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抑えられない衝動(ウサギノヴィッチ)

 これといって!
 
 どうも。ウサキノヴィッチさんです。
 
「面白いことをやる人間って言うのは、常にアンテナを張り巡らせている」
 というのを、よく耳にしますが、ぼくはそれはもっともだと思います。
 それが自分に出来ていないから、そう思うのであって、出来てれば、たぶん、そんなことは思わないんでしょうが。
 ぼくが聞き手で出演しているラジオのパーソナリティは常に自分の周りにアンテナを張っている人間で、その中からラジオで喋れそうなことをチョイスして喋っています。彼はネットラジオをやって十年以上やっているので、そういう喋りの押し引きが分かっているみたいです。あと、彼は普段から人前に出て喋る仕事いうのもあるだと思います。
 それにくらべて、最近のぼくは通勤の行き帰りにイヤホンをして外界から音を遮断して、朝は寝て、夜は本を読むかYouTubeを見ながら電車に乗っています。街を歩いていても、イヤホンはしたまんま。こんなんじゃ、「面白い情報が入ってくるはずがないなぁ」なんて思いながら、歩いている。
 だから、noteの方も内向的な記事が多いのかなんて思ってしまう。
 それに比べたら、相方のPさんの記事を読んでいると文章がみずみずしい感じがする。
 一見するとぼくにでも書けそうな文章を書くんですが、彼の含蓄あるところが滲み出ていて結局マネ出来ないやなんて思ってしまう。

 つまり、自分の中で文章の構成が下手なのか、文章が下手なのか、チョイスするネタが悪いのか。なんかイマイチハッキリしない、原因不明のイップスみたいなものになっている。
 そもそも、この記事を書くに当たっての構成は考えていない。感情に任せて書いている。少しの理性が文章の流れを考える。
 
「面白い」ってなんだ? って所に立っているのも間違いない。というか、最近、面白いと思ったことがない。昨日の『髑髏城の七人』は面白いとは思った。だけど、だれかとそれを共有したいと思ったけど、それを共有出来る友人が周りでいない。だから、noteに書いたところはあるが、あれは少し興奮気味に書いた部分があって、なんか変なものになってしまった。
 ぼくは生き急いでるのかもしれない。
 結果を期待しているのかもしれない。
 本を読んでいても、本を読んでいる自分に酔っているのかもしれない。
 今はだれかにたくさん評価してもらいたいのかもしれない。
 それは無限の欲望として。
 つまり、承認欲求の塊だということだ。
 それと戦いながら、自然な自分と戦わなければならない。
 そんな気がする。
 ありがとう。
 こんな文章に付き合ってくれて。
 また、頑張ります。
 
 それじゃ。
 
 次回は、コーヒーショップで長居をしていたときの話を書きません。

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