑ってる。メガネの奥の白眼の血管が充血している。
 と、テーブルの真ん中あたりに座ってる中堅の先輩が立ち上がって言った。
「では、三次会はこの辺で締めたいと思います。皆さん、三千五百円ずつください」
「えー」
 古参が椅子に背中をもたれかかって言った。絶対におれより給料いいはずなのに、ゴネるなんてナンセンスだし、ここは目上の人が出した方がカッコいいだろ。若干偏見もある。結局、みんな言われた金額を出してその会が終わった。しかし、その後もみんな席に居座ってダラダラとしていた。店員も店に客がいないことをいいことにおれたちのことを見逃していた。
 時計は二時を回っていた。みんな帰れないのは知っていた。おれはここから歩いても一時間かからないところに住んでいるので、このまま帰ってもよいのだが、まだ酔いが残っていて帰るのもツラいと思った。
「よし、キャサリンに行こう!」

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