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三井寿が大学でバスケを続けたら

「なあ、三井って大学でバスケしたらあかんよな?」
 一昨年の12月、河原町で僕は言った。友人と京都の大学生御用達の映画館「ムービックス三条」で『THE FIRST SLAMDUNK』を見た後、商店街でカレーを食べていた時のことだ。
 映画の感想を(半ば一方的に)話している時にふと思った。湘北の三井寿は大学でバスケをしてはいけない。僕がそう言うと、友人は最初(なんやこいつ)と不思議な顔をしていたが、しばらく考えて最後は「それちょっと分かるわ」と言った。 
 僕も友人も、4年間の大学野球を終えた直後であった。
 12月の京都には妄想をする時間がいくらでもあった。その友人はとっくの昔に大学院進学が決まっていて、僕は何者にもならない(なれない)ことが決まっていた。


 物語の中で三井寿はいわゆる天才という立ち位置である。顔もカッコよくて、女の子のファンが多い。中学校では全国大会のMVPに選ばれた華々しい経歴も持つ。しかし、物語はもちろん順風満帆には進まない。安西先生(諦めたらそこで試合終了ですよ、云々)を慕って湘北高校のバスケ部に進むが、入部した直後に怪我をしてバスケを辞める。それからはしばらくタバコを吸ったりバイクに乗ったり、お手本通りにグレてしまい、果てにはバスケ部を潰そうと殴り込んでくる。しかしまあ、そこで何やかんやがあって(バスケがしたいです、云々)バスケ部に戻る。部活に戻ったから上手くいくというものでもなく、思い通りに動けない三井は自分が無駄にした2年間を後悔する(なぜ俺はあんな無駄な時間を、云々)。昔のように動けない、怪我もある、スタミナがない。それでも最後には苦難を乗り越えて大活躍し、湘北を勝利に導く。天才の凋落、そして復活。カッコ良すぎるストーリーである。
 なぜ彼が大学バスケをしてはいけないのだろう。


 妄想は続く。
「花道と流川は大学も絶対バスケ続けなあかん」と僕は言った。

「そやな。素材型やもん。大学で絶対伸びる」と友人。

「未完成やんな。赤木もいける。やるか分からんけど」

「赤木はバスケ辞める雰囲気あったな。やらんならやらんでおもろい」と友人は言った。
 その友人はなかなかナイスなやつで、やらんならやらんでおもろい、みたいな言葉がサラッと出てくる。友人は「赤木ってバスケやらんかったら、どんな『普通の大学生』になるんかな」と続けた。その想像も面白いのだが、僕は湘北の面々の大学バスケに話を戻した。

「宮城も大学でワンチャンある。なんやったら木暮もやっていいと思う。それなりに幸せな大学バスケになると思う。でも…」

「あかんわ、ミッチーはあかん」と友人は僕の最後の言葉を引き取って言った。

 そう。赤木もいい。宮城も、木暮もいい。
 でもミッチーだけは大学バスケをしたらあかん、絶対に。

 それが僕たちの結論だった。


 三井寿の選手としての特徴は、何と言っても天性の3Pシュートにある。ブランクの影響で調子に波があるが、入り出すと止まらない。非常に人間らしいプレーヤーである。ロボットのように決め続けるわけではない。一度バスケを辞めたことも含めて、精神的にも技術的にもムラがある。光と影を併せ持つ選手、それが三井寿である。そんな危うさを纏う選手が3Pシュートという繊細な武器を扱うのだから、ワクワクしないわけがない。

 そんな選手のバスケ人生に対して、僕たちは「あかん」と思った。


 僕は言った。

「ミッチーってさ、もう完成されてんねんな。これ以上伸びしろがないっていうか」

「まあ、花道とか流川の感じではないな」

 僕と友人は黙った。カレーはとっくに食べ終わっていた。

「周りの選手に追いつかれるだけなんちゃうかな」

 僕が言うと、友人は笑いながら「しんどいな」と呟いた。僕は続けた。

「しかもさ、ミッチーもう一個問題あるやん」

「何?」

「膝の怪我」

 友人は天井を見上げて言った。

「確かに、一番しんどいやつや」

 大学で4年間野球をすると、極めて狭いコミュニティでしか通じない共通言語が身に付く。それはごく限られた人間にしか通じないのだけれど、伝達力は非常に強い。

 『完成された選手の怪我』:意味『一番しんどい』

 僕たちは笑った。

 

 三井のプレーは不安定ではあるものの、一度ノリ始めてしまえば完璧という他ない。3Pだけでなく、中に入ったってうまく動ける。完璧で、無敵で、隙がない。中学MVPなんだから当たり前なのだが。

 でも、その完璧さが僕と友人には不穏に映った。完璧と言えば聞こえは良いが、完璧はつまるところ、完成を意味する。完成はつまるところ、終わりを意味する。終わりはつまるところ…これ以上はとても言えない。

 

