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関学スポーツにできること

関学スポーツ編集部の3年生の松下蒼です!
今回は3〜4月に行われた準硬式野球部の取材で感じたことを書こうと思います。

私たち関学スポーツ編集部の仕事は、試合が終わってからが本番だ。当日中に試合速報を用意し、特に功績を残した日には号外ビラを作成する。だが同期は私を含めて6人しかおらず、1人で平均9部活を担当。睡眠時間やプライベートを削り、常に部活漬けの生活を送っている。正直、号外ビラをつくればつくるほど自分の首を絞めるだけ。それでも、パソコンと向き合うのには理由がある。

「応援団のみんながいなくて心細かった」。準硬式野球部春季リーグ戦・立命大戦後に耳にした言葉。関学会場のため応援団総部の応援が禁じられていた。サヨナラ勝利を果たしたものの、中盤は物足りない様子を見せていた選手たち。沈んでいくチームの雰囲気を隣で見つめながら、シャッターを切ることしかできない自分がもどかしかった。応援団総部のように、辛いときに背中を押すことができない。私がどれだけ時間を捧げても、彼らの力にはなれないのだろうと痛感してしまった。

悔しさを噛み締めながら、その日は試合後すぐに号外ビラをつくり始めた。「私にできることはこれしかない」。その一心で完成させ、当日中に投稿。休む間もなく次の発行物に取りかかった。この過酷なスケジュールは私たち編集部にとっては当たり前。しかし、気がつけば体が悲鳴をあげていた。深刻な部員不足のため、代わりに取材に行ってもらえる余裕もない。体調は悪化していく中、数日後には試合会場へ向かっていた。正直、いつ倒れてもおかしくない状況だっただろう。だが、優勝が懸かった大事な試合。自分の体調を引き換えにしてでも活躍を伝えたかった。

結果は7回コールド負け。試合後、今にも泣き出しそうな顔で福島裕也主将(教4)が応援団総部へ感謝を伝えていた。その後すぐに行った主将インタビュー。彼は涙を流しながら、本音を話してくれた。ずっと側で見ていたからこそ、プレッシャーやチームに対する思いは痛いほど分かる。「吐き出すだけで少しでも楽になってくれたら」という気持ちでいっぱいだった。

そのとき、やっと気がつくことができた。試合中に心の支えになることはできないかもしれないが、弱音を吐ける存在にはなれる。そして辛いときには私が書いた記事を読んで、少しでも明るい気持ちになってくれないだろうか。これは私たち関学スポーツ編集部にしかできないこと。私はそう信じて、最後まで寄り添い続ける。

最後に準硬式野球部の皆さんへ
どんな状況下であれ、取材に向かいます。なので、辛いときに前を向くお手伝いをさせてください。いつか関学スポーツ編集部のおかげで頑張れたと思ってもらえるように、これからも全力で追いかけます。1次トーナメント頑張ってください!!


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