「ミッチーってフィジカルがすごいとかじゃないやん。技術の人やん」

 僕の頭に何人か、野球部の同級生の顔が浮かぶ。

「あの感じな」

 多分、友人の頭にも似たような顔が浮かぶ。

 僕は三井の大学バスケを想像した。

「大学入学してな、多分最初はいい感じやねん。でかい同級生の中で、ミッチーだけ一年の時から試合出て一目置かれる。でもそのうち、体でかいだけやった同級生も上手くなる。それでチームが良い雰囲気になる。『やっと三井に追いついてきたな』って感じ。でもいつの間にか、でかい同級生が3Pも決め始める」

「そうなったらやばいな」と言って友人は水を飲んだ。

「そう。『あれ、三井おる意味ある?』ってなるから。しかも重要なことに、大学でスポーツは上手くならん」

「まあ、ならんなあ」

 共通言語である。

「ミッチー絶対頑張るけどさ、努力すると思うけどさ、多分そんなに上手くならんねん。それで、結局素材型の選手に抜かれる。しかも、忘れたらあかんのが膝の古傷」

「そうやった。じゃあ最後は」友人は少し考えて言った。「交代要員でベンチ入りして、出ても後半ちょっとだけとか」

「まじでリアルや」と僕は言った。「ミッチー中学高校の輝きあるから、耐えられへんかも。きつい」

「まあ、大学バスケ知らんけども」

 友人はそう言って妄想を終わらせようとした。そうである。これは空想でしかない。僕は笑いながら言った。

「最後にもう一個だけいい?」

「なんやねん」

「しかも、バスケめっちゃ好きやねん」

「お前、三井ちゃうから」

 僕たちは笑ってカレー屋を出た。あまりにも切実で笑うしかなかった。


 大学野球では(多分)ほとんど全ての選手が一つの限界に達する。身体の成長は止まり、技術的な練習も一旦やり尽くす。「まあ、これ以上練習しても、よっぽどのことが起こらない限り上手くはならないんだろうな」と実感する。少なくとも僕はそう思った。

 僕は三井に惹かれる。その理由は、三井がすでに限界に到達しているところにある。限界の先でバスケ部に戻ってくるところにある。

 ミッチーは(大学の僕と同じように?)ずっと昔に限界に到達している。しかもそのうえ、輝いた記憶がある。その頃の輝きを取り戻せないことは分かっている。そして重要なことに、ミッチーはそれでもバスケ部に戻ってくる。かつてのスーパースターが、とにかくバスケが好きなだけでバスケ部に戻る。三井寿ははそういう男である。


 三井寿はコートで1人だけ熱量が違う感じがする。いや、熱量は赤木や木暮に引けを取らないかもしれない。でも、言うなれば『熱質』みたいなものが違う。ミッチーには、バスケに対する信仰みたいなものが欠けているように感じる。スポーツ漫画に欠くことができないはずの、バスケで勝つことへの信仰、努力への信仰、そう言うものが三井からはあまり感じられない。一段高い、というか、少し遠いところから見ている気がする。もう昔みたいなプレーはできないよ、でも、バスケはやるよ、という雰囲気。一種の悟りのような、距離のある見方。この感じが、三井が遠くからゴールを狙う3Pシューターであることと微妙に響いている、というのはこじつけだと思うのだが、三井が赤木みたいなプレーをするのは少し違うよな、と思う。


 妄想は続く。

 仮に、三井の大学バスケを描くアフターストーリーがあれば、ドキュメンタリーがあれば、そこではきっと、三井がいかに輝きを取り戻すかが注目されると思う。でも、残念なことに三井は大学で輝きを取り戻せない(失礼)。それは間違いない(非常に失礼)。だからこそ、僕は三井に惹かれる。やったらあかん、と言いながらも、三井の大学バスケが見たい。光も影も知っている彼が、バスケがとことん好きな彼が、大学で何を感じるのか見てみたい。

 結局三井は絶望するかもしれない。しんどい4年間を過ごした後に、高校でバスケを辞めておけばよかったと思うかもしれない。

 でも、と思う。そう、『でも』なのだ。この『でも』に三井の魅力が詰まっている。

 『でも、もしかしたら、ミッチーなら大学スポーツに何か結論を出すかもしれない』。


 大学野球に対して僕が出した結論はそれなりに絶望的なものだった。でも、ミッチーなら別の結論を出すかもしれない。そう思わずにはいられない。これが僕にとって、ミッチーの最大の魅力である。

 それは、ミッチーがプレーヤーとしての限界を超えてすごい選手になるかもしれない、と言うことではない。そんなはずがない。いや、もしかしたら超えるかもしれないけれど、僕が見たいのはそんなミッチーじゃない。僕は大学でミッチーに、ここが自分の限界だと実感して欲しい。そして、そのうえで、完璧に自分の限界にたどり着いたところで、ミッチーには何かを見つけてほしい。僕が大学で見つけられなかった何かを見つけて欲しい。もちろん、あの場所でそんなことできるわけがない、という感覚もある。でもミッチーは、ミッチーならもしかしたら、と思わせる。どれだけ分が悪くても、損をすると分かっていても、僕が賭けたいのはミッチーが何かを見つける方だ。

 ミッチーには、賭けたくなる。そう言う男なのである。

